やまたび倶楽部 11月例会
阪急夙川駅集合⇒御前浜⇒西宮砲台跡⇒御前浜橋⇒西宮大橋⇒西宮戎神社⇒阪神西宮駅
2023年最後の例会となりました。2024年の企画については行き尽したと言うかネタ切れと言うか加齢に伴い、だんだん体力も低下してきたため今後どうするか話合いをする必要があると思います。2024年はメンバーそれぞれがパワーを蓄えて「思いついた人が思いついたコース」を案内する形をとる方法もあり、長く続けていく方法を模索することにしました。今回は知っている様で知らない町歩き「夙川」をそぞろ歩きしました。阪急・夙川駅午前9時集合です。4ケ月ぶりの靖ちゃんも参加で全員そろいました。
夙川駅(しゅくがわえき)
兵庫県西宮市相生町にある、阪急電鉄の駅であり駅番号はHK-09。
神戸本線と甲陽線との乗換駅で、このうち甲陽線は当駅を始発駅で、2003年(平成15年)度の第4回近畿の駅百選に選出された駅です。
片鉾池(かたほこいけ)
駅からすぐのところにある片鉾池は直径100m弱の池で、その東側には夙川公民館がたっています。池のほとりに建っているというより池の中に公民館があるという少し不思議な光景です。しかし此処はいきなり川の中へ降りてしまったためスルーしてしまいました。
夙川(しゅくがわ)は、兵庫県南東部を流れる河川で二級水系の本流です。 夙川周辺、また最寄り駅の夙川駅付近は高級住宅街が連続し豪邸が立ち並ぶ阪神間の中でも屈指のお屋敷町として有名なところです。
六甲山地の東端のゴロゴロ岳を水源に、兵庫県西宮市南西部を南流し、大阪湾に注ぐが河口は、これから進んでいくとある御前浜公園内にあります。
河川敷沿いにある夙川公園(正式名称は「夙川河川敷緑地」)は全長約4km、総面積約20.8haにわたって整備されており、松と桜の並木が続き、阪神間有数の景勝地として有名です。 とくに桜は約2.7kmにわたり約1660本植えられており、毎年桜の名所として多くの花見客が訪れている。 桜の種類は、ソメイヨシノ(約1200本)、ヤマザクラ(約70本)、オオシマザクラ(約110本)、カンザン(約100本)、フゲンゾウほか15種である。1990年(平成2年)に日本さくらの会選定による「日本さくら名所100選」に選ばれました。
香櫨園駅(こうろえんえき)通過
名称は1907年(明治40年)に大阪船場の砂糖商・香野蔵治と櫨山喜一[注釈 1]が夙川西岸の羽衣町、霞町、松園町、相生町、雲井町、殿山町周辺地域(現在の阪急神戸本線夙川駅西側)に両者の名前を1文字ずつ取り名付けて開設した香櫨園遊園地に由来する[2]。当時関西最大だったこの遊園地は、開園後2年で外国人経営の土地会社サミエル商会の手に渡り、1913年(大正2年)に廃園。一部の施設は河口へ移った。
1920年(大正9年)に阪神急行電鉄が開通し、後に「浜香櫨園住宅地(37,000坪)」「夙川香櫨園住宅地(150,000坪)[注釈 2]」が建設され高級住宅地となった[4]。阪神電気鉄道が遊園地経営に関与していたために、阪神香枦園駅(現・香櫨園駅)は移転後の遊園地の付近にある。そのため、阪急は住宅分譲に「香櫨園」の名を使うことはできなかったため、阪急沿線では住宅名に「夙川」と付けている。 
夙川沿いに公園が完備されており立派なトイレも至る所に設置されており安心して散策することができます。川には水鳥達が餌をついばんだり、羽を乾かしている鴨たちの様子がとても可愛かったです。亀の甲羅干し状態は見たことあるけど鳥ははじめて見ました。
浜夙川橋を渡るのですが橋の上はとても冷たくて風で帽子が飛ばされそうになりました。あわててリュックから手袋を出して防寒対策をとりました。暖かい飲み物も寒さから身体を守ってくれます。
▲御前浜橋 ▲六甲最高峰と東お多福山
▲西宮砲台跡
 幕末の頃、国防に不安を感じていた江戸幕府では、将軍徳川家茂の時代になり勝海舟の建議を取り入れ、文久3年(1863年)、大坂湾の海防のために和田岬砲台、舞子砲台、今津砲台などとともに西宮砲台の建設が開始された。基礎工事(地杭打ち)では1,541本もの松杭が打ち込まれ、建設に必要な御影石(花崗岩)は主に、備中小田郡の島々(現・岡山県笠岡市)より切り出し、海路にて運搬された。熟練工を多く招集し突貫工事で建設が進められ、慶応2年(1866年)に竣工。完成後、空砲を試し撃ちしたが砲煙が内部に充満してしまい、結局実用には向かず、一度も使われないまま明治を迎えることとなる。
その後西宮町は、砲台を所有する陸軍省に対し再三払い下げを申請したが不許可となったが、明治40年代に阪神電鉄へ払い下げられ、香櫨園浜遊園の一部として利用されビヤガーデンとしても使われたという。
正ちゃん達が海岸のゴミ拾いを始めました。(えっ~?集めたゴミをずーっと持って歩くの?)      一人浮かれているお嬢さんがいるぜい。
海沿い歩いていると「この寒いのに・・・」おば様たちは口々に言うけれど水上スキーを楽しむ若者達もいました。鴨が隊列をなして前進しています。みんな家族なのでしょうか。
