2022.09.29
近鉄御所駅~コミュニティバス~九品寺停留所~九品寺・葛城古道~曼殊沙華散策~九品寺停留所~近鉄御所駅  
 赤い花なら曼珠沙華
秋になるとどうしても気になるのが彼岸花(曼珠沙華とも言う)
♪♪「赤い花なら  曼珠沙華 オランダ屋敷に 雨が降る。
  濡れて泣いてる  じゃがたらお春 未練な出船の あゝ鐘が鳴る ララ 鐘が鳴る♪
曼珠沙華の花を見ると、ついついこの歌(長崎物語)を歌いたくなります。きっと母親が口ずさんでいたのかも知れません。妙に心に残ります。
子供の頃は毒があるから触るなと教えられてきた花なのに、この年になると何故が懐かしく、田圃の畦道で仲良く集団で咲いているのを見ると懐かしく足が止まってしまいます。
29日仕事終わりの午後から近鉄御所駅からシャトルバスに乗り奈良県御所市の葛城古道にある九品寺に行ってきました。バスの中からでも当たり一面に彼岸花が咲いているのがわかります。黄金色した稲穂と畔の彼岸花の赤と草木の緑がとても美しく見えていました。バスを降りて少し歩くとすぐに九品寺です。お参りを済ませ「どこに咲いてるの?」と探していると寺の遥か向こうの広場に多くの人影が見えました。「あそこだわっ!」 
10月3日に九品寺に行く予定にしていましたが和歌山の幼友達から「9月26日に恒例の彼岸花ツアーとしゃれ込んで行きましたが、道中、明日香は花終わってました。九品寺も昨年に比べると、花が3分の1くらいになってました。なんか、あまりにも変わり様で、ショックでしたよ。花は、先の方は白くなってました。疲れました。みっちゃんも早く行かないと枯れてしまうよ!」とラインを貰い慌てましたよ・・こりゃあ10月3日まで待ってはおれぬわっ! 
  『長崎物語』
 イタリア人の父と日本人の母の間に生まれたお春は、13歳で父を亡くし、養父と暮らしていました。今から370年ばかり前の江戸時代初期、15歳のお春は国外追放され、肉親と引き裂かれて、ジャガタラという遠い国へ渡らされたそうです。異国の父を持つ混血児であるという理由、また、徳川幕府のキリシタン弾圧と鎖国令による海外往来の禁止によるものであったそうです。その数年後、外国人の想い人になり、あげくの果てに遊女に身を落とし、日本に帰りたくても帰れない可哀想な女性となりました。長崎にいた頃のお春は、曼珠沙華で彩られた阿蘭陀坂の一角に「お春姫」と呼ばれるほどの幸せな暮らしをしていた時もありました。幕府の悪政で多くの渡来人と同じような運命を辿ったのであります。真っ赤な曼珠沙華に囲まれて眠っている、日本の父や母に思いを馳せ、帰りたくても帰れない異境の地で、72歳の生涯を閉じたお春。長崎物語は哀しい鎮魂の歌であったのです。
 そこはまるで別世界でした。真っ赤に咲き誇る彼岸花は少し時期が遅い様にも感じましたがまだまだ充分に楽しませて貰えました。彼岸花を取り巻く空と山と田圃と昔ながらの民家のこの風景全てが美しいのだと感じられました。旬を過ぎた彼岸花もありましたが今から開花しようとする花もあり多くの人達がカメラを片手に撮影してました。
帰り支度をしていると運良くバスが来たので飛び乗りました。このバスは「さんろく彼岸花シャトルバス」と言って9月17日から10月2日までの毎日運行していて200円払えば何度でも乗車できるそうです。彼岸花の里・九品寺を見てバスに乗り一言主神社で下車して帰りもまたシャトルバスで御所駅まで戻っても200円と言うお財布に優しいバスでした。 
  ●終わりに 
今迄これほどに沢山咲いている彼岸花を見たことはありませんでした。テレビや写真では見ていても実際に行って見ると圧巻です。普段あまり感動を表に出さないポッチーが何度も「良かった!来て良かった!」と言っていたので余程良かったのでしょう。来年はもう少し早い時期に(やっぱりお彼岸の日やね)葛城の道ウオークを歩くのも悪くないなと思っています。バスの中で立派な地図を頂きましたので来年の参考にしたいと思っています。