河内飯盛山登山
河内飯盛山登山 JR野崎駅~野崎観音~竹林コース~飯盛山山頂~四条畷神社~JR四条畷駅
 最初に今回の感想を述べると「まれにみる素晴らしいコース」であったと言う事を申し述べておきたいです。来年4月の桜の頃と5月初旬のツツジのトンネルの頃に同じコースを歩こうと約束しました。いままででこんな約束したことはありません。それほどに素晴らしいコースでした。野崎まいりイベントは毎年5月1日から8日まで開催予定です。ぜひ、そのころに行きましょう!
JR野崎駅改札口 JR野崎駅からスタートです 
「♪野崎参りは~屋形船でまいろ どこを向いても 菜の花ざかり♪」の歌で有名なJR野崎駅が今回の集合場所です。
5月例会の担当者は姫であります。野崎商店街を抜け、生駒山系の北西山麓に位置する慈眼寺(じげんじ)に向けて出発しました。慈眼寺は「野崎観音」として古くから親しまれています。江戸時代には、大阪城近くの八軒家浜船着場から屋形船で寝屋川をさかのぼり野崎観音に参詣する「野崎参り」が流行したそうです。江戸時代の野崎参りでは、寝屋川を行く屋形船の乗客と、川沿いの土手を歩いていく人々との間で、互いを冷やかしたり罵ったりする「ふり売り喧嘩」という口喧嘩の風習があり、あくまでも口喧嘩だけで、決して石を投げたり手を上げたりしてはいけないという暗黙のルールもあったようです。 
 参道から境内へと入っていきます  この階段を登ると慈眼寺の山門です
石造九重層塔 野崎観音の鐘楼
お寺の裏側に登山道が続いています。展望台で靖ちゃんが近所のおじいさんの話し相手に掴まってしまいました。なかなか逃げられそうもありません
「やっちゃ~ん、!早くおいで~」と登山道から声をかけやっと逃げてこれたみたいです(やっちゃん年寄りに優しいからね)
慈眼寺裏の吊り橋
切通というか雨が流した自然の道と言おうか楽しい所も有りました
野崎観音からの道と中尾根コースとの分岐を左側へ登っていきます。(右側は絵日傘コース)
少し登ると「下のちくりん水」に到着しました。谷田川の源流でしょうか。湧き出る水は飲まずに自分達の持ってきた飲み物で喉を潤しました。私はネパールで生水を飲み正露丸1箱を飲み干すと言う大変な下痢を経験していますので、いかなる湧水や清水でも絶対に飲まないようにしています。(山中で止む得ない時は煮沸する)冷えたトマトの差し入れが五臓六腑に浸みわたります。
休憩を終えて歩き始めると新緑の木立や水のせせらぎや鳥のさえずりが聞こえ「最高のコースやね」登山者の誰とも会わずに歩けることの快適さに「また来たいね」と言うほどでした。登山道は危険な個所もなく踏み跡もしっかりしていて新緑の中を心地よく歩けました。
名前の通り竹林の中を進むと杉むら峠から伸びる尾根が見えてきます。尾根までの登りがきついです。合流点では立ち止まり地図を確認します。道標らしき物が少なくて、有ったとしても個人が付けたのかと思うほどの小さなかまぼこ板程度の道標で見落としてしまいます。 
「やっぱりね」・・見落としてしまい道迷いしました。山頂を目指しているのにドンドコドンドコ下って行きます。「こりゃ可笑しいぞ!さっきの分岐まで戻ろう」「えーっ」と、普段なら不満気なのですが新緑の美しさとツツジの残り花に疲労を感じておらず2度の道迷いもルンルンで分岐まで引き返しました。
河内飯盛山は色々なコースがありますが本日はヤマドリが出るかも知れないと言う微かな期待を胸にジョンの希望で「竹林コース」を登って行くことにしました。竹林コースは、多くの登山道の中でも一般的な登山道で自然も豊かなで四季折々の山野草を楽しむことができ、秋は紅葉も美しいらしいです。いまは新緑がとても綺麗です。ところどころに地域の人たちが育てている山野草が杭の中に守られていました。「有毒です」と、どれにも書いていて笑えました。(ほんまかいなぁ?)
