近鉄ハイキング 大阪-1 新石切駅~石切神社~辻子谷~興法寺~ぬかた園地~枚岡公園~枚岡神社~近鉄枚岡駅 2018.02.24
 
大阪-1  「近鉄・あみま倶楽部てくてくウオーク」   10km
近鉄ハイキング   新石切駅~石切神社~辻子谷~興法寺~ぬかた園地~枚岡公園~枚岡神社~近鉄枚岡駅
熊野古道歩きを完了して何かポッカリと空いた穴。お山に出かけるには雪山は寒いし・・
そこで見つけたのが近鉄電車主催の「あみま倶楽部」と言うハイキングの案内でした。
近鉄電車沿線をフリーウオークで好きなコースを好きな時に歩くのです。もう団体歩行の、お行儀の悪さには、うんざりしていますし、今更団体歩行には戻れません。

あみま倶楽部とは「あるく、みる、まなぶ」の頭文字をとった近鉄沿線を楽しむ会員制ハイキング倶楽部。会員登録をすると「てくてくまっぷ」や近鉄ハイキングで歩いた踏破回数に応じたプレゼントや、乗車券・特急券の割引券、近鉄沿線の寺社・施設の割引など、さまざまな特典が付いているそうです。

「好きなコースを2つ選ぼう」と、色々考えましたが、思い浮かばずで、まずはマップの1番から歩いてみようと言うことになりました。まず初回は「生駒山麓辻子谷・摂河泉展望コース」を選びました。朝は少し肌寒く感じましたが太陽が昇ると小春日和で少し汗ばむほど。参加者はやまたびメンバーで、新石切駅午前9時30分の集合です。
駅でまずスタンプを貰いました。ゴールではなくスタートでスタンプ押印と言うのも珍しいですが出かける前によく調べて行かないとスタンプを貰い損ねる場合がありそうです。(スタンプマニアだぁ・・・笑) 
 ▲石切剣箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)
駅を出るとすぐに石切剣箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)です。大阪平野の東、生駒山麓に鎮座する石切劔箭神社は、「いしきりさん」と親しみを込めて尊称され、社号の「石切劔箭(いしきりつるぎや)」は御祭神の御神威が強固な岩をも切り裂き、貫き通すほど偉大な様をあらわしております。

姑を連れて病気回復に来て以来かもしれません。早朝にも関わらず、お百度を踏んでいる人達が30人はいたと思います。どの顔も真剣でお百度石を廻っておられました。石切神社は でもの はれものに あらたかというだけに平日でも参拝者は多いそうです。お百度詣りの切ない願いもそれゆえなのでしょうか。
神社を出て、石切神社参道商店街の中を進みます。結構な上り坂の両側に、お店が並んでいます。煎餅屋、漬物屋、お餅屋、うどん屋、それに占いの店の多い事。坂道を登りながら沿道のお店も気になります。「帰りに買うね」そう言いましたが帰りは枚岡駅~(トホホ)

1本道をひたすら登ります。私達は近鉄けいはんな線を利用しましたがまだ上にも駅がありそうで上から人がどんどんと降りて来ました。突然に大仏様・・・ここで衣類調整とレーションを頬張りました。日本で3番目の大仏様と書いてありました。(三大大仏は東大寺の奈良の大仏、鎌倉の大仏、残る1尊は高岡大仏や岐阜大仏とも言われていますが定説は無く、事実上空位らしい) 
▲土塀のある街道
近鉄電車奈良線のガードをくぐると商店街は終わり住宅地になりました。ここから買い物に行くのは大変だろうなぁ。雑踏でも都会のド真ん中は生活がし易いとつくづく感じながら歩きました。しばらく歩くと大師堂がありました。ここから興法寺までの間お地蔵様が沢山並んでいました。大師堂からが見えました。せっかくだからお詣りして行こうと言うことになり階段を登る~登る~かなりの階段でした。
▲ 「四光地蔵尊」と呼ばれる線彫りの阿弥陀坐像
爪切地蔵尊と呼ばれ室町初期頃の造立だと考えられて居ます。
地蔵の背面、道路側からはこちらが正面に成りますが・・・、「四光地蔵尊」と呼ばれる線彫りのこんな阿弥陀坐像。
弘法大師が爪で、一晩で彫ったと言う説もあるようです。
▲石切神社上之宮
急な道を上へ上へと登っていきます。車やバイクの音がすると狭い道を塀にもたれ掛かるようにして避けないと、ひかれてしまいそうです。前から車がきたらどこで交わすのだろうかと心配するほどの道幅です。地図に復元水車と休憩所と書いてあったので立ち寄ってみました。かつて辻子谷沿いには、 音川の水を動力とする水車がたくさんあり、製薬 等に利用されていました。電気の普及とともに廃れてしまいましたが、復元された実物大の水車を 見ることができます
▲路傍の石仏を尋ねながら上がっていきます 
▲電気の普及とともに廃れてしまいましたが、復元された実物大の水車
生駒山の西側山腹の興法寺を経て、宝山寺に通じる辻子谷(ずしたに)越えの山道は、江戸時代以降、信仰の道として大いに利用された。
 この辻子谷を始め、生駒山麓の各谷では、当然のことながら谷川の水を利用して水車が設けられ、自家用として利用されていたが、江戸時代には大坂の商業発展とともに、水車を工業用として利用するようになり、昭和18年頃には生駒西麓一体では117輌の水車があったといわれる。
 特に、ここ辻子谷では谷の奥深くまで水車小屋が並び、寛永年間(1624~44年)には胡粉製造が始まり、元禄年間(1688~1704年)以降は和漢薬種の細末加工が増え、明治から大正にかけての最盛期には最大44輌の水車が稼動していたという。
 これらの水車は1914年(大正3年)大軌電車(現近鉄奈良線)が開通した後の電力普及とともに減少の憂き目にあったが、辻子谷では芳香成分を含む薬種加工が主であったため、他の谷より永く水車が残され1975年(昭和50年)頃まで細々と使われていた。
 現在では、各種機械製粉機の発達にともない伝統産業として、香辛料や生薬の粉砕行が続いており、この地区を通り抜けるときは、漢方薬独特の匂いが漂っている。 
▲途中で出合ったソウシチョウ
 この鳥を目にしたときは「キクイタダキ」かと思いながら撮影しました。帰宅後調べてみると「ソウシチョウ」だったのです。
 ソウシチョウは、鳥綱スズメ目チメドリ科に分類される鳥類。外来生物法で特定外来生物に指定されており、「日本の侵略的外来種ワースト100」の選定種の1種.

