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姫のページは みなさまのお役に
少しは立てたでしょうか・・・。


【8203回 振り返り・・其の2】
  Date: 2025-12-23 (Tue)

「熊野古道」

奥駈け・小辺路・中辺路・大辺路・伊勢路・紀伊路・高野道・の全てを歩き終えています。

その履歴が2026年から見れなくなるのかと思うと寂しくもありますが私の手元にはしっかりと宝物として残しておきたいと思っています。

仲間がいなければ成せない出来事でした。お金も時間もたっぷり使いました。

私達が区切った通りに歩いて行けば最低の費用で行けると思います。

ある時は青春18切符を使ったり、山小屋とは名ばかりの所に泊まったりしましたが仲間がいればどこだって豪華な宿になります。

コースの最後は少しだけ贅沢をしたり楽しい思い出ばかりです。

観光で紹介しているのは石畳の綺麗な所ばかりですがそんなところばかりではありません。

熊野本宮まで行き着かずに途中で息絶えた旅人たちのお地蔵様に手を合せながら歩くことこそ祈りの道だと思っています。

4人グループを組めばタクシー利用の場合も安くつきます(私達は5人でしたが幸いに5人乗りのタクシーがまだ田舎では走っていた)

「安く・楽しく・数多く」これが私達のモットーでした。

【8202回 振り返り・・其の1】
  Date: 2025-12-22 (Mon)

「本格的な山歩き」

「孤高の人」で登山家・加藤文太郎の存在を知り同じコースを歩いてみたいと思う様になりました。

槍ヶ岳の穂先に向けて登って来られた方が北鎌尾根からだというので私もぜひ登りたいと師匠に申し出ました。

そばにいた山岳会の人達が「50歳になっていく山ではない!」とあざ笑いました。よお〜し還暦記念に登ったるわ!

そこから本格的に技術を磨きトレーニングに励み六甲山の岩場をこれでもか、これでもかとロープの勉強をしました。

晴れて60歳の還暦の年、加藤文太郎と同じコースを歩くことができました。

壮絶な山行行程はこのレポートに書いています。(コピペして下さい)
      ⇓
https://www.hime8kin.net/2010yamatabiclubwww/sankokiroku/2008kitakama1.html

私にとって山に目覚めたのはこの頃からだと思っています。

日本百名山をあまり良く言う人は少ないですが人は人、私は私と目標を見つけた事に喜びを感じました。

姑と舅の世話を終え、息子達も独立したこの瞬間に羽が生えたのです(笑)

【8201回 色々な別れ・・さようなら】
  Date: 2025-12-21 (Sun)

・父とのわかれ・・・小学校4年生の春先に突然会話中の父が倒れあっけなくあの世に逝ってしまいました。

・母とのわかれ・・・中学校1年生の初夏、母親もまた夏の暑い日、突然に他界してしまいました。

・幼馴染とのわかれ・・・母の他界で孤児となった私を7歳年上の看護婦の姉に引き取られ住み慣れた生家を離れました。

幼馴染とも別れ、町にある病院の4畳半の看護婦寮での生活がはじまりました。

・ふるさととのわかれ・・・姉の結婚で大阪へと旅立つ日、中村駅には特急列車の鷲羽3号が停まっていました。

・結婚によるわかれ・・・結婚が決まり姉たち家族とのわかれがありました。可愛い姪っ子とのわかれです。

・姑とのわかれ・・・娘のように接してくれた優しい姑が病に倒れ旅立ちました。

・舅とのわかれ・・・会社勤めをしながら舅の食事の世話を続け8年先には姑のもとへ。

・恩師とのわかれ・・・故郷からの知らせで恩師が事故死したと聞き通夜に間に合うように走り続けました。

・定年・・・40年間働いた職場が定年を迎えました。初めて辛くない別れです。

・義兄とのわかれ・・・姉の結婚と同時に私が居候となり非行に走らなかったのは義兄の厳しい躾けのおかげと感謝して見送りました。

・ホームページとのわかれ・・・17年間続いた「姫のおうち」に終止符を打つ決断をしました。。

【8200回 故郷での隠居生活】
  Date: 2025-12-20 (Sat)

