2012.10.23 第4日目  カトマンズ〜ルクラ〜パクディン
カトマンズ→(飛行機)ルクラ2804m→パクディン2835m トレッキング

3時40分起床。外気温17度。湿度78%午前4時45分迎えのワゴン車に乗りまだ夜が明けないカトマンズの町をカトマンズ・トリバン空港に向けて走り出しました。
空港に向けて走る街灯もない街並みは何となく不気味です。ところどころで店の前でたき火をしながら開店準備をしている人影がありました。ホテルを出ておよそ30分、突然道がよくなりハイウエイでも入ったのかと思いミスタービシャールに聞くと「間もなく空港ですよ」とのことでした。

空港に到着しましたが、まだ国内便のゲートは開いていません。
国内便の建物の中はごった返しています。遊覧飛行のお客様もチケット片手に右往左往です。
 バスは後から乗ってね…その方が飛行機に早く乗れるから…飛行機は左に乗ってね…ビシャール 
空港の建物内に入る入り口にはカートに荷物を載せ空港の開くのを待っている人達がいました。そこを掻き分け入り口ドアの前に荷物を積み上げ待つこと30分、やっと空港入り口が開きました。人々はなだれ込むように入って行きます。入ってすぐX線検査、ボディチックです。検査員が何やら話しかけてくるが何を言ってるのかわかりません。検査員はそんな私達を見て「もういいっ!早く行け!」と言う動作をしわけもわからないまま検査済みの荷物を取ってチェックカウンターに進みました。カウンターの前は人・人・人!ここからがミスタービシャールの腕の見せ所です。荷物が大きいだの重量オーバーだのすったもんだのやりとのの後、どうにか受付完了しました。終わった後のミスタービシャールの笑顔がまた良い!全員搭乗待合室に進めてほっと一息つくことができました。やがてルクラ行きの受付が開始されました。飛行機に先に乗り込むにはバスには最後に乗れとのミスタービシャールのアドバイス。機内は左側に座ればヒマラヤの山々が見えるとの適切なアドバイスを受けました。17人の乗客を乗せ、5分ほどバスが走りバスから降りようとすると「ちょっと待て」の合図。OKサインが出てジョン、姫が駆け出していきました。勿論左側の席をゲットしましたよ。 
 カトマンズ・ルクラ便の飛行機から見た…ヒマラヤの山々 (ウッチーカメラ)
あっという間に45分のフライトは終わりました。着陸直前山肌の家に脚が引っかかりそうに感じたときは怖かったなあ。それに一週間ほど前に、このラインで航空機事故があったばかりやし。
 離陸時間になると飛行機は誘導路を走りスタンバイエリアへ何の案内もないままにエンジン全開、機体が分解するのではないかと思われるほどの音を立てて走りはじめました。「浮いたっ!」こんな小さな飛行でも飛ぶんや。朝日を浴びながら高度を上げて行きました。1週間ほど前に墜落事故を起こし乗客全員死亡したばかり・・何となくお尻のあたりがムズかゆい。何となく気持ちわりぃ〜!そうしているうちに左手に白い氷のヒマラヤの山々が見えました。さすがに雄大です。日本のアルプスとはだいぶ違います。写真を撮り続け山々の名前はわからないのですが色々な形をしたピークが現れ、機内の乗客を喜ばせてくれました。およそ40分経った頃、山にへばりつくように家の上を飛んで行きます。急激に高度を下げるとドスーンッと言う音を感じました。「あ〜テンジンヒラリー空港(通称ルクラ空港)に到着です」

テンジン・ヒラリー空港(ラテン文字:Tenzing-Hillary Airport)は、ネパールの東部開発区域に属するサガルマタ県、ソンクルブ郡、クンブ地方ルクラにある空港。旧称「ルクラ空港」。2008年1月に現空港名へと改名されており、1953年5月29日にエベレストの初登頂に成功し、この空港建設に尽力したテンジン・ノルゲイと、エドモンド・ヒラリーに由来する。ヒマラヤ山脈の谷間に位置し、標高が高いために大気密度が低く、非常に変わりやすい天候の上、滑走路全長は460mしかなく、その短く傾斜した滑走路は世界で最も高度な着陸が要求される空港の一つである。ヒストリーチャンネルで放送された「最も過激な空港ランキング」で一位にランクされた空港。

