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姫のページは みなさまのお役に
少しは立てたでしょうか・・・。


【8206回 もういくつ寝るとお正月】
  Date: 2025-12-26 (Fri)

あと少しで新年・・・網戸を洗ったりとか洗車したりとか昔ほどバタバタしなくなりました。

幼き日のお正月準備を思いだしています。

父親は門松作りに励み、母親は私の晴れ着作りに励んでいました。

晴れ着と言ったとて・・町からネル生地を買ってきて夜な夜なモンペとうわっぱりを縫ってくれました。

お正月は新しい洋服をという母の優しさでした。

ネル生地と言ってもピンと来る人はいないと思います。今ならフリース生地の様な素材でしょうか。

元旦の朝に枕元に揃えてくれた新しい洋服と新しいズック靴を履いて喜んだものです。

父親はお屠蘇を頂き朝からご機嫌で「みちこ〜今夜はスキ焼にしようか?」

ニワトリ小屋から玉子を生まないニワトリが犠牲になり国旗掲揚台に吊るされて血抜きの儀式の始まりです。

そして庭先のたき火でジリジリと音を立てて羽根を焼くのです。何とまあ残酷なと思いつつスキ焼きは美味しく頂きました。

お年玉の習慣はなかったように思います。お金を貰っても店もないしね。

山に行きクビッチョを仕掛けたり(今は禁止されています)ミカン箱でソリを作り堤防の斜面を利用して遊びました。

遊び道具は無くても自分達で工夫して遊び道具を作りました。

竹で鉄砲を作り青い実(名前忘れた)を玉にして打ち合い遊びをしました。

首から上は打たないというルールはみんな守りましたので怪我をすることはありませんでした。

いまの様にあれもダメ、これもダメと言われたことは一度もありません。

転倒しておでこに傷を負ったとしても病院は町までいかなくてはいけないので父親がタバコを小さく刻んで傷の上にペッタンコ〜

父親が長くて立派な山芋をほって戻ってくるとすり鉢でゴリゴリと擦りおろしトロロご飯のご馳走です。

ああ、あの味は料亭のトロロ飯では出せない味だわ。

【8205回 無縁となったクリスマス】
  Date: 2025-12-25 (Thu)

両親を亡くした幼き日より結婚するまで姉の家に居候していた時代が長くありました。

姪っ子達が義兄に「お父ちゃん〜クリスマスプレゼントほしい〜」というと決まって言った言葉があり笑えます。

「お父ちゃんはな、キリスト教信者とちゃうねん、日本人で神徒やからクリスマス関係ない」

幼子にその意味などわかるはずもありません。叔母である若い私が少ない給料の中からプレゼントを渡していました。

還暦を迎えた姪っ子もその時の様子が鮮明に記憶にあるらしいです。

またある時は高速道路が今ほどに発達していない時、ドライブインがあちこちに存在していました。

姪っ子達はドライブインを指差して「お父ちゃんあそこでオムライスたべたい〜」というとまたまた決まって言うセリフがありました。

「あああ、もっと早く言うたら停められていたのに行き過ぎてもうたわ」と豪快に笑っていました。

そんな姪っ子が可哀想で休憩時に串に刺したちくわを買ってやり車の中で食べたものです。

サービスエリアで串に刺したちくわを見つけたら今でも何故か買ってしまいます。

私の4人の孫達はサンタがいると信じており冬休みになったら泊りにきて24日の夜は眠らず起きていました。

朝方やっと疲れて寝た頃にベランダにプレゼントを置いて喜ばしたものです。

しかし高学年になり学校で「サンタ談義」になったとき冷やかされては可哀想と思いサンタさんは爺と婆だった事を明かしました。

あの頃はクリスマスも賑やかでしたが孫達は今はもう20歳を超えています。

これからは大学を卒業したら働いて、働いて、働いて(5回も書くのしんどい〜笑)爺と婆にプレゼント待ってるよ〜

ご参考に
  Date: 2025-12-24 (Wed)

過日、ハチキンブログの登録について説明しましたがもっと簡単な方法を見つけました。

アメーバブログ(ハチキンブログ)は閉鎖するホームページから独立した構造になっており閉鎖した後からも閲覧する事が出来ます。

一度試してみて下さい。(以下はスマホからの操作です)

@まずハチキンブログを開けて下さい。
A右上の「メニュー」を押して下さい。
B「ブックマークを保存」を押して下さい
CこれでOKです
D閲覧するときは「ブックマーク」をおしたら見ることが出来ます。
E画面上を探して「フォローする」を押して下さればフォロアーとなり書き込みがあった時は画面上に通知がくるはずです。

●パソコンからなら「お気に入り」に入れて下さいませ。

いま、まだ繋がっている間にぜひお試し頂けると嬉しく今後もお友達としてお付き合いして頂けることになります。

どうぞよろしくお願い致します。

【8204回 振り返り・・其の3】
  Date: 2025-12-24 (Wed)

「今迄した怪我の数々」

登山やクライミングをはじめてあちこち怪我をしました。

団体で行っても私が「怪我の請負人」だった気がします。決して注意散漫なのではありませんので・・・笑

皆さんの安全のために私が代表して・・・(そんなことあるかい〜)前後しますが思い出すままに書き出してみました。

@一度はウオーキング協会の歩行者千人を前にハンドマイクで説明をしているとき、椅子と椅子の間に落ちて肋骨を折ってしまいました。

A六甲山ブラックフェイスの岩登りを終え、帰り支度をして木の枝につまづいて吹っ飛んでしまい肋骨を折ってしまいました。

B妙義山で落石を回避しようとよけた姿勢が悪かったのか右腕を脱臼してしまいました。

頂上付近から痛みを堪えて自力下山をしその場で失神状態で救急車の中へ。

C滋賀県の沢登りでツルリンコと滑ってしまい今度は左肩を脱臼していまいました。

D奥駈け道の避難小屋でタカサゴキララマダニを頭皮の中に連れて帰り1週間育てました。

(マダニが生きていたので外科手術となりその後保健所へ)

E槍ヶ岳に大勢の人達を連れて行き、下山途中で雨に遭い全員無事に下山するまで中間地点でスタッフとして関わっていて低体温症に。

言わして貰うけど(誰に言うねん!)槍ヶ岳での岩場での中間サポートは結構辛かったぜぇ。

またある時は、歩け歩け協会会員を白馬に連れて行くと言った時、歩けの会長に事前に参加者の体力を見たいとジョンと私が申し出ました。

会長曰く「そんなことしたら客が減る!」と怒られたっけ。

その挙句に大雪渓で歩けなくなった人が出て救助ヘリ(しかも民間で費用は60万円程)

山を経験したことの無い人を(そもそもウオーキングの団体)を連れて行くことに問題がありはしないか?

これらの経験と言う教科書が私をここまで育ててくれたと思っています。しかし、しかし、いろいろやってるなぁ!

【8203回 振り返り・・其の2】
  Date: 2025-12-23 (Tue)

「熊野古道」

奥駈け・小辺路・中辺路・大辺路・伊勢路・紀伊路・高野道・の全てを歩き終えています。

その履歴が2026年から見れなくなるのかと思うと寂しくもありますが私の手元にはしっかりと宝物として残しておきたいと思っています。

仲間がいなければ成せない出来事でした。お金も時間もたっぷり使いました。

私達が区切った通りに歩いて行けば最低の費用で行けると思います。

ある時は青春18切符を使ったり、山小屋とは名ばかりの所に泊まったりしましたが仲間がいればどこだって豪華な宿になります。

コースの最後は少しだけ贅沢をしたり楽しい思い出ばかりです。

観光で紹介しているのは石畳の綺麗な所ばかりですがそんなところばかりではありません。

熊野本宮まで行き着かずに途中で息絶えた旅人たちのお地蔵様に手を合せながら歩くことこそ祈りの道だと思っています。

4人グループを組めばタクシー利用の場合も安くつきます(私達は5人でしたが幸いに5人乗りのタクシーがまだ田舎では走っていた)

「安く・楽しく・数多く」これが私達のモットーでした。

【8202回 振り返り・・其の1】
  Date: 2025-12-22 (Mon)

「本格的な山歩き」

「孤高の人」で登山家・加藤文太郎の存在を知り同じコースを歩いてみたいと思う様になりました。

槍ヶ岳の穂先に向けて登って来られた方が北鎌尾根からだというので私もぜひ登りたいと師匠に申し出ました。

そばにいた山岳会の人達が「50歳になっていく山ではない!」とあざ笑いました。よお〜し還暦記念に登ったるわ!

そこから本格的に技術を磨きトレーニングに励み六甲山の岩場をこれでもか、これでもかとロープの勉強をしました。

晴れて60歳の還暦の年、加藤文太郎と同じコースを歩くことができました。

壮絶な山行行程はこのレポートに書いています。(コピペして下さい)
      ⇓
https://www.hime8kin.net/2010yamatabiclubwww/sankokiroku/2008kitakama1.html

私にとって山に目覚めたのはこの頃からだと思っています。

日本百名山をあまり良く言う人は少ないですが人は人、私は私と目標を見つけた事に喜びを感じました。

姑と舅の世話を終え、息子達も独立したこの瞬間に羽が生えたのです(笑)

【8201回 色々な別れ・・さようなら】
  Date: 2025-12-21 (Sun)

・父とのわかれ・・・小学校4年生の春先に突然会話中の父が倒れあっけなくあの世に逝ってしまいました。

・母とのわかれ・・・中学校1年生の初夏、母親もまた夏の暑い日、突然に他界してしまいました。

・幼馴染とのわかれ・・・母の他界で孤児となった私を7歳年上の看護婦の姉に引き取られ住み慣れた生家を離れました。

幼馴染とも別れ、町にある病院の4畳半の看護婦寮での生活がはじまりました。

・ふるさととのわかれ・・・姉の結婚で大阪へと旅立つ日、中村駅には特急列車の鷲羽3号が停まっていました。

・結婚によるわかれ・・・結婚が決まり姉たち家族とのわかれがありました。可愛い姪っ子とのわかれです。

・姑とのわかれ・・・娘のように接してくれた優しい姑が病に倒れ旅立ちました。

・舅とのわかれ・・・会社勤めをしながら舅の食事の世話を続け8年先には姑のもとへ。

・恩師とのわかれ・・・故郷からの知らせで恩師が事故死したと聞き通夜に間に合うように走り続けました。

・定年・・・40年間働いた職場が定年を迎えました。初めて辛くない別れです。

・義兄とのわかれ・・・姉の結婚と同時に私が居候となり非行に走らなかったのは義兄の厳しい躾けのおかげと感謝して見送りました。

・ホームページとのわかれ・・・17年間続いた「姫のおうち」に終止符を打つ決断をしました。。

【8200回 故郷での隠居生活】
  Date: 2025-12-20 (Sat)

異業種の会議で知り合い、今もお付き合いが続いている紳士がいます。

USJ・レゴランド・ジャングリア沖縄を立ち上げた凄い人で現在は仕事をリタイヤして奈良県の実家で悠々自適の隠居暮らし。

暇で時間を持て余し、今は家庭菜園に夢中とか。それに奥様孝行にも励んでいらっしゃるとか。

ホームページで度々お出ましのイタドリが奈良には沢山あり、今迄は仕事もあり目もくれなかったそうです。

しかし仕事を卒業し、ふと目の前にイタドリが・・・。何時頃採ってどのようにして料理をするのか教えてほしいと話でした。

そこでイタドリ姫の出番です。大阪在住なら教えないのですが(私の取り分が減る〜・・・笑)

イタドリに興味のある人は大歓迎で写真付きでイタドリ採りのレシピを作成することにしました。

新しい年になり、梅が咲き、桜が咲くころになるとイタドリが気にかかりソワソワし始めます。

ピカピカの1年生が小学校の校門をくぐる頃、イタドリはニョキニョキと芽を出すはずです。

土手にツクシが芽を出し始めたらハイキング時には注意をしながら歩きます。

姪っ子と行く某所は最近誰かが私達より先に採取している傾向があります。

山仲間と行く某所は3人が抱えきれないほど持ち帰るほどあります。(いずれの場所も秘密です)

幼友達との共通語「イタドリ」は故郷を語る時欠かせないワードです。

4月は「季節限定イタドリ姫」と名前を変えての投稿でしたが来年からはその書き込みも無くなります。ちょっと寂しいです。

【8199回 おせちの黒豆】
  Date: 2025-12-19 (Fri)

お正月のおせちに入れるこだわりの黒豆を探しており、あちこちのスーパーを回りやっと見つけました。

値段が他の黒豆の2倍も高いのですが炊きあがりのふっくらさはこの黒豆に限ります(個人の感想)

圧力なべもありますが大きな鍋でコトコトと長時間かけて炊いたら「炊いたどぉぉぉ」って気分が出るのです。

豆を洗いザルで水気を切り沸騰したお湯の中に調味料と錆びた釘3本(これは釘の代用品を使う)一晩そのままに。

翌日から7〜8時間かけてじっくり炊き上げ、煮汁に浸して翌朝まで。

「圧力鍋を使ったら早く炊けるのに」とみんなは言うけれど私はこの行程が好きなんです。

元旦に挨拶にやって来る2人の嫁に持ち帰らせる分もだから3袋購入しました。

亡くなった姪っ子の圧力なべで炊いた黒豆と味比べしたことがあります。

姪っ子は「やっぱり鍋で時間かけた方がふっくらして美味しい」と言ってくれました。

そんなお世辞を言ってくれる姪っ子はもう逝なくなりました。

秋には枝豆として、冬には黒豆として同じ豆なのに収穫時期によって違う不思議な豆です。

幼き日おせち料理の話を母から聞きました。子供だったのに今でもよく覚えています。

正月3ケ日は「縁を切る」に繋がるので包丁が使えないから重箱の中のおせちを食べるのだと。

お餅は1年を粘り強く生きよという意味らしいですがこの頃は年中スーパーには餅があって・・。

数の子は子孫繁栄、黒豆はマメに働いて暮らす、ゴマメ(カタクチイワシ)は小さいながらお頭も尾っぽも付いている立派さ。昆布巻きは喜びを表すと。

おせちをつっつきながらそんな話をするのもまた正月らしいのではないでしょうか。

【8198回 ちょっとだけ回復?】
  Date: 2025-12-18 (Thu)

天満のペインクリニックに通い始めて4回目のブロック注射をしてきました。

先生も看護師さん達もアツトホームで患者の心に寄り添って下さいます。それだけで治った気がします。

治療を終えたらバスに乗り、天神橋5丁目から大阪駅前の終点がヨドバシカメラの目の前に停まります。

痺れもなく気分も良いので万年筆のインクスペアーが欲しくてヨドバシカメラに立ち寄ってみました。

相変わらず多国語を喋る人達だらけです。スタッフの対応もそれなりにこなしています。

スマホの翻訳機能を使っている客もいます。(ワタシ・ニホンジン・ココ日本語通じる?・・笑)

同じフロアーを移動するとユニクロの店もあります。

夫と来たら待たすと絶対にブーブー言うのでおちおち買い物ができません。

今日こそは爆買いしてやるぞと気合を入れました。

買ったねぇ!購入した洋服の枚数だけ古い服は廃棄しました。これで整理整頓オーケーです。

自宅に帰ると近所にインドネシア人6人(女性)が引っ越してきたと挨拶にきました。

少し前まで大阪万博のスタッフが住んでいた空き家です。話を聞いてみると民泊ではなく会社の社員寮として使うそうです。

ならば会社責任者の名刺が欲しいとお願いしました。えっ!挨拶に廻るのに名刺持ってない?どういうこっちゃ!

さあ、姫の逆鱗に触れましたよ〜ゴミ問題、騒音問題などがささやかれている昨今、責任者の名前と連絡先がいるでしょ!?

後日出直してもらうことにしました。ご近所さん集めて井戸端会議しなくっちゃ〜!

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