2025 第12回 喜寿の年を以って最終回
 
   
3年A組 宮崎孝夫 学級     3年B組 本田平吉 学級
 (赤色は物故者)    (赤色は物故者)
別れの朝を惜しむ涙の雨となりました。正午頃にはドシャ降りが一転し、未来を照らす太陽が昇りこの日の応援隊の様に感じました。
この日の同窓会に どうしても事情があり欠席の人達とのランチ会を サンリバー四万十で開催し再会を喜びあいました。
  大阪支部のランチ会です 今回は3名の方が 参加いただけませんでした   
ランチ会を終えて 午後2時に 本日の同窓会場である 中村第一ホテル入りですぅ
下見を済ませ打ち合わせを充分にしたにも関わらずホテル側に色々と手違いがありカンシャク玉が大きく膨らみました。盛大に済ませた事に免じて笑って済ますことにしました(寛大でしょ?)
午後4時前そろそろ皆さんが来る頃だと気合を入れ直しお迎えの準備が整いました。一番乗りは武村会長。受付を済ませて会長挨拶を依頼すると「真面目モードかふざけモードか」と聞かれたので「お好きな方でいいです」と答えるとエレベーターでお部屋に行かれました。
次々と集まってくる参加者の受付は大賑わいです。クジ引きの座席指定表を引いて貰いました。開催まで2時間もあり宿泊客は部屋に入れますが日帰り客はロビーで待つことになりました。(2時間は長かったね・・ゴメン)
久し振りの再会に花が咲き満開です。やっと開催時間となったため会場に入って貰うことにしました。入口でお渡しした座席表を忘れて来た人多しで「やっぱりかぁ」控えでおいて良かったです。座席に案内をして開会を待ちます。
同窓会が終わっても 仲間の結束は強いぞ
本日の司会者 会長挨拶
谷内 操さん  武村壮一郎さん
プログラムには舞の森の名前のいわれ、歴代の旅行地、そして19名の物故者の栞も用意しています。司会者は関西支部長の操さん、今迄にないスタイルに少し戸惑いもあったかも知れませんが最後なので式次第に乗っ取り粛々と進めることにしました。うぐいすの様な可憐な声で開会宣言、続いて武村会長の挨拶です。マイクを渡すと、おもむろに原稿を出し「真面目モード」の挨拶、第1回目からの苦労、生徒数、担任の先生の名前とそれはそれは素晴らしい内容でした。部屋にこもり一生懸命考えて下さったんだと思います。
19名の物故者に捧げる歌 「ふるさと」 を幸男さんのハーモニカ演奏で届けました
皆さんと一緒に歌ってもらうべく歌詞カードもブログラムに織り込んだのですが…皆さん、聴き惚れて歌わずハーモニカの音色だけで友への追悼式を終えました。
サプライズ 其の一  サプライズ 其の二
 初回の名簿の作成の苦労にはじまり常に全体に気配りをしてくださった 松田多恵さん  写真係を評価して 福谷美智子さんへ
「サプライズ其の1」は初回の名簿の作成の苦労から常に全体に気配りをしてくださった多恵さんに参加者一同から記念品の贈呈をしました。さていよいよ乾杯かと思っていたら司会者が「サプライズ其の2」を発表しようとしていました。(おいおいシナリオにはないよ間違ってるよ)と合図をするも無視されてしまいました。何と福谷美智子さんの名前の発表です。写真係としての感謝の言葉を頂きご褒美を頂戴いたしました。これぞ本当のサプライズ、ありがとうございました。
いよいよ乾杯 御発声は 高知支部長 黒岩安光さん
声高らかにグラスを合わせて宴の始まりです ソフトドリンクが無いよ~ お茶が欲しいよお~ ビールが空っぽだよ~ などてんやわんやうちに 楽しい時間が過ぎていきます
ところで 君ぃ 今なにしてるぅ ~ 近況報告の時間です
       
ほどよい時間が経ち近況報告の時間となりました。順番に全員の近況報告が始まりました。農作業をしている人が多く、玉ねぎを200本植えた、オレは300本だのニワトリを飼っている人もいました。パイナップルが芽を出したという人もいました。腰が痛いだの耳が遠くなりにけりだと賑やかでした。 
余興の部の始まり始まり  
 
