Yamatabi CLUB | ||||
やまたび倶楽部・スタートして3年半の思い出 | ||||
久田美智子 |
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これは、いままでにやまたび倶楽部として実施した行事の数々です。 これ以外にも六甲山系は事あるごとに登っていますが、それはキリがありませんので掲載しておりません。 |
2004.11.03 第一回・古光山と曽爾高原の思い出。『 あん時ぁ、皆んな若かったねー 』 |
平成16年11月3日。やまたび倶楽部は貸切バスで「古光山と曽爾高原」へ座席数28人のところ参加者29名という満員御礼で第一回目のスタートを切りました。もう3年を過ぎています。満員御礼に気をよくし、その年の12月には御位山岩稜帯トレッキングにでかけました。いままで平地ばかりのウオーキングでしたので斬新なコースに驚く参加者も多く、今までとは違った世界を見て喜びを分かち合えた気が致しました。やがて雪の季節を迎えマイスノーシューをかかえてあちこちと飛び跳ねました。氷ノ山、大山、余呉湖、もう日帰りでは物足りなくなり御岳山や蔵王まで行くことになりました。中高年はみんなパワフルで参加する度にグレードもあがり山の歩き方、丘の歩き方、リュックの荷造りの仕方と「ただ歩くだけ」の世界から「知識を積み重ねた山登り」の魅力に取り付かれていきました。 |
そんな折りに突然に「槍ケ岳に行きたい」と言う声があがり、最初は全員でロープの切れ端を利用して「エイトノット結び」を学び、続いてロッククライミング講習をしようと言うことで受講生を募集しました。登山をする上において岩稜帯も通過する時が多々あります。高度に慣れたり岩場の通過などで将来きっと役立つと思って私も受講生の一員となりました。クライミングはウオークに比べて色々な装着器具が必要となってきますので多少の出費は覚悟しておかないといけません。「命を守る道具」として考えると、ひとつひとつの道具には奥深い意味と価値があります。 それぞれに思い出が沢山ありますが今となっては天候トラブルも楽しい思い出となっています。 | |||
坊がつる『男池登山口にて』 | |||
私の中で忘れられない登山と言えば良くも悪くも「坊がつる」です。霧島ツツジにむらがる寸取り虫は「坊がつる」のイメージを悪化させました。花の咲き加減も少なく、それに加えて嵐の様な大雨に遭い避難小屋では恐怖感を脱するためにみんなで肩を寄せ合い「坊がつる讃歌」を大声で最後まで歌いました。この瞬間やまたび倶楽部としての結束が固まったのではないかと思っています。発足から2年目の出来事です。風雨の中をやっとの思いで法華温泉に到着。予約がなかなかむずかしいと噂のある法華温泉ではありましたが本館ではなく離れのみすぼらしいバンガローの様な所で雨の寒さに震え、あげくのはてには入り口のガラスのドアが強風で割れてしまいました。 |
良い山にはいろいろ行ったけど 『 あんな旨い鰹のたたきは、あん時以来、口にしてないねー 』 |
これでは眠ることもできません。本館に行き「空き室なし」の看板を尻目に交渉がはじまります。私はやまたび倶楽部ではいつしか「交渉係」のような役目を仰せつかってしまいました。気の弱い私にはとても大役ではありますが「口が健脚」を最大の武器にして難関を突破して参りました。 他にも還暦の会、救命救急勉強会、一部会員さんではありますがロッククライミングと幅広く活動を続けており他の倶楽部にはないメニューで、あの山、この丘、そして時には馬鹿騒ぎパーティをして楽しみ、会員でよかったと思い続けられたらと切望しています。 「現状維持の出来る体力の維持」これが今後の私の目標です。あちこちに行きたいと思ってもまず体力がなければどうにもなりません。登山をする前のトレーニングはかなり厳しいかも知れません。しかし「ギブアップ」をした時どう対処するか、これも訓練です。本人は勿論、周囲もどうすればいいか全てが楽しい勉強なのです。「あきらめる事を知らない中高年のやまたび倶楽部」として今後益々の発展を願っています。 |