2009 | |||||
京都一周 トレイル | |||||
第1回目 伏見稲荷大社から蹴上 | |||||
2009.3.15 |
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下見を済ませていますのでコースに不安はありませんが、下見シールが剥がされていないかが心配でした。 しかし撤収するのに苦労するほどしっかりとくっついていました。京都トレイルは1番から通し番号が打ってあり今日は33番の蹴上げまでの予定です。伏見稲荷大社で何やら熱心に祈願をするジョンの後ろ姿。 「何お祈りしてたん」 「会社が潰れんように…と、目が治るようにたのんでたんや」 そんな話をしながら千本鳥居をくぐり三つ辻の茶店前を通過すると「1本200円」のお助け杖が売っていました。我々の中に購入する物は誰もいませんでしたが不思議なことに四つ辻茶店の前では「1本190円」でお助け杖が売られていたのには笑いました。(この10円の差は何やねん?) |
階段を下りたり、橋を渡ったりしながら宮内庁の領域を歩かせて頂きます。ここには後堀河天皇、孝明天皇が、お隠れ遊ばしていらせられます(アイタッ舌噛んだわ〜) 泉湧寺を通過。京トレ14番渋谷街道の看板を目印に進みます。 |
19番の看板を通過するとき、トツプの姫に異変が起こりました。突然「19の春」を口ずさみはじめたのです。 | ||||
♪ | 私があなたに惚れたのは ちょうど十九の春でした いまさら離縁というならば もとの十九にしておくれ 「私かて19の春に戻して欲しいわ〜」 女性の中から願望と言うか、無理難題というか、無茶と言うか、そんな悲鳴に近い声が聞こえてきて、大笑い。そんなこんなで19番の道迷いをしてしまいました。(ごめん)すぐ軌道修正できましたが、みんな和やかに、そして軽やかに、春の日差しを浴びて楽しく歩いています。 |
「私は19歳に戻ったら、思いっきり山をやりたいわ」 そう言うと横でJONが 「そうか19で山始めて20で遭難死か。それやったら今の方がええやろ」 そうやな。なんとなく納得できる。 そんな会話をしながら木の根道を踏んでいると、やがて大きな将軍塚が見えてきました。続いてヘリポートも見える。 昼食場所はもうすぐです。 午前11時40分あづまやに到着です。 下見のときに餌をねだりにきた野良猫は元気にしているやろうか。 そんなことを思い出しながらベンチにドッカリ腰を降ろしました。 |
日差しを浴びながら弁当を広げたり、日差しを避けて、あづまやの中で広げたり、石の上に広げたりと自由にお昼を頂きました。 その後「早春賦」「おぼろ月夜」を歌い、次は山歩きの「ワンポイントレッスンタイム」です。 |
ステッキの悪い使い方、良い使い方の指導を受けます。何気なく使っていた人も「なるほど、なるほど」と今後のステッキの使用に役立つお話でした。記念撮影も済み、京都の町並みが全貌できる展望台でしばし憩いのひとときをすませ、さあ午後からの出発です。 |
写真の左手奥に比叡山がくっきりと浮かんでいました。次回はあの頂に登ります。 午後のスタートのすぐだったと思いますが道路脇に脚立が放置されていました。そして木の枝からはヒモが垂れていました。一体何のために?だれがここに?と気味悪い思いで急いで通過しました。事件性は無いと思いますが、あまり気分の良いものではありませんでした。午後からは、ほとんど下り道ばかりですので1時間ほどで蹴上げに到着です。「33番−1」ここが第1回目の本日のゴールです。ここから琵琶湖疎水の船をみながら南禅寺にむけて散策となりました。 |
疏水は明治時代に琵琶湖から京都に引かれた水路です。船での運搬や発電、水道や灌漑用水などの目的で作られましたが、現在は京都市に上水を供給するのが主な目的となっています。はじめに掘られた大津市三保ヶ崎から京都市東山区蹴上までの水路を「第一疏水」、次いで掘られた先の水路にほぼ沿う全線暗渠のものを「第二疏水」、南禅寺境内を横切り哲学の道に沿って流れ高野川・賀茂川を横切って堀川に至るものを「疏水分線」、蹴上から出たあと南禅寺船溜を経て平安神宮の前を流れるものを「鴨東運河」と呼ぶそうです。、南禅寺境内の水路閣や哲学の道が観光名所となっていて多くの外国人が訪れています。下見の時に道迷いをして行き交う人に道を尋ねようとしても、ほとんど外人さんばかりでした。 (日本の道を外人観光客に聞いたら恥やろ〜) |
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南禅寺から、くろねこかあさんと、オリオンさんの案内で「山の写真展」の鑑賞のために美術館に出向きました。みんなリュックを背負った団体のため、親切に受付の方がリュック置き場を作って下さり、身軽で、ゆっくりと楽しめました。雪の衣装をまとった美しい山。特に自分たちが登ったことのある山々は熱心に足を止めて鑑賞したのではないでしょうか。沢山の写真の中に1枚だけお名前の処に黒いリボンがしてあり受付で尋ねると亡くなった方の作品だそうです。「でも山で亡くなったのではなく病気ですよ」と付け加えておられました。私の印象は、やはり槍ヶ岳・・・・美術館を出ると、三々五々に京阪、阪急、JRとそれぞれに別れました。私は京都行きのバスに乗りましたが、これがまた満員で、結構、缶詰状態で今日の登山よりもバスの中で疲れがドツト出ました。 |
バスの中でストックのキャップを落とし、それを終点で気が付き運転手さんにお願いして探しましたら、ありました〜。買えば200円ほどなんですがね、掃除する人にとってはゴミだからね。いろいろ有りましたが無事に終了しました。また次回ね | |||
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文 久田美智子 写真 鹿島秀元 |