機外に出ると多くの人達が並んでいました。「何やこの人達は?」列に並ぼうとすると銃を持った兵士がこの場から早く立ち去れと言う指示を出していました。冷静に考えるとここに並んでいる人達は私達が降りたらすぐカトマンズに向かって折り返し運転をするみたいです。

ジョンの姿を探すが見当たらない。他のメンバーも見当たらない。(えらいとこに来たなぁ)
よく探すとジョンは空港の端のネットにへばりついて撮影していました。
ルクラ空港無事到着…誰もおれへん…私はどこに行けばいいの
 ルクラの街並み
ルクラの町から始まるエベレスト街道。此処からは交通機関はありません。自分の足が便りです。足が動かなくなったら馬のお世話にならなければなりません。
街道を少し歩くとメラ・ロッジに到着です。

ここで朝食が出るみたいです。パン、オムレツ、じゃがいも、温かい飲み物が出てきました。(パンが美味しくないなぁ。)
朝食後は荷物のウエイトコントロールをし直してポーターさんに預ける荷物、背負う荷物と分類し、いよいよエベレスト街道に足を踏み入れることになりました。
今日にリーダーはビシャール、サブリーダーはローチャンです。
ルクラを出ると石畳の道が始まり行き交うポーターさんの多さに驚きます。一人40sから50sは背負っていると思います。最初は自分の荷物を持ってくれるポーターさん達に申し訳ないと言う気持ちが大きかったのですが「仕事ですから」と明るく笑顔で接してくれるポーターさんたちを見ると申し訳ないという気持ちから感謝の気持ちに切り替えることができるようになりました。ポーターさん達は行き交うトレッカーたちの間を縫うように駆け抜けて行きます。時折ゾッキョ(ヤクと水牛の掛け合わせ)の列が行き交います。ゾッキョとすれ違うのはこわいものがあります。エベレスト街道はゾッキョの糞だらけです。カウベルの音がすると全員が山側に大きくよけて自分の身の安全を確保します。ドウドウコシ川(ミルク川ともいう)を左に見ながら北向きに上がっていくのですがセングマの集落が川向こうに見えました。サドコシコーラのつり橋を渡るとヌーリンの集落からクスムカンのピーク6367b)が見えます。ここには5572bのウエストサミット、6373bのイーストサミットがあります。
最初は道いっぱいに広がる汚くて臭いゾッキョの糞も慣れて気にならなくなるから不思議なものです。歩行時間4時間ほどのところにあるパクディン PHAKDING 〔2610m] に到着。
谷間ではあるが、平坦地もあり、明るい雰囲気に包まれた村である。道の両側には数軒のロッジ、レストランが立ち並んでいる。ルクラから約4時間。はじめてドゥード・コシを渡ったことになる。パクディンは谷間のために日のかげりが早い。夕方は寒さを感じ、夜間にはダウンジャケットが欲しくなった。

ドゥード・コシとはシェルパ族の「聖なる川」の意味があります。ドゥードはミルク、コシは川、つまり乳白色の川を意味するが、これは鉱物の雲母が川水にたくさん溶け込んでいるせいである。

当初の予定ではモンゾまで行く予定でしたがミスタービシャールとガイドの交代の関係で昼過ぎに到着したこのロッジが今夜の泊まりとなるらしい。午後3時過ぎにアイランドピーク遠征隊のサポーターたちと合流、挨拶と記念撮影を済ませ1日を終えることとなりました。
明日からのリーダー・サブリーダー・ポーターさんたちです。…「命あずけます!」  
パクディンのロッジ泊
 この日のコンディション
カトマンズ〜ルクラへの飛行機、これは怖かったなあ。着陸寸前には山肌に建つ家に脚が引っかかったかと思うほど低空飛行…さすが世界一危険な空港と言われるだけのことはあるなあ。ここから歩き始めてびっくり、ゾッキョやロバの多さにまたまたびっくり、それに合わせて道端の糞の多さにびっくり…びっくり。なんか体調がおかしいなあ。