2022.07.30
JR野崎駅~野崎観音~竹林コース~飯盛山山頂~四条畷神社~JR四条畷駅
山ツツジの残る春の終わりに訪れて「まれに見る良いコース」と絶賛しました。真夏の暑い日ではありましたが再び訪れる機会に恵まれました。同じコースでも季節や同行する仲間が違えばまた楽しやです
「♪野崎参りは~屋形船でまいろ どこを向いても 菜の花ざかり♪」の歌で有名なJR野崎駅が今回の集合場所です。屋形船を形どった休憩場所があり絶好の写真スポットなのですがお婆さんが腰を下ろしており今回は撮影省略しました。カメラを見たおばあさんが「邪魔でっか?」と聞かれましたが「ハイ」とは言えず・・・笑
▲JR野崎駅前 ▲野崎参りをモチーフにしたマンホール ▲ 野崎観音参道
野崎商店街を抜け、生駒山系の北西山麓に位置する慈眼寺(じげんじ)に向けて出発しました。慈眼寺は「野崎観音」として古くから親しまれています。江戸時代には、大阪城近くの八軒家浜船着場から屋形船で寝屋川をさかのぼり野崎観音に参詣する「野崎参り」が流行したそうです。江戸時代の野崎参りでは、寝屋川を行く屋形船の乗客と、川沿いの土手を歩いていく人々との間で、互いを冷やかしたり罵ったりする「ふり売り喧嘩」という口喧嘩の風習があり、あくまでも口喧嘩だけで、決して石を投げたり手を上げたりしてはいけないという暗黙のルールもあったようです。  
▲ 飯盛山麓・野崎参り道の碑 ▲ 野崎観音参道 ▲ 野崎観音山門
▲大阪みどり百選 野崎観音のみどり ▲御手洗場 ▲お染久松塚
参道から境内へと入って行くと奥の方にお染久松の墓がありました。
「お染久松物語」 
『野崎村の久作には、養子の久松(ひさまつ)と、女房の連れ子のお光(おみつ)がいた。久作は気立ての優しいお光を、久松の嫁にしようとしていた。 一方、久松は奉公に出た大阪の油問屋の娘、お染(おそめ)と知り合い、恋に落ちる。それをねたまれ、久松が油問屋から帰されてきたので、久作は早速久松とお光の祝言を挙げようとする。
久松のことを以前から慕っていたお光が婚礼の支度をしている所へ、大阪からお染が「野崎まいり」にかこつけて久松に会いに来た。久松との関係に気付いたお光は、お染を追い返そうとし、久松と言い争いになる…。養父への義理から別れ話を持ち出す久松と二人きりになったお染は、自害しようとする。それを見て、久松は二人で死ぬことを約束する。そこへ、事の成り行きをみていた久作に人の道に反していると諭され、二人は別れを誓うが、お互い心中の覚悟を決めていた。 祝言の席でお光が綿帽子を取ると、髪を切り尼の姿になっていた。お光は二人の心を察し、自分が身を引けば、二人が幸せになれると考えたのだった。それを見ていた、お染の母親お勝(おかつ)はお光に礼を述べ、二人の仲を認め、二人は油屋へ帰っていく。二人の無事を祈り、その姿を見送りつつ、お光は泣き崩れるのであった』 と言うようなお話です
▲野崎観音慈眼寺本堂
お寺の裏側に登山道あり、いよいよ登山開始です。土の道になると心が癒されます。人がひとり通過できるかどうかと思われるほど狭い切通しにも似た箇所もありなかなか面白いコースです。途中で水飲み場がありここで早くも休憩です。30人ほどの子供達の団体が前を歩いていました。山頂までの距離が短いため無理をせず水分補給を多めに取りながら登って行きます。
鐘 楼 登山道の案内
▲旧河内の町並み
▲吊り橋 ▲乳母観音 ▲九重の塔
分岐で絵日傘コースと竹林コースに分かれており私達は以前と同じく竹林コースを選びました。子供達は絵日傘コースに行ったようです。春に聴いた鳥のさえずりはセミの大合唱に変わっており、おまけにヤブ蚊の集団に見舞われることになり、半袖・半ズボン姿の一服劔君が犠牲となりました(虫除け線香がいるね)