軌道修正ができてしばらく穏やかな稜線歩きが続きます。頂上まであと少しと言うところで電波塔が見えてきました。地図を確認したら頂上はまだ先の様です。
昼食場所に最適な広場もありましたがまずは頂上を踏んでから昼食にしようと空腹を我慢して頑張りました。 
飯盛山頂には飯盛城址がありました ここで昼食です。
 飯盛山山頂から大阪市内守口、門真、寝屋川市方面を望む
大阪城 天保山観覧車 HEPの観覧車
河内飯盛山の頂上から大阪城天守閣までは約12km、天保山観覧車までは約22km、HEP観覧車までは約15kmです。
展望台付近で弁当を広げゆったりとした時間を過ごしました。慌てて下山するのは勿体ないです。美味しい山の空気で身体中を浄化してから下ることにしました。ここはコロナ菌とは無関係の安全・安心な場所なのです。展望台からは霞がかかってはいましたが河内の町並みや、なみはやドーム、アベノハルカス、大阪城もみえました。
立派な楠 正行公の銅像と立派な姫好みの虎杖 (ええーーーーーーえっ、どんな関係があるの?……無いよ)
 飯盛山は、『河内飯盛山』と表記されており標高は314.3m。山頂部には飯盛城の曲輪跡や石垣跡が今も多く残っています。また、山頂部には「♪青葉茂れる桜井の~ 里のわたりの夕まぐれ 木(こ)の下陰(したかげ)に駒とめて 世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上(え)に 散るは涙かはた露か~♪」楠木正成 とその息子 楠木正行 の別れを歌った有名な歌もあり、南北朝時代の四條畷の戦いで戦死した楠木正行の銅像が建っておりました。残念なことに凛々しい顔は木の枝が伸びて隠れておりハッキリと拝顔することは出来ませんでした。(誰か気づいて銅像の顔にかかる枝を切ってはくれまいか?……そうだ 大東市役所があるわ)
ここからはきつーい傾斜の登山道を下っていきます
下山ルートは急な下りでストックに助けられながら、時々立ち止まり休憩し転倒しないようにゆっくり降りていきました。途中から30人以上の団体も登ってきたので道を譲りましたが「登り優先」の精神からか下山者に道を譲ることもなく堂々と登っていかれました。常識のあるリーダーならば15人あたりで下山者に道を譲るのですが・・・ご高齢の団体でしたので腹も立たず若輩者(笑)の私達が最後の人が通過するまで延々と待ちました。 
 四条畷神社の裏側で休憩です  今日も野鳥撮れなかったヨ
 四条畷神社が見えてきました。期待したヤマドリは声はすれども姿は見えずで重たい鳥撮影用のカメラのシャッターを一度も押すことなくリュックに仕舞うジョンの姿が少し寂し気でした。ゴールのご褒美にキンカンを頬張り鳥居の前で記念撮影を済ませJR四条畷駅に到着しました。
四条畷神社の参道です
ゴールのJR四条畷駅構内に「四条畷神社」の碑が立っていました。現在はJR学研都市線と愛称されているJR片町線。
もともとは四条畷神社等への参詣鉄道として、明治28年(1895)、浪速鉄道が片町駅-四條畷駅間を開業したのが始まりです。その記念碑なのでしょうか。
●「桜井の別れ」
『1336年6月、九州で劣勢を挽回して山陽道を怒濤の如く東上してきた足利尊氏の数十万の軍勢に対し、その20分の1ほどの軍勢しか持たない朝廷方は上を下への大騒ぎとなった。新田義貞を総大将とする朝廷方は兵庫に陣を敷いていたが、正成は義貞の器量を疑い、今の状況で尊氏方の軍勢を迎撃することは困難なので、尊氏と和睦するか、またはいったん都を捨てて比叡山に上り、空になった都に足利軍を誘い込んだ後、これを兵糧攻めにするべきだと後醍醐帝に進言したが、いずれも聞き入れられなかった。そこで正成は死を覚悟し、湊川の戦場に赴くことになった。

その途中、桜井駅にさしかかった頃、正成は数え11歳の嫡子・正行を呼び寄せて「お前を故郷の河内へ帰す」と告げた。「最期まで父上と共に」と懇願する正行に対し、正成は「お前を帰すのは、自分が討死にしたあとのことを考えてのことだ。帝のために、お前は身命を惜しみ、忠義の心を失わず、一族郎党一人でも生き残るようにして、いつの日か必ず朝敵を滅せ」と諭し、形見にかつて帝より下賜された菊水の紋が入った短刀を授け、今生の別れを告げた。なお、訣別に際して桜井村の坂口八幡宮に菊水の旗と上差しの矢一交が納められ、矢納神社の通称で呼ばれた』
●JON
最近志向が楽な方へ楽な方へと向かっているため登山道の合流点を2度も間違ってしまいました。
絵日傘コースから左に分かれた竹林コースの最初の合流点は七曲コースだと思っていて合流点を左に折れれば山頂は近いと思っており、記憶通り最初の辻を左に折れると分岐になっており右にとると下山道の様相、分岐まで戻って左に行くと此処も何やらおかしい。竹林コースの分岐点に戻って案内板を探すと小さな板に飯盛山右と書いてあります。大きな勘違い、山岳遭難の第一は道迷いだ。その後、七曲コースへ出て頂上へ。
「迷ったら元へ戻れ」は正しい指導でした。
終わりに 
5月は私がコース担当なので野崎参りと楠正成親子の別れを説明しようとガイド文章を用意して行きましたが・・・説明できずでした(😢)あまりにも新緑が美しすぎて、それどころではなかったのです。河内飯盛山はまれにみるお気に入りコースとなりました。平凡で無く、それでいて危険でなく、ほどほどに岩場が出たり切通もどきがあったりと変化に富んだコースでした。ただ町が発行している地図はおおざっぱで山中も道標も少なく、分岐も多いため迷い道に入ってしまいます。アレレ?と思ったら分岐まで引き返し軌道修正も仲間と一緒なら楽しい山行でした。6月は北海道です。
四条畷 https://www.youtube.com/watch?v=tZybPRCXMoU
大楠公の歌 https://www.youtube.com/watch?v=uzUDa4ajIbk
 YouTubeで聴く 河内長野市出身の  ソプラノ歌手 西尾 薫さんの「四条畷」と「大楠公の歌」をお楽しみください。