伝法正蓮寺 川施餓鬼法要 2019.08.26
 
夏のはじまりを告げる天神祭り、夏の終わりを告げる川施餓鬼の時期が今年もやってきました。此花の伝統を山友にも見せたいとお誘いしたところ「行く、行く、行くとも!」の返事が返ってきました。
まずは此花区民ホールへの事前申し込みを済ませ当日を待ちました。「曇り空だったらいいのになぁ」とわがままな思いは外れ、「夏は暑いんやっ!」と言わんばかりのカンカン照りです。午前10時30分出発に合わせて6人全員集合しました。冷房の効いた区民ホールの中で、コース説明「水分補給をこまめに摂る」、「グループ単位で動く」「一般の人に迷惑かけない」等の諸注意を受け、ストレッチを済ませいざ出発です。

スタッフの皆さんは下見を終えられて、休憩場所も調べ、日影を選んで説明をしてくれています。説明を聞きながらゾロゾロとついて歩くだけのウオークがこんなにも快適だとは思ってもいませんでした。

以前、所属していたウオーキング協会は300人以上を引き連れて交通量の多い市内を歩きます。信号が点滅しようが歩道を横一杯になって歩こうが、一般参加者が多いため注意しても聞いてくれません。通行人からの怒声を聞きながらアンカーである私がいつも「すみません、すみません」と謝り続けていました。先頭集団はアンカーを見つけたら「姫がきたぞっ!さぁ出発っ!」・・まあ300人もいるので仕方がありませんが。そんなウオーキングの理事を永年続けましたのでスタツフの皆様のご苦労は誰よりもわかっているつもりです。スタッフの皆様ご苦労様でした。
此花区民ホール受付へ
 スタートして正連寺川公園の横を通り鴉の宮へ
鴉の宮
 スタートして正連寺川公園の横を通り鴉の宮へ。村と港の繁栄を祈念して、伝法村の中心に伝母頭神社として社殿を建立。ここを訪れた豊臣秀吉が旅の無事を祈願したところ。社殿奥の森より三足の鴉が現れて数々の瑞兆を示したという。平穏に帰国を果たした秀吉は感激し、当社に「鴉宮」の名を贈ったそうです。それに合わせ、鴉が巣を成している森地に遷宮したと伝えられています。 (国の登録有形文化財に登録)
鴻池本組本店
隣接する鴻池本組本店は、何度も訪れているのですが説明があると、なるほどと頷くことも多いです。和風屋敷に洋館をつけた和洋併置式邸宅で、ステンドグラスを用いた装飾や、水洗トイレ、折りたたみ式のベッドなども設備されているそうですが現在は内部の一般公開はされておりません。
澪標住吉神社
鴻池組本店から少し歩くと澪標住吉神社に到着です。去年の台風21号で大きな被害を受け今も無残な爪痕を残したままとなっています。社名は、浪速津の川口に建てられた澪標に因ります。 浪華八十島のひとつで遣唐使の一行がこの島の景勝に感じて、航海の安泰を祈願するために島の一角に住吉四柱神を奉祀。島民が祭壇跡に祠を建立して帰路の印に澪標を建てたといわれています。

