壱ノ巻    
 宮本武蔵、荒木又右エ門も訪れた武芸の里
「秋の訪れとともに21km、52,682歩、9時間」
柳生街道行こか?でも朝が早いしなぁ」いつものメンバーを誘うには奈良駅前の柳生行のバス7時31分は早すぎる。かと言って、その次のバスは12時すぎで遅すぎるのです。「大丈夫よ~始発に乗れば間に合います」力強いメールが返信されてきました。柳生街道・・・若者には人気ないかも知れませんが私達の年代「チャンバラ時代劇世代」には魅力のコースです。多くの人は「剣豪の里コース」と「滝坂の道コース」を2度に分けて行くと思いますが、私達は交通費の節約のため一気に歩きました。(電車往復で約2000円とバス950円)熊野古道歩きで、それなりの自信もリュックに詰めての出発です。今回のメンバーはjunkoちゃん、靖ちゃん、ジョン、姫の4人です。西九条6時28分の近鉄電車に乗り、鶴橋駅でjunkoちゃんと合流、靖ちゃんとは終点の奈良駅で合流です。
▲奈良県庁前でタクシーに乗って ▲途中のため池で睡蓮を撮影 ▲午前8時ごろ柳生に到着です
▲柳生の里を散策です ▲今は枯れてしまった十兵衛杉 ▲家老屋敷へ向かいます
奈良駅に到着後、バスの乗り換え時間15分しかありません。資料によるとバス乗り場は県庁前となっていました。走る~走る~県庁前のバス停に到着するも「④番 柳生行」が見当たりません。掃除中の地元の人に尋ねると近鉄奈良駅前から出発ではないかとのこと。あと3分しかありません。走って戻っても到底間に合いません。信号待ちをしていた空車のタクシーを見つけて「3分で駅前まで走ってください」「そりゃ無理ですよ」押問答をしているうちに全員がタクシーに乗り込んできました。「柳生まで5000円あれば行けますよ」よっしゃ~GO~

タクシーの運転手さんは大柳生の出身の方で道中いろいろと案内をしてくれました。おまけに水連の花の咲く「ため池」前でタクシーを停めて水連鑑賞をさせてくれました。柳生バス停には午前8時到着です。5千円札を出して「釣りはいらないよ!チップにとってて」と言ったものの料金を見ると「4980円」こりゃまた失礼しました。(運転手さんは随分手前で5000円を超えない様にメーターを終了させてくださっていました。ありがとう)柳生バス停から午前8時スタートです。 

奈良、高畑から石切峠を越え、忍辱山(にんにくせん)から柳生に至る道を柳生街道と言います。平安時代から修験者道として、江戸時代は柳生一族をはじめ荒木又右衛門、沢庵和尚など歴史上有名な人達が使用した道といわれています。柳生街道は柳生から円成寺までの「剣豪コース・9km」と円成寺から奈良までの「滝坂道・12km」コースがあります。私達は柳生から奈良までを一気に歩こうと計画をたてました。「東海道自然歩道」に指定され、わかりやすく道標も立っており道迷いすることはありません。