相撲甚句 18歳と81歳のお話
福谷美智子さん 山本幸男さん
花の兄弟 徳利の別れ 赤垣源蔵 蕨岡中学校 校歌斉唱
黒岩安光さん  豊永義雄さん
余興の部は自由に出演して貰うのですが誰も出ない可能性を心配して二人羽織と相撲甚句を仕込んでスタートです。石男さんと義雄さんに協力をして頂き二人羽織で爆笑の中、和やかムード。次なるは相撲甚句です。小学校から今迄の人生を歌詞に織り込み熱唱しました(本人の感想です)3番バッターは幸男さんです。「18歳と81歳」の話をしてくれました。恋に溺れるのは18歳、風呂でおぼれるのは81歳、道路を暴走するのが18歳、道路を逆走するのが81歳などなかなかユニークでした。
4番バッターは義雄さんの中学校校歌を熱唱してもらいました。みんな忘れているのによく覚えているものだと感心しきり。5番バッターは黒岩さんの「 忠臣蔵より 花の兄弟 赤垣源蔵 徳利の解れ 」を
赤ペラではありましたが朗々と歌ありセリフありで拍手喝采でした。
余興の部の締めくくりは 司会者とのジャンケン大会ですぅ
子供に返ったように必死で勝ち残ろうとしましたがあえなく負けてしまい残った3人には豪華賞品が手渡されました。おめでとうございます。(優勝は富恵さん)
そろそろお開きの時間が迫ってきました 舞の森会名物 蕨岡音頭です
富恵師匠を先頭に全員参加で輪を作り別れの寂しさを隠す様に元気に踊りました。記念撮影は舞台に集まってもらいホテルのスタッフを呼びシャッターを押してもらいました。
義雄さんの「高知新聞に載せよう」の声に多恵さんが投稿してくれる予定です。
集合写真の撮影後 そのままの状態で幸男さんの 閉会のご挨拶です
第1回目から今迄のアクシデント話を盛り込みながら12回を振り返ってくれました。ここで終わりかと思いきや司会者から「サプライズで~す」無条件で幸男さんでしょう!。初代会長の石男さんから記念品を贈呈してもらいました。別れの歌「仰げば尊し」を歌い幸男さんのエンディング曲「今日の日はさようなら」をハーモニカ演奏をして貰う予定でしたが時間も押しているのと酔っ払い軍団ばかりで、そんな雰囲気ではなく、とうとうあきらめました。残念です。
日帰りの人達に別れを告げ、隣の二次会の会場へ、ひとりを除き、ほぼ全員遅くまで飲んでいた様子でした。夜中の電話魔に起こされ、居留守を使ったりと大変でしたよ~電話して来た人はだれですかぁ?
そして 別れの朝
翌朝は午前7時の朝食です。深酒組4名(プライベート規約により個人名は伏せておきます・・笑)が、なかなか起きてこず幸男さんが各部屋へモーニングコール。全員が揃ったところで解散式は午前8時30分1階ロビーということになりました。
「会うは別れのはじめ」と言いますがこれで終わりかと思うとちょっと胸が熱くなりました。「また来年ね」そんな言葉も無くなったと言う事です。
(最後に)
私達の舞の森同窓会をとても羨ましく思って下さる先輩や後輩がいるそうです。「よくまとまってるね」「私らはぜんぜんやわぁ」等々私達が長く続けてこれたのは幹事のご苦労もありますが「参加者があったればこそ」なのです。時々アルバムを開いて懐かしんで頂きたいです。この日の事を忘れないでまたどこかでお会いしましょう
♪♪いつまでも 絶えることなく 友達でいよう 明日の日を夢見て 希望の道を♪♪
        編集後記

皆さんのご協力のおかげで無事最終版のアルバムが完成しました。
「また来年ね!」そんな言葉が言えない寂しさがこみ上げてきます。
元気でいればまた会えるのではないかと微かな期待をして「さようなら」
を言わずに「ほいたらね!」福谷美智子
 
~ほいたらね~
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