どんよりとした空を見上げ、ときおりフロントガラスを雨粒が濡らしますがワイパーを回すほどではありません。「明日は晴れるよ」と、息子の励ましに見送られて東京行き「のぞみ18号」に乗りました。グリーン車は初めてで贅沢にも思えますが折角の好意ゆえに駅弁を買い込み席に付きました。新大阪発12時06分、前原あたりを過ぎた頃、伊吹山が見えました。雲がかかり山頂まで見ることは出来ませんでした。1時間も経たないうちに名古屋到着車窓から富士山が見えたので慌ててカメラを構えましたが速度が速すぎて旨く撮影出来ませんでしたが富士山に間違いありません(笑)
新横浜駅を過ぎ品川駅そして東京駅着14時33分あっと言う間の到着です。新幹線出口を出て丸の内側までの移動がやたらと遠くて何度も駅員に尋ねました。やっとのことで丸の内側に出てタクシーで宿泊先のパレスホテル東京に到着です。ホテルに付くとベルボーイ、支配人が丁重なお出迎えをして下さり「藍綬褒章受章おめでとうございます」とフロントに案内をしてくれました。15階の部屋からは皇居や国会議事堂、東京タワーが見えました。テーブルの上にもお祝いメッセージが置かれてあり至れり尽せりの出迎えを受けました。
時間はまだ4時前のため散歩に出ることにしました。しかし外に出ると風は強く気温も低くて、さっさと部屋に舞い戻ってしまいました。夕食を済ませ早めにベットに入りましたが翌日の受章式の事を考えると目が冴えてなかなか眠れそうもありませんでした。そう言いつつもいつの間にか熟睡。 
▼藍綬褒章伝達式の朝▼
翌朝は部屋にて朝食を済ますことができました。階下のレストランよりもゆっくりと落ち着いて食べることができました。準備を整えタクシーにて法務省へ。レンガ造りの法務省の建物はドイツのネオバロック様式を採用した赤レンガ建築で重要文化財に指定されているそうです。タクシーで門をくぐり赤レンガの建物をグルリと廻り込むと大勢の法務省職員が出迎えて下さっていました。
指定席に案内されて着座したものの待ち時間が半端ではなくて式典が終わったのは午前11時を過ぎていたと思います。8台のバスに分乗していよいよ皇居に向かいます。私は7号車なので最後の方に法務省を出発しました。多分10分足らずで皇居に到着しましたがとても長い時間に思えました。 
この日は法務省・総務省・財務省の褒章受章者が全国から集まっており多くのバスが順番を待っていました。やがて午後1時バスは動き出し皇居の中へと入っていきました。正月に皇族の人達が手を振る廊下を歩き春秋の間に通され係員の誘導に従い着座しました。(前回までは起立のままだったとか)いよいよ天皇陛下のお出ましとなり全員起立でお出迎えしました。演壇に天皇陛下が立たれたら受章者代表が謝辞を述べその後に天皇陛下からのお祝いのお言葉を頂きました。時間にしてわずかではありましたが直接お会いする機会のない中、とても貴重な時間だったと思っています。
その後は春秋の間をでて記念撮影の部屋に移動し長時間立ったまんま並んで待ち続けました。撮影の順番がきてからトイレに立つ人もいて時間ばかりが無駄に過ぎ本当に疲れました。法務省に戻ったのは午後3時を過ぎていました。昼食抜きではありますが緊張が手助けしてなのか空腹を感じることはありませんでした。

法務省に戻るとタクシーの順番待ち・・・私は7号車なので最後のため「44番」と言うタクシー待ち札を貰いました。44台も待たねばなりません。気の遠くなるような話です。

やっとホテルに戻り写真室に行き記念撮影を済ませ着替えて地下のレストランへ。蕎麦屋を見つけて何とか昼食兼夕食を済ませ忙しかった1日を振り返りつつ早々に爆睡したようです。
2泊目の朝を迎えました。帰阪日です。東京駅まで戻り「はとバス観光」です。車窓ばかりかと思えば東京タワーに登るというコースでした。都会の観光はあまり興味がなく新幹線乗車までの時間つぶしと言った感じでしょうか。
● 「はとバス観光」●
国会議事堂、あの永田町、レインボーブリッジ、東京タワーと周遊し駅弁を買い込み新幹線車中の人となりました。
●多くの方からお祝いを戴きました●
(あとがき)
10月中旬に内定をもらってから緊張の日々でした「11月2日付け」の発表の新聞をコンビニに買いに走り全紙を抱えて戻ってきました。当日まで慎重に過ごし式典に備えました。天皇陛下から賜った褒章をみるにつれ大変名誉な事なのだと痛感しています。
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