異業種の会議で知り合い、今もお付き合いが続いている紳士がいます。

USJ・レゴランド・ジャングリア沖縄を立ち上げた凄い人で現在は仕事をリタイヤして奈良県の実家で悠々自適の隠居暮らし。

暇で時間を持て余し、今は家庭菜園に夢中とか。それに奥様孝行にも励んでいらっしゃるとか。

ホームページで度々お出ましのイタドリが奈良には沢山あり、今迄は仕事もあり目もくれなかったそうです。

しかし仕事を卒業し、ふと目の前にイタドリが・・・。何時頃採ってどのようにして料理をするのか教えてほしいと話でした。

そこでイタドリ姫の出番です。大阪在住なら教えないのですが(私の取り分が減る〜・・・笑)

イタドリに興味のある人は大歓迎で写真付きでイタドリ採りのレシピを作成することにしました。

新しい年になり、梅が咲き、桜が咲くころになるとイタドリが気にかかりソワソワし始めます。

ピカピカの1年生が小学校の校門をくぐる頃、イタドリはニョキニョキと芽を出すはずです。

土手にツクシが芽を出し始めたらハイキング時には注意をしながら歩きます。

姪っ子と行く某所は最近誰かが私達より先に採取している傾向があります。

山仲間と行く某所は3人が抱えきれないほど持ち帰るほどあります。(いずれの場所も秘密です)

幼友達との共通語「イタドリ」は故郷を語る時欠かせないワードです。

4月は「季節限定イタドリ姫」と名前を変えての投稿でしたが来年からはその書き込みも無くなります。ちょっと寂しいです。

【8199回 おせちの黒豆】
  Date: 2025-12-19 (Fri)

お正月のおせちに入れるこだわりの黒豆を探しており、あちこちのスーパーを回りやっと見つけました。

値段が他の黒豆の2倍も高いのですが炊きあがりのふっくらさはこの黒豆に限ります(個人の感想)

圧力なべもありますが大きな鍋でコトコトと長時間かけて炊いたら「炊いたどぉぉぉ」って気分が出るのです。

豆を洗いザルで水気を切り沸騰したお湯の中に調味料と錆びた釘3本(これは釘の代用品を使う)一晩そのままに。

翌日から7〜8時間かけてじっくり炊き上げ、煮汁に浸して翌朝まで。

「圧力鍋を使ったら早く炊けるのに」とみんなは言うけれど私はこの行程が好きなんです。

元旦に挨拶にやって来る2人の嫁に持ち帰らせる分もだから3袋購入しました。

亡くなった姪っ子の圧力なべで炊いた黒豆と味比べしたことがあります。

姪っ子は「やっぱり鍋で時間かけた方がふっくらして美味しい」と言ってくれました。

そんなお世辞を言ってくれる姪っ子はもう逝なくなりました。

秋には枝豆として、冬には黒豆として同じ豆なのに収穫時期によって違う不思議な豆です。

幼き日おせち料理の話を母から聞きました。子供だったのに今でもよく覚えています。

正月3ケ日は「縁を切る」に繋がるので包丁が使えないから重箱の中のおせちを食べるのだと。

お餅は1年を粘り強く生きよという意味らしいですがこの頃は年中スーパーには餅があって・・。

数の子は子孫繁栄、黒豆はマメに働いて暮らす、ゴマメ(カタクチイワシ)は小さいながらお頭も尾っぽも付いている立派さ。昆布巻きは喜びを表すと。

おせちをつっつきながらそんな話をするのもまた正月らしいのではないでしょうか。

【8198回 ちょっとだけ回復?】
  Date: 2025-12-18 (Thu)

天満のペインクリニックに通い始めて4回目のブロック注射をしてきました。

先生も看護師さん達もアツトホームで患者の心に寄り添って下さいます。それだけで治った気がします。

治療を終えたらバスに乗り、天神橋5丁目から大阪駅前の終点がヨドバシカメラの目の前に停まります。

痺れもなく気分も良いので万年筆のインクスペアーが欲しくてヨドバシカメラに立ち寄ってみました。

相変わらず多国語を喋る人達だらけです。スタッフの対応もそれなりにこなしています。

スマホの翻訳機能を使っている客もいます。(ワタシ・ニホンジン・ココ日本語通じる?・・笑)

