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途中、中将姫の墓にも立ち寄りました。(中央左)とても立派な墓所で綺麗な生花が手向けられていました。 |
中談中央にあるのは奈良県最古の五輪塔。国重文 当麻北墓五輪塔と呼ばれており 平安後期 凝灰岩、高さ245cm |
『中将姫の両親には、なかなか子宝に恵まれなかったので、長谷寺参詣により熱心に祈願し、観音菩薩のお陰で、娘を授かり、中将姫と名付けたそうです。中将姫5歳のとき、母・紫の前が病死、7歳のときに継母がやってきました。継母と実父の間に弟が誕生すると、継母は中将姫の優れた気質が鼻に付くようになったそうです。中将姫は9歳になると、女帝・孝謙天皇と百官の前で箏を演奏し、大変な賞賛を受けるのですが、同席し箏の演奏が上手くいかなかった継母は、これを契機に中将姫への思いが抑えきれないほどの激しい憎悪に変わり、この後、命をも狙った壮絶な継子いじめが始まったと言われています。中将姫は不思議な力に助けられ、ことごとく失敗することになる。そればかりか、中将姫を毒殺しようとして、誤って実子・豊寿丸を死なせてしまう』という伝説がありました。 |