2024  
やまたび倶楽部 2024 2月例会
JR・加茂駅~観音寺橋台~鹿背山橋台~赤橋~ 松谷川隧道~黒髪山トンネル跡~大仏鉄道記念公園~近鉄・奈良駅
過日 テレビで「幻の大仏鉄道」の放送があり興味をそそられました。行きたいです、行って見たいです。じゃあ資料を取り寄せて行ってみますか?
▲学研都市線に揺られて ▲祝園駅 ほうその いわいその ではありません ▲JR加茂駅行
かつて明治時代に京都府のJR加茂駅からJR奈良駅を結んでいた通称「大仏鉄道」の廃線跡、全長は11キロ程度で、時間にして3時間ほどで、丁度良い距離だわ。(しかし、実際には5時間かかり距離は20km)
『大仏鉄道は、今から100年以上前に現在のJR西日本・関西本線の前身である私鉄・関西鉄道(かんせいてつどう)株式会社が京都府の加茂と奈良県の東大寺大仏殿を結んで走っていた列車の愛称です。加茂と奈良を結んだその路線の距離はわずか9.9キロで営業期間わずか9年の短い歴史に幕を下ろしました。営業していた期間が短く、また当時の資料も乏しいことから「幻の大仏鉄道」と呼ばれています』
路線跡には隧道(ずいどう)や橋台(橋の上部構造の両端を支える基礎)などの遺構がところどころに残され、100年以上前の姿が今も残されています。
▲JR加茂駅前のモニュメント
加茂駅から奈良へ向かって歩くことにしました。加茂駅の改札を出ると、通路には大仏鉄道の小さな案内板がありました。ロータリー横に大仏鉄道の案内板もありスタート①からゴール⑫をたどることにしました。まずは①のランプ小屋を探さないとね。駅の中を行ったり来たりして私達が降り立った反対側にランプ小屋を発見です。
▲ランプ小屋 今はJRの倉庫です ▲跨線橋支柱 ▲木津川市誕生モニュメント
▲木津川市誕生モニュメント ▲加茂駅前公園
▲信号機 ▲JR加茂駅横の旧加茂駅大仏鉄道廃線敷跡 ▲現JR大和路線列車
次の立ち寄り先は小学校横にあるSL( C5756愛称:貴婦人)が展示されている場所に到着です。昭和47年6月に大仏鉄道の軌道を通って現在の地に運ばれたそうです。
▲C57型蒸気機関車が静態保存されていました
▲観音寺橋台
次は、「田園風景を楽しむコース」を通って、観音寺橋台へ向かいます。このネーミング、なかなかおもしろいですね。田んぼ道を歩いていくと「観音寺橋台」が見えてきます。観音寺橋台は、大仏鉄道の急な高低差を緩和するために作られた石造りの橋台です。(現在も利用されているJR関西本線と並んで位置しています)現役の路線と100年前の廃線跡って珍しい光景です。
▲観音寺小橋台 ▲里山を歩きます
 
▲ 鹿背山橋台 ▲ 梶ヶ谷隧道に向かいます
次のスポット「鹿背山橋台」へ向けて看板を見落とさないように竹藪に囲まれた道をひたすら歩きます。鹿背山橋台(かせやまきょうだい)は石積みの橋台です。水路の湿気を受けて艶やかに光る橋台はとても美しく歴史を感じました。 
▲  梶ヶ谷隧道
ここでちょっと休憩を入れて「美香ノ原カンツリークラブ」の横を通り抜けて進んでいきます。次におでましは梶ケ谷隧道(かじがたにずいどう)で、花崗岩の石積の上にアーチ状にレンガが組まれています。100年以上前の技術力の凄さを感じ取れます。ここをくぐると赤橋が現れます。赤レンガ作りが多いのに、なぜかこの橋だけが赤橋と呼ばれています。狭い橋の下を車が通っていました。橋の上部の切り石は、長辺と短辺を交互に組む算木積みという技術で橋の強度を堅固にしているんだそうです。 
▲「赤橋」は生活道路として現役で使われております 
▲大仏鉄道はここを走っていたのです 
▲梅谷口交差点付近
▲松谷川隧道