同じフロアーを移動するとユニクロの店もあります。

夫と来たら待たすと絶対にブーブー言うのでおちおち買い物ができません。

今日こそは爆買いしてやるぞと気合を入れました。

買ったねぇ!購入した洋服の枚数だけ古い服は廃棄しました。これで整理整頓オーケーです。

自宅に帰ると近所にインドネシア人6人(女性)が引っ越してきたと挨拶にきました。

少し前まで大阪万博のスタッフが住んでいた空き家です。話を聞いてみると民泊ではなく会社の社員寮として使うそうです。

ならば会社責任者の名刺が欲しいとお願いしました。えっ!挨拶に廻るのに名刺持ってない?どういうこっちゃ!

さあ、姫の逆鱗に触れましたよ〜ゴミ問題、騒音問題などがささやかれている昨今、責任者の名前と連絡先がいるでしょ!?

後日出直してもらうことにしました。ご近所さん集めて井戸端会議しなくっちゃ〜!

【8197回 人生イロイロ】
  Date: 2025-12-17 (Wed)

●毎日、毎日「目安箱」への訪問のシルシをお願いしていましたが・・・もう諦めました。もう結構です。悲しいけど私のブロクがそれほどに期待されてないことがよくわかりました。それでも・し・つ・こ・く31日まで書き続けます。


暖かかったり、寒かったり雨が多かったり大雪が降ったりする天気をジグザク天気と言うそうです。

スキー場のすぐ傍の柿の木に熊が攀じ登り人間の生活圏に入って来て怯える日々を送っているそうです。

人里にエサがあると学習すると冬眠はしないかも知れません。

「〇〇仕舞い」と片づけ始めると老化現象が急速に進むからやめた方が良いとアドバイスを貰いました。その通りかも知れません。

自分で正しい判断できなくなってやめるよりまだ判断出来る間に色々片づけておきたいのが私の性格です。

昔は還暦を迎えたと聞けば「お爺さん・お婆さん」でしたが今はピンピしてはりますわ。

どうせ80歳まで生きるのなら少々ボケが来たとしても自分の足で歩けて食事も自分で出来てトイレも自分で行けるなら生きていたい。

帰る家がわかり、自分の名前が言えて家族の名前が言えるなら生きている価値はあると思います。

ボケて家族が施設入居を薦めたら「老いては子に従え」の如く素直に従いたい。

友の話ですが御主人が亡くなり舅と姑の介護をしながら自分もパートに通う。

施設に入ってほしいと話をするも「家がよい」と頑なに施設に行くのを嫌がる。

いつかは友が倒れるのではと心配する。行政の力で何とか説得させてあげて欲しい。

でないと、友を失うことになりはしないか心配しています。

【8196回 自転車保険】
  Date: 2025-12-16 (Tue)

●はじめに
『ホームページの表紙に「ひめのおうち」の閉鎖のいきさつを書かせて貰っています。苦渋の決断であることをご理解いただいた上でお願いがございます。「目安箱」に皆様のお名前と一言コメントを頂きたくお願い申し上げます』


当たり前ですが自転車は車の仲間です。

此花区千鳥橋には大きな自転車屋さんが2軒、商店街の中に1軒あります。

自転車保険の更新日が来たので点検も含めて行ってきました。

加害者になっても被害者になっても自転車事故は人生おさき真っ暗です。なのに保険を掛けていない人が多いと聞きました。

私はバイク乗りは上手ですが自転車乗りはうまくありません。自覚しております。ハイ。

点検ポイントは「ブレーキ・タイヤ・車体・ライト・反射材」のチェックを受けて異常が無かったので更新手続きをしました。(更新料は2,200円)

此花区の小学校で正しい自転車の乗り方を生徒と一緒に学んでいますのでヘルメット、一旦停止、信号はきちんと守っています(当たり前かぁぁ)

2026年4月1日から車と同じく自転車の取り締まりが厳しくなります。

「みんなで守ろう自転車安全利用5則」

@車道が原則、左側を通行。歩道は例外。歩行者を優先
A交差点では信号と一時停止を守って安全確認
B夜間はライト点灯
C飲酒運転は禁止
Dヘルメット着用

もしお友達が自転車持っていたら、自転車保険の話と「自転車安全利用5則」の話をしてあげてほしいです。

【8195回 試してみてね】
  Date: 2025-12-15 (Mon)