風よけのため西宮浜総合公園の中の施設に入り休憩。クリスマス時期とあってサンタグッズがあったのでかぶって遊びました(遊び心は老化防止のために大切ですよ)施設内での昼食は禁止となっていたため次に進むことにしました。
 西宮大橋を渡る手前の道路脇でランチタイムです。もっといい所あるやろと思いながらも西宮大橋を渡るのにパワーを注入しておかないと風でふっ飛ばされるからね。
みんなで食べると、どんな場所でも美味しいね。
 ▲西宮大橋から見た御前浜橋
後ろの山は六甲山系です
▲西宮ヨットハーバー
昼食後は酒ミュージアムの見学です。酒ミュージアムのある兵庫県西宮市は、六甲山と瀬戸内海に囲まれた日本一の酒どころ「灘五郷」の東部に位置しています。西宮は江戸時代より清酒造りで繁栄し、酒造家たちは公共事業や教育、芸術文化にも関わり、地域と酒造りの歴史は深く交わってきました。

この特色ある酒のまち西宮に、1982年、「生活文化遺産である酒造りの歴史を後世に正しく伝える」ことを目的に白鹿記念酒造博物館が設立されました。消えゆく酒造用具や古文書史料などを保存し、酒のまちの景観を形作る酒蔵をそのまま利用した博物館として、これまで100万人以上の来館者をお迎えし、地元の小中学生が地場産業としての酒造業を学ぶ場にもなっています。開館と同時に西宮市から寄託された「西宮市笹部さくらコレクション」も含め、酒と桜の歴史や文化の研究や公開、成果の発信を行っているそうです。
「試飲できる場所はどこですか?」と聞くと道路を挟んで向かい側にあると言うので行って見ました。ある・ある~お土産品がズラリと並び奈良漬けや粕汁、甘酒なども並んでいます。試飲は有料で100円から楽しめるため好きな銘柄の試飲を楽しみました。外が寒いので日本酒効果で体の中からポカポカしてきました。あとはゴールの西宮戎神社へ向けて行きましょう!
西宮のえびす様は、古くは茅渟(ちぬの)海(うみ)と云われた大阪湾の、神戸・和田岬の沖より出現された御神像を、西宮・鳴尾の漁師がお祀りしていましたが、御神託によりそこから西の方、この西宮にお遷し、祭られたのが起源と伝えられております。

この鎮座の年代は明らかではありませんが、戎(えびす)の名は平安時代後期には 文献に度々記載されています。古社廣田神社の浜南宮の内に鎮座したえびす大神は、漁業の神として信仰されていましたが、この西宮は西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様として、灘五郷の一つ西宮郷の銘酒と共に、隆盛を極めるようになります。 現在では一月九日、十日、十一日の「十日えびす」には百万人に及ぶ参拝者で賑い、阪神間最大の祭として全国に知られています。特に、十日早暁の大祭終了後の開門神事・走り参りは、福男選びとして大変な熱気につつまれます。 九月二十二日の例祭と翌日の渡御祭、和田岬までの海上渡御、産宮参りも、秋の西宮まつりとして地元の人々の大きな楽しみとなっています。 通称赤門と云われる表大門は、豊臣秀頼公の奉献によるものとされ、桃山建築の遺構を残し、その左右に連なる全長二四七メートルに及ぶ大練塀と共に重要文化財に指定されています。また境内えびすの森は兵庫県指定の天然記念物となっています。
▲西宮神社
ゴールはしたものの時間はまだ2時と早く阪神電車・西宮駅あたりで反省会をする場所を探すことにしました。場所はあるかなあ。ありましたよ!かの有名なサイデリア!ビール飲んでピザ食って2024年の抱負を語り、とにかく「みんなで運営」をモットーに続けて行こうと決意しました。
本日のリーダーに感謝ののちサイゼリアで2時間ねばって、おひとり様970円也、安いね。明朗会計のため一人30円のお釣りです。 
 阪神電車西宮駅からjunkoちゃんは今津方面へ、正ちゃんは尼崎、姫とジョンは淀川駅、靖ちゃんは梅田とそれぞれ家路に向って消えていきました。 
(おわりに)
一年間一緒に歩いてくださりありがとうございました。一人ではなかなか面倒くさくて外出できなくても一緒に歩いてくれる仲間がいる事が幸せな事だと思います。しかも体力も同じぐらいに低下しており誰に遠慮することなくスローペースで楽しむことができます。いままで山を登り続けてまいりましたが加齢に伴い体力も低下、「山は登るのではなく見る山」と変化してきました。それでいいのだと思います。当初は歩け歩け協会から山好き仲間を募り中型バス1台(28人乗り)を満席にして信州や遠くは高知までバスで移動したこともありました。ひとり減り、ふたり減りと最後はとうとう5人での山行となってしまいました。自分で歩ける間は山里を愛し、自然と戯れ、紀行文で脳の活性化を補い楽しく余生を送りたいと思っています。2024年もまたみんなで歩きたいと切望しています。
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