中世には京へは大物の浦より神崎川を遡行して寂れたが、豊臣秀吉の大坂城築城では伝法口として湾内随一の要津となり、また、水質にも恵まれ、灘五郷に先駆して酒造の本場となり、江戸時代には樽廻船で販路は江戸・東北・北海道に及び、航海の守護神として崇敬されたそうです。
マンボウトンネル
淀川堤防に上がる途中、小さなトンネルをくぐりました。今までは暗いイメージでしたが子供達の壁画によって夢のあるトンネルに様変わりしていました。その名もマンボウトンネル。何故マンボウと言うのでしょうか?マンボウというと、水族館で見るあの大きな魚を想像しますが調べてみたら、炭鉱の坑道をさす「間歩」(まんぼ)に由来するのが有力だとか。(諸説あるのでどれが正しいのかは不明です)
此花区の伝法と言う町には多くの寺院があります。小さな路地を歩くと安楽寺がありました。浄土真宗本願寺派の寺院です。 更に歩くと西念寺がありました。西暦645年の頃、インドの法道上人が渡来して、草庵を結んだ跡と伝え、古くは法道の松という老松があったそうです。伝法川架橋工事中に作業員が高熱で倒れ、川底から出現した石像十一面観を祀ると治まったといい、観音霊場として西国に広く知られたそうです。また明治の頃には伝法小学校が置かれていたらしい。
川施餓鬼・隅切弁当
歴史ウオークを済ませ川施餓鬼の船に乗るため、正蓮寺に隣接する「れんげ保育園」に案内されました。園内は冷房が効いていて生き返った気分でホッと一息つけました。おまけに「川施餓鬼・隅切弁当」をいただきました。隅切弁当は夏場で腐り易いのため3日3晩煮込み、甘辛く煮付けた伝統的弁当だそうです。質素な精進料理ですが伝統的な味わいを醸し出していてご飯が足りなく感じるほど美味しかったです。(正直言うとご飯・・足りなかったバチアタリナコトヲ・・・)

正蓮寺境内からは読経の声が聞こえてきました。昼食後は、法話を聴いたり、場所を移動して此花区の歴史のスライドを見たり、消防署副署長のミニ講座「警戒レベル」について聴き有効な時間を過ごしました。

境内からは関係者の人達が、ざわめきはじめ出発時間が迫っていることを感じ取ることができました。
『施餓鬼(せがき)とは、餓鬼道(がきどう)にあって飢えと渇きに苦しむ餓鬼に飲食を施し仏に供養することによって餓鬼を救済し、自身も長寿することを願う仏事をいうのだそうです。特に川辺で死者の霊を弔う施餓鬼を川施餓鬼といいます。川辺や船を用いて行われ、施餓鬼法要の後に、水死者の法名を記した経木や供物などを川に流します。
昔は天神祭とならぶ夏の大きな祭となっていたらしいです。現行の行事は8月26日の午前10時から特別法要がはじまります。午後3時頃から乗船場(新淀川閘門繋船場)へ向かいました。行列は先見(せんけん)、金棒(かなぼう)、旗幡(はた)、纏(まとい)、稚児、御輿(みこし)大太鼓、僧侶、団扇太鼓(うちわたいこ)、檀信徒これらの順に進み、日蓮聖人立像を納めた御輿には多数の経木も納められます。行列が乗船すると、玄題旗(げんだいき)と吹き流しを立てた船団は新淀川の中央まで進みます。先頭の船の舳先(へさき)で導師が読経をしながら経木を流し、それに合わせて参列者が御題目を唱えながら経木を流します。』
 ジリジリと容赦なく照り付ける太陽は息苦しさを感じるほどでした。私達は行列の後に続き、この日のために仮設された新淀川船場から乗船し、日蓮聖人立像を納めた御輿の乗る船を眺めていました。導師が読経をしながら経木を流し、私達も経木を流しました。流した経木は水に溶ける非木材パルプを使用しているため環境に優しいのだと説明がありました。大阪市指定文化財の行事は、過ぎゆく夏に終わりを告げ秋を迎える伝統行事として此花区に根付いております。此花区には、まだまだ見どころがいっぱい隠されているようです。
 ●ひめの感想
師匠は川岸からビデオを廻し続け、合流した時は日焼けで顔が真っ赤になっていました。帰りは西九条駅まで送迎バスがあると資料に案内されていましたが既に発車した後らしく、大阪シティバスに乗り西九条界隈で「反省会」ビールが喉を通過する音がたまらなく、食欲旺盛、話も弾み次回の山行は10月下旬の熊野古道「三反帆船」コースを企画することにしました。みんなと別れた帰り道、公園ではコオロギが鳴いていました。もうすぐ秋なんですね。