●はじめに
『ホームページの表紙に「ひめのおうち」の閉鎖のいきさつを書かせて貰っています。苦渋の決断であることをご理解いただいた上でお願いがございます。「目安箱」に皆様のお名前と一言コメントを頂きたくお願い申し上げます』

呪文のように毎日目安箱へのお願い事を書き続けています。

しかし悲しいことに目安箱には何も入っておらず寂しい日々を送っております。

ハチキン姫が閉鎖になったとしてもアメーバーブログ(ハチキンブログ)は独立した情報機関につき閉鎖後も続けてみて頂く事が出来ます。

それにはまずアメーバーブログに登録(無料です)してもらわないといけません。

「アメーバーブログ」と入力して貰うと「新規登録」という画面が出てきます。

画面に添って入力して頂くと登録完了です。

ハチキンブログを「フォローする」をクリックして頂くと投稿した日を知らせてくれますので見て頂く事が出来ます。

但し現在の様に毎日写真のアップが出来ませんので「ときどき」となってしまいます。

厚かましいお願いですが閉鎖の日がくるまでの間にアメーバーブログの登録をして頂けたらと思っています。

ブログの方に写真付き説明を載せていますのでよろしくご登録お願いします。

ホームページ閉鎖となるとなんとなく勿体ないなぁと思ってしまいますが「人間引き際が肝心」なのでと自分自身に言い聞かせています。

【8194回 あれれっ?】
  Date: 2025-12-14 (Sun)

●はじめに
『ホームページの表紙に「ひめのおうち」の閉鎖のいきさつを書かせて貰っています。苦渋の決断であることをご理解いただいた上でお願いがございます。「目安箱」に皆様のお名前と一言コメントを頂きたくお願い申し上げます』

1年に1度会社の健康診断と同じメニューでエコー・心電図・血液検査をし健康状態をチェックしています。

検査結果を待って診察のはずがよく見ると検査予約日と診察日が異なっています。

あれれっ?どっちが合っているのかしら?

土曜日のためなのか電話がなかなか繋ながらず、とうとう午後になってしまいました。こりゃ直接病院に行くしかないな。

このままだと前夜より絶食し検査を受けようと行ってはみたものの「今日は検査予約が入っていません」ということになります。

調べて貰った結果、診察日が間違いだと言う事がわかり訂正して貰い戻ろうとしました。

しかし土曜日だというのに1階のパイプオルガンの周囲には人だかりが出来ています。50人以上はいたと思います。

ウロウロと調べていると午後2時からパイプオルガンコンサートがあるらしいのです。

そう言えばこの病院には1階から2階に突き抜けるような大きなパイプオルガンが置かれています。

どんな音が出るのだろうかといつも不思議に思っていましたので聴いて帰ることにしました(好奇心旺盛やね)

私の隣に座っている紳士は芦屋から、その隣は高槻から、岸和田からと此花区以外の教会関係の人達でいっぱいでした。

私に「どこの教会の方ですか?」と聞くので「私は信者ではなく患者です」と申し上げました(ここ・・笑うとこ)

思い起こせば昭和49年12月のクリスマスイヴの夜、次男を出産してこの病院に入院中でした。(移転前の古い病院)

廊下の灯りが消え看護婦さん達がローソクを手に讃美歌を歌いながら病室を回りプレゼントを頂いた記憶があります。

大阪暁明館病院はキリスト系の病院だったんです。

パイプオルガンの音色はピアノの様な華やかな音ではなく厳かな心に突き刺さるような響きで約1時間心地よい時間を過ごせました。

演奏者は椿本 京さん(つばきもと みやこ)

@ライブツィヒ18のラコールより
 ・われ神より離れじ
 ・いざやもろびと神に感謝せよ
 ・いざ来ませ異邦人の救い主よ
Aソナタ第1番 変ホ長調(1・2・3楽章)
Bファンタジーとフーガ

アンコールの声にも応えて病院の待合室は患者さんではなく信者さんで埋め尽くされていました。


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