元来日本列島には棲息していなかった鳥であるが、江戸時代から飼い鳥としてしばしば輸入されていたようである。野生化は1931年に六甲山(兵庫県神戸市)で初めて確認されたが、これは神戸在住の華僑が祝典の際に放鳥した個体が定着したものと考えられている。この一群は六甲山に定着できなかったらしく、1945年以降に姿を消した。なおハワイ諸島においても、ホノルルの中華街で大火事が起きたときに華僑が飼っていた個体が逃げ出し定着したのが始まりとされている。

本格的に日本に入ってきたのは1980年以降であり、日中国交正常化にともない、本種の中国大陸からの輸入が激増したことが原因として挙げられる。また本種は雑食性でもあり、扱いやすいことも輸入増加の原因になったと思われる。さらに本種の価格は非常に安価だったため、外来生物法が施行されるまでは、どこのペットショップに出向いても本種の姿が確認できた。そうして在庫を抱えたものの、販路や多額に及ぶエサ代に困って遺棄(放鳥)に及んだ悪質なペット販売業者があったようである。
  
近所に住むお爺さんが「まだ道路は工事中でしたか?」と尋ねられました。工事中で2時間も待たされて困った話をされていました。ブロック塀に頑丈な鉄の柵がついていたので理由を尋ねるとトラツクが突っ込んできて塀を壊されたので予防の鉄柵を作ったのだそうです
アスファルト道が終了し、お気に入りの山道となりました。砂倉橋を渡って、「興法寺0、4キロ」の看板を目にしました。かなり急な上り坂の両側には真っ赤な、よだれ掛けのお地蔵様が沢山並んでいました。
シャツにSagawaと書いた若者が降りて来ましたので「え~っ!上まで配達ですか?」と驚きの声を上げると「はい、興法寺まで配達に行ってきました」とのことでした。ご苦労様です。みんなで配達の品は重い品か軽い品かと話していたら興法寺に到着しました。開基が役行者で平安時代の弘法大師が諸堂を整備した古刹。本堂の手前に4本のしだれ桜があり4月中旬は綺麗らしいです。
 ▲鷲尾山  興法寺 (わしおざん こうほうじ)
真言宗醍醐派に属し、この寺の所在をとって山号を鷲尾山という。役行者の開基といい平安時代に建立された山寺の一つである。
河内国守護となった畠山基国が当寺を修造したが再び兵火に見舞われて荒廃した。
大正五年現在の寺観が整備された。この寺の本尊木造三面十一面千手観世音菩薩立像は平安時代後期に製作されたすぐれた彫刻で、東大阪市文化財保護条例により有形文化財に指定されている。(案内板より)
興法寺を過ぎて石段はさらに急になりました。ストックを持ってこなかったことに後悔しきり。分岐に出たところで昼食タイムとなりました。陽だまりでまったりとして時間が過ぎていきます。どこからともなく通過していくハイカーや、トレイルランの人達も足早に過ぎ去って行きました。道標は色分けして付いておりオレンジ色の辻子谷コースを見逃さなければ迷うことはありません。
午後からは生駒山頂に向けて出発です。辻子谷北出会から10段ほど登ると石畳の水平に近い道が続きます
 午後からは生駒山頂に向けて出発です。「ぬかた園地」と言う看板が出てきました。周辺は既にぬかた園地の敷地内なのです。生駒山頂へは通行止めの看板が立っていました。柵の横をすり抜けていく人もいましたが通行止めの中を行かずともよかろうと言う判断のもと、管理棟へ向けて歩きました。あじさいの季節なら美しく咲き乱れているのでしょう。今は枯れたあじさいの先には芽吹きを感じました。間もなく春の訪れです。今の季節は椿が一面に咲いていました。赤、白、ピンクなど様々で結構楽しめました。管理棟に向かっていると後ろからおじさんが「額田の大エノキですよ」と教えてくれました。知らずに通り過ぎたので、わざわざ教えてくれたみたいです。よく見ると根元に説明板が落ちていました。説明板を持ち上げて記念写真を撮り、管理棟へと進みました。管理棟はシーズンオフらしく傍にある休憩用のテーブルで温かいコーヒーとおやつを頂きました。ここからは下りの「摂河泉展望コース」と名前がかわり景色を楽しみながら下って行きました。