 山道を抜けるとコンビニやショッピングセンターもある開けた場所となります。松谷川隧道(まつたにがわずいどう)は 府道44号の下にありうっかりすると見落としてしまいそうなところにあります。「しんどいから少し休憩しようよ~」と腰を下ろさないと見落としてしまうところでした。腰をおろした階段下に松谷川隧道はあったのです。階段を降りていくと赤茶けた水路の向こうにいまはフェンスが張られていて中に入ることはできません。
黒っぽく見えるのは「焼すぎレンガ」で、赤レンガよりも高温で焼かれていて普通のレンガよりも強度が強く、それが交互に配置されているんだとか。用水路の真ん中に突起がありますが、当時はここに橋を架けて、上部は通路として、下部は農業用用水路として使われていたそうです。
▲タツタタワー 木津川市
鹿川隧道(しかがわずいどう)は農業用水路の目的で作られた石積の隧道で、現在も利用されていますが見学はできません。しばらくすると「黒髪山トンネル跡」が見えてきます。
▲黒髪山トンネル跡 (加茂駅側) ▲黒髪山トンネル跡 (奈良駅側)
黒髪山トンネル跡【くろかみやまとんねるあと】
名前こそトンネル後とありますが、現在はトンネルの面影はありません。
当時86メートルのトンネルがあったそうですが、道路拡張に伴い山が切り崩され現在の形になりました。トンネルだった道路の上には橋がかけられ、現在も歩道橋として使用されています。黒髪山トンネル跡を過ぎると、あとは最終「大仏駅」を目指します。鴻池の陸上競技場を左手に右手に奈良テレビ放送本社の建物を見ながら坂道を下りていきます。 
▲ツグミ ▲イソヒヨドリ ▲カイツブリ ▲ミコアイサ♀
▲アカハジロ ▲ウミウ ▲カワウ ▲錦鯉
▲もうすぐ終わります
しばらく坂道を下ると交差点に案内表示がでてきますが、これらの看板には「大仏鉄道記念公園」の表示はありません。町の中を「多分こちら方面であっているだろう」と言う犬の感で歩いて行くとありましたよ。大仏記念公園の立派な看板が設置されていました。当時の大仏駅の跡地に平成4年に整備された公園です。敷地内には機関車の車輪がモニュメントとして飾られています。大きな枝垂れ桜の木が何本もあり開花したら素敵な公園になるだろうと想像できました。
奈良・大佛鉄道記念公園に到着です
休憩していると「変なおじさん」が近づいて来て資料を下さいました。手作りの地図と説明書きで、こよなく大仏鐡道を愛されている方とお見受けしました。老眼鏡がないので後でゆっくり拝読しますと丁寧に礼を言い、帰ったと思ったらまたまた追加資料を持って現れました(笑)

この公園は当時、ここが東大寺大仏殿への最寄駅で、伊勢や名古屋方面からの参拝客で賑わっていたそうです。船橋通り商店街を抜ければ近鉄電車奈良駅までは残りわずかです。それにしてもパンフレツトに書いてある13㎞3時間はとてもとても無理だよね。だって私達5時間かかつているし20kmも歩いたことになっています。しかしまぁよく歩いたもんです。
(おわりに)
パンフレツトを取り寄せた時には、はたしてウオークコースになるのか?と心配しましたが、のどかな田園風景の中、ポカポカ陽気の中を20kmも歩くことができてみんなの健脚に驚いています。何もしないで老いていくのではなく何かを楽しみながら綺麗に老いていきたいと思っています。それぞれ少々の身体の故障はあるものの楽しく生きたいと思う気持ちは一致しています。さて3月は花の時期となります。素敵な場所へのお誘いの声がかかるのか楽しみです。
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