竹林の中は太陽を遮断し熱中症や日焼けの心配はありません。前回、道迷いした場所も間違えることなくスムーズに進み、しばらく歩くと電波塔が見えてきました。もうすぐ山頂です。城跡らしい石垣や看板を見ながら山頂に到着することができました。山頂からの展望は素晴らしくハルカスや明石海峡、京都などを眺めることができました。
▲虎口と石垣 
▲南 丸
▲FM802 アンテナ
▲千畳敷郭 
▲堀 切
▲飯盛城址 ▲昼食でーす
展望台の下には先客がおり、私達は日陰を探して腰を下ろしました。距離は短かったとはいえ、きつい登りもありましたのでたっぷりの汗をかきました。塩分・水分の補給は必ずしておかないと倒れてしまいます。弁当を広げゆったりとした時間を過ごしました。慌てて下山するのは勿体ないです。美味しい山の空気で身体中を浄化してから下ることにしました。ここはコロナ菌とは無関係の安全・安心な場所なのです。
前回訪れた時、楠木正行の銅像に木の枝がかかっており伐採して欲しいと大東市に申し出たのですが「個人所有なので・・検討します」と言っておられました。しかし改善されておらずそのままの状態でした。高校生の男の子たちが「なんや!木の枝で顔が見えへんやんけぇ!」と話しており、誰がみても感想は同じなんやと思いました(何とかしたって大東市さん!)
河内飯盛山の頂上から大阪城天守閣までは約12km、天保山観覧車までは約22km、HEP観覧車までは約15kmです。この日はスッキリ、ハッキリと絶景が楽しめました。
 飯盛山は、『河内飯盛山』と表記されており標高は314.3m。山頂部には飯盛城の曲輪跡や石垣跡が今も多く残っています。また、山頂部には「♪青葉茂れる桜井の~ 里のわたりの夕まぐれ 木(こ)の下陰(したかげ)に駒とめて 世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上(え)に 散るは涙かはた露か~♪」楠木正成 とその息子 楠木正行 の別れを歌った有名な歌もあり、南北朝時代の四條畷の戦いで戦死した楠木正行の銅像が建っておりました。
▲登山記念の碑 ▲急な下り
▲大阪北部から京都方面にかけての景色
下山は傾斜きつい階段を下っていきます。ストックがないと膝に負担がかかります。山の事故の大半は下りで起こります。慌てずに、ゆっくり、下って行き、最後の休憩地でトマトを頬張りました。
 レーションは生物に限ります。 四条畷神社が見えてきました。長めの休憩を取り四条畷駅に向かいます。
▲楠木正成・正行父子の「桜井の別れ」の像 ▲正行・久子母子の像
▲天然記念物 四條畷 楠木正行墓の大楠
参道をJR四条畷駅に向かって下っていき途中の喫茶店の「かき氷」の暖簾につられて入ってみました。絵本作家 谷口智則さんのお店でした。
「あっ!氷の看板あったよ!」
ゴールのご褒美にかき氷を食べて体内温度を下げて帰宅しました。
終わりに
コロナ感染者数が驚くほどに増え65歳以上の老人は外出自粛せよとのお達しが出たあとではありましたが山の中ではコロナ菌もいないと判断し予定通り行ってきました。
良い汗をタツプリかいたことで元気を貰った気がします。
山での事故が多発しています。里山でのトレーニングを重ね、正しい「山の歩き方」を習得すれば事故に遭うこともないのではと思ったりします。
体力は驚くほど落ちてきましたが速足組、遅足組と分かれて姿の見える範囲で歩けばお互いに負担はないなと感じました。