 ▲摂河泉展望
 ▲画面下には今朝降りた新石切駅が見えます  ▲見える見える
後ろが騒々しいので振り向くと20人ほどの「きた〇〇ハイキング」の腕章をした団体が歩いてきました。かなりの速度で降りていきました。団体に道を譲りゆっくりと降りて行くと先ほどの団体が休憩を取っていました。きちんと登山道から外れて休憩している人もいましたが道路の両脇に座り込んでいる人達もいて、あまりマナーの良い団体と言う印象はありませんでした。
▲額田の大エノキ 
案内所前で休憩
しばらく下っていると大きな案内板があり額田駅と枚岡駅に降りるコースがあり「枚岡梅林」に行こうと相談していると休憩中のお爺さんが私達の会話を小耳にはさんだのか「枚岡の梅林はないよ」と言われました。まだ時期が早いのかと聞くと3年ほど前に梅の木数本がウイルスにやられて公園内の梅の木全て抜いてしまったらしいです。
りっぱな展望台を見つけました。コースから少し外れていましたが行って見ることにしました。額田展望台です。この日は春霞でスッキリとはいかないまでも大阪の町並みが綺麗に見えています。ハルカスや石切神社も見えています。途中で追い越した「きた〇〇ハイキング」の団体も降りてきました。あまりに道路一杯に広がって歩いていたので写真をパチリ・・・しかも最終で「人数が足りない・・・!」と、幹事さんが再び登っていかれました。(しっかりしようねっ!)
▲法照寺 ▲枚岡神社の裏門の手水 ▲枚岡梅林
 ▲枚岡公園の梅林
 半信半疑で枚岡神社経由梅林に行って見ると1本の梅の木も無く、そのかわりボランティアの人達が植えたと言う水仙や菜の花が植えられていました。帰ってから調べてみると『枚岡公園の梅林は「大阪みどりの百選」に指定されていますが、ウメ輪紋ウイルスに感染したことを理由に、2016年の開花を最後として、梅の木は全て伐採された。梅林の再生には4年以上かかると府は推測している』山で出会ったおじさんの話は本当だったんだわぁ。
枚岡駅午後3時ゴールです。反省会はお好み焼きとビール。次回の約束をして解散となりました。 
上記地図をクリックしていただきますと 近鉄てくてくハイキングまっぷ にリンクします
 ひめの感想
新しい楽しみを見つけました。「近鉄てくてくまっぷ」は、細かく色々な情報を書いてありますが、細かすぎて、字が小さすぎて歩きながらじゃ読めやしないっ!事前に下調べして行かないと見逃してしまいます。資料にハイキングと書いてありましたので登山靴も履かず、ウオーキングシューズで、しかもストックも持たず出かけました。しかしバリバリの登山コース・・・でした。次回からは使っても使わなくてもストック携行。捻挫防止にハイカットの登山靴は履いて行くことにします。
 JONの感想
生駒は簡単に行ける山だからでしょうか。高齢者の単独行が男女を問わず多いです。途中3つのグループに出会いましたが、いずれも横に広がって歩いています。久しぶりに「やまたび倶楽部」という登山の会を主宰していたころを思い出しました。多い時は10名づつを3グループに分けて、それぞれの間をあけて歩いていました。当時の参加者に聞くと「よく怒っていた」そうです。怒っていたのではなく、注意指導していただけなのですが…でも怒ってたのでしょうねえ。
●命に危険を及ぼすようなとき ●他の登山者に迷惑をかける時 そんな時は大声を出していたのを思い出しました。
今は声すら出すことは少なくなったと思っています、下ネタ全開の時以外は…。
★しゃべりながら歩くな★山に関係のない話はするな★山に来て井戸端会議するな★道を広がって歩くな★道を塞ぐような休憩の取り方をするな★細かく数え上げればキリがありません。
下山口近くで「グループのメンバーが足りない」とスタッフが戻っていましたが…。前後見える状態で