バス停から山肌を見上げると「十兵衛杉」の枯れた姿が見えました。柳生十兵衛が諸国漫遊に旅立つ時、植えていったといわれていて樹齢約350年。昭和48年の夏に二度の落雷により枯れてしまったそうです。
 ▲家老小山田主鈴の旧邸宅。かつては作家山岡荘八の別邸でもあった
 道標に従い、旧柳生藩家老屋敷へ向かいました。見事な石垣の上に建っており、柳生藩家老屋敷ではありましたが、昭和31年、人の手に渡ってしまいました。しかし昭和39年作家山岡荘八氏の所有となり、NHK大河ドラマ「春の坂道」も、ここで構想が練られたそうです。現在は山岡荘八氏の遺志により奈良市へ寄贈されたそうです。一般に公開しているそうですが時間が早いからか門は堅く閉ざされていました。
▲柳生の里散策 
柳生家の菩提寺 芳徳寺
▲柳生家累代の墓所
 すこし進み左手上に「摩利支天」、さらに進むと「柳生八坂神社」がありました。正木坂という坂を上り芳徳寺へ向いました。芳徳寺は、1638年、柳生宗矩が父の石舟斎宗厳の菩提を弔うため創建されたと伝えられています。(拝観料200円)中に入ると、坊主頭を連想する歴代の住職の墓があり其の奥には柳生家藩主・柳生氏一族代々の墓が100基ほど並んでいました。(柳生十兵衛の墓もありました)
▲柳生正木坂剣禅道場…「たのもー」…の声が聞こえてきそー
 芳徳寺門前横の正木坂には「柳生正木坂剣禅道場」がありました。その昔、柳生十兵衛が1万3600人の門弟を鍛えた道場で陣屋内にあったものを、この寺の境内に移築したものだそうです。
▲天石立神社と一刀石
 芳徳寺を出て天乃石立(あまのいわだて)神社と一刀石に向かいました。大きな石がゴロゴロしている傍らに天乃石立神社が建っていました。巨石がご神体の神社で、手力男之命が天之岩戸の扉を開いたとき、扉が舞い降りたという伝説が残っています。その奥には真っ二つに裂けている大きな石がありました。天狗だと思って一刀のもとに切ったといわれ、後に一刀石と呼ばれるようになったそうです。
▲柳生の里の民宿
 道標にある「疱瘡地蔵へ」に従い歩いていると大きなモミジの木の下に祠を見つけました。のどかな田園風景が広がり刈り入れを待つ稲穂がお辞儀をしているように見えました。農家のおじいさんが「ほうそう地蔵さんはこっちだよ」と親切に教えてくれました。畑には大きなひまわりが咲き、珍しい品種のひまわりもあり、思わずシャッターを押していると畝に座って稲穂を束ねていたおばあさんが「あげるから切って持って帰ってもいいよ」と言ってくれました。「ありがとう。でもひまわりはここに咲いている方が幸せだよね」「おばあちゃん、明日は雨だそうですよ」「だから急いで刈ってるんや」じゃあ4人で手伝いましょうか」といいましたが役に立たないと判断されたのか返事が返ってきませんでした。(笑)
途中には炭焼小屋もありました。
このあたりから本格的な山道に入っていきます。少し行くと右手に自然石に彫られた疱瘡地蔵がありました。疱瘡地蔵の説明文には「正長元年ヨリ サキ者(は)カンヘ(神戸)四カン カウ(郷)ニヲ井メ(負いめ)アル ヘカラス」とあり、「正長元年以前の借金は神戸(かんべ)の四ケ郷(大柳生・小柳生・阪原・邑地)では帳消しにする。」という意味だそうです。
▲中村の六地蔵 ▲街道沿いの大ごみ
▲疱瘡地蔵
集落の中の道は案内標識が完備しているので道迷いすることはありませんでした。集落の中に「おふじの井戸」がありました。柳生の城主、但馬守宗矩が、この井戸の付近を通りがかり、洗濯をしていたおふじという娘に「桶の波はいくつあるか」とたずねると娘は「お殿さんがここまで来られた馬の歩数はいくつ」とたずねかえしたそうです。但馬守はその器量と才気を見そめ、のちに妻に迎えたとの伝説が説明されていました。
▲南明寺
「おふじの井戸」を左に曲がると南明寺に到着です。しかし、しかしなのです。入口には鎖が掛かっており中に入ることは出来ませんでした。外から十三重石塔を撮影してその場を去りました。
▲水木古墳
▲夜支布山口神社
  涼しかった気温も上昇し暑くてたまりません。青少年野外活動センターの脇に出てそこから再び山道に入って行きますがその前にタップリと休憩をとることにしました。ゆで卵、塩タップリのキューリ、おかき、トウモロコシと豪華なレーションが並びます。山道に挑むための体力を回復し再び歩き始めました。しっかりと道標がついており道迷いすることはありませんでした。資料には「川のせせらぎを聞きながら」と書いてあります。その通りと信じて歩いていると急に道幅が狭くなり行き止まりとなりました。「バック~バック~!」姫が先頭です。やっちまったぞ~!山道歩きの先に大柳生の集落が見えてきました。更に進むと夜支布(やぎう)山口神社に到着です。

山口神社は大柳生の氏神で平安時代の延喜式にもあらわれている古い社で、境内にある摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿をここに移したものだそうです。 ほぼ見どころを終え、後は昼食場所と決めている円成寺に向けてひたすら歩きます。見る物は黄金色した稲穂ばかりの中を30分以上歩いてやっと国道へ出て、古びた店の愛想の悪いおばあさんの店でアイスクリームを買って円成寺へ到着しました。境内の日陰を探し倒れ込むように座ってアイスクリームに飛びつきました。火照った身体を中から冷やそうとみんな無言で頬張っています。
▲柳生街道も歩く人が少ないのか荒れているところも多々ありました
▲円成寺への道 ▲円成寺境内
剣豪の里コース終了の忍辱山(にんにくせん)円成寺は、街道きっての古刹で、756年の創建だと言われています。昼食後「もう、ここからバスに乗ろうか?」と提案がありましたが誰一人「そうしよう」とは言いませんでした。「熊野古道ではこれぐらい平気やったわ!」そんな気持ちがバスを拒否したのかも知れません(笑)円成寺から奈良駅まで13km・・・残りの方が長いのです。
詳しくは「近鉄電車ハイキングマップ」をご参照ください
 文:美智子姫  
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