2009.3.28-29 |
3月28日午前9時、今日は南海電車「九度山駅」集合です。難波駅、新今宮駅、堺東駅と乗車駅がちがい、号車も別々でしたが参加者ほとんど同じ電車に乗っている様子です。日本一の柿の名産地九度山は、今はシーズンオフで来年の豊作を願って柿木は手入れされ、雑草もきれいに除去されて肥料をたっぷりもらっているようでした。 |
第一日目は約23qの長丁場。 しかもタップリのアップダウンなので「へばらずにゆっくり」を念頭に入れ、50分歩いて5分休憩を取ることにしました。町石「180」から町石「1」にむけて弘法大師が歩いた道を歩かせてもらいます。1町石間が109メートルです。駅から180番目と1番から宿坊までの距離を合わせると、やはり20q以上はある計算になりますね。疲労度が増して来たときは町石の数が減っていくのでゴールの目安になりました。慈尊院の180番町石を出発。両サイドが柿畑の坂を登っていくと、道ばたに無人販売所があり人数分のミカンをポチに買ってもらいました。デコポン、ネーブル、八朔と種類も豊富です。次の休憩地で水分補給用に食べることにしました。袋をぶら下げて果樹園の中の道を歩いていく姿はちょっと滑稽かな。 (ごちそうさま) |
果樹園の中を抜けると樹林帯が続きます。 雨引山分岐(町石154番)を過ぎ六本杉と順調に登り続けます。久しぶりのウオークなので話しも弾み、道は木の葉がいっぱい敷き詰められていて、足に優しいクッションの役目を果たしてくれて、膝への負担もありません。時々ビュースポットが来ると紀ノ川が美しい曲線を描き紀伊の町並みを見下ろすことができます。弘法大師が建立したという二ツ鳥居が見えてきました。「お弁当場所に到着ですよ〜」と言うと、みなさんの足が速まりました。 正午を少し廻りましたので昼食を取ることにしました。 |
午後のスタートは町石122からはじまります。下り坂とは言え、かなり急な下りもあり油断できません。途中、神田の地蔵堂の下にりっぱな掃除の行き届いたトイレがあり、さすが世界遺産に登録されただけのことはあると感嘆しきり。いのしし避けの有刺鉄線がはりめぐらしてあるので接触しない様に前の人が後ろの人に注意を促します。ここで後ろから若いアベックが付いて来たのに気が付きました。我々はトイレ休憩のため道をそれていることを説明しルートを案内しました。 |
しばらくゴルフ場に沿って歩き続けました。笠木峠をすぎたあたりからずっと下り坂が続きます。やがて矢立峠にさしかかりました。下見の時には茶店は閉店されており名物の 「焼き餅」を買うことができませんでしたが今日はのれんが風に揺らいでいます。「焼き餅」にありつけそうです。花坂の焼き餅として旅人に喜ばれているそうです。 |
日帰りコースの人達3人は、ここから「紀伊細川駅」を目指して下山するため別行動となります。今日はここでお別れをすることとなりました。 |
お泊まりコースの人達は、大門に向けてひたすら歩き続けます。矢立の町石が60ですから丁度3分の2が過ぎたばかりの計算になります。休憩の後の急な登り坂は結構つらくみんな無口で黙々と歩き続けています。ふと顔をあげると「袈裟掛石」や「押上石」が待っていてくれました。弘法大師が袈裟を掛けて休憩したという、また押上石は弘法大師の母上が女人結界を突破しようとしたところ、雷雨に遭い弘法大師がこの大きな石を押し上げて母上を守ったといういわれがあります。町石も二桁になると元気回復です「町石6で大門に出ます。 |
「あと少しです。がんばって下さい」とお互いに檄を飛ばしながら声に出して町石を数えて歩き続けます。私達の前に突然、老婆が現れました。どうも仏様に供えるコウヤマキを採取に来た様子ですが足の速いこと、早いこと、アッと言う間に見失ってしまいました。12町石あたりから最後の急な登り坂にさしかかります。ガードレールが目に入ってきました。大門です。 |
めいめいにあげる到着の歓声が大門に立っている仁王さまをビックリさせました。 |
大門は町石は「6」なので5、4、3、2、1と確認して宿坊に入ります。山の中を歩いたため登山靴が泥だらけ、出迎えてくれたお坊主さんに靴を洗う水を頼むと何とお湯を用意して下さり人のやさしさを感じました。バケツの中の湯気までも「いらっしゃ〜い」と言わんばかりに暖かく迎えいれてくれました。亀ちゃんが「私タワシ持ってるよ」と何と靴洗浄用のタワシを亀ちゃんが持参してたのです(これが本当の亀の甲タワシやな)気が利くねぇ。若いお坊様が台車にリュックを乗せて男部屋、女部屋へと案内をして頂きました。大門の電光掲示板が2.8度と表示されており。 |
部屋以外はとても寒くて、お坊様のお勧めどうりフトンに入る間際に風呂にはいることにしました。 夕食は勿論精進料理です。四国八十八ヶ所のお遍路さんはここ高野山の奥の院に詣でて満願とされるようで同行二人と書かれた白装束に身を包んだ参詣者も多く、この日は土佐遍路会のお遍路さんも大勢宿泊している様子です。 何はともあれビールで乾杯、楽しい夕食の時間となりました。衝立の後ろは高齢の5人組の様です。 岐阜から来たといい私達を見て 「みなさんは若おうていいなぁ」 と言うので衝立越しにのぞき見すると腰の曲がったおばあちゃん連れで「そりゃあの人に比べたら私らはピチピチギャルやわなあ」と大爆笑しながら部屋に戻りました。二次会は男部屋で正ちゃんの厄よけ祈願の酒盛りをすることになりました。お酒は身体を暖めてくれるといいますが心も暖めてくれる様です |
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町石1番に到着。見落としがちな町石を確認しました。 |
和やかなひとときはアッと言う間に過ぎ、女性陣は風呂に行くこととなりました。風呂場のドアを開けるとプ〜ンと薬草の臭いがします。陀羅尼湯なんです。陀羅尼助は飲む薬かと思いきや、贅沢にも入浴剤として使用していました。ここはフトンは各自で敷くようになっておりまるで修学旅行の夜の様に枕投げをしてしばらく楽しみました。楽しかったなぁ! |
★★★★★高野山の夜は寒く、宿坊の廊下の温度計は4℃を指していました。「さぶっ!」★★★★★ |
翌日の朝6時から勤行があると聞き、せっかく貴重な体験なので全員参加することにしました。約1時間の朝のおつとめです。 読経が終わると住職様から荷物にならない、有り難いおみやげを頂きました。 |
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奥の深いお言葉でした。 |
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読経の後に朝食を頂き、午前8時には宿坊を出て、バスで「女人道」まで移動です この女人堂道は女性達の入山が禁じられていた時代に弘法大師の御廟へ行くための女性が通った道だそうです。ひっそりと静まった山道は、時代を振り返りながら細くて狭い道が続きます。いまは跡地だけとなっていますが女性達が女人堂で疲れた身体を休めたであろうと想像することができました。コースに入ってすぐ「お助け地蔵」があります。一言地蔵、一願地蔵とも言われ、ひとつだけ願い事を叶えてくれると言われています。みんな神妙なおももちで手を合わせていましたね。ろくろ峠は景気の良い場所で女人達が大塔や金堂を拝もうとろくろ首の様に首を長くしたことからこの名がついたと言われています。山道に入ったり、急な登り坂、急な下り坂を経てやっと奥の院に到着しました。約10qの道のり、奥の院で女人道は終了です。 |
長目の休憩を取った後、高野三山へ向かうのですが奥の院で高野三山には行かず待機する人がでました。アップダウンがきついため、ここで我々の帰りを待ってもらう事にしました。ご自分の体力を充分に把握できており申告する勇気に拍手です。では不要の荷物を預け身軽にして出発しようと提案をしてリュックに行動食と飲み物、合羽のみ入れて出発しました(リュックの中に大きなゴミ袋を入れておくとこんな時に分散しやすく便利です) |
高野三山は9.2qのコースですが摩尼山(1004b)、楊柳山(1008.5b)、転軸山(910b)の三山を登ったり下ったりのかなりきついコースで、歩きはじめは、楽しいおしゃべりをしていましたが、いつの間にか無口になっていました。少し疲れも出てきましたので木の根につまづかぬよう注意を促し弘法大師の御廟にむけて黙々と歩き続けました。林の向こうに御廟が見え隠れし始め小川にかかる石を渡ると弘法大師御廟のすぐ近くに出ました。小川でドロに汚れた登山靴やステッキを洗い、今も弘法大師が生き続けているという厳粛な雰囲気を味わいながら奥の院ゴールを達成しました。時は15時50分を指していました。 この2日間、お天気に恵まれたこと、荷物を軽減できたことが何よりもありがたかったです。住職様の「こそ」の有り難いお話も聞けて残りの人生(笑)にいつも当てはめて生きて行けたらと思いました。 |
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参加者の声 |
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★編集後記 美智子姫 柿の時期で無かったことが唯一残念でしたが、2日間ともお天気に恵まれ楽しい山行でした。 読経の際のお願い事に「家内安全」はもちろんですが「病気回復」が多かった様に感じました。 こうして九度山から歩けたことを喜びたいと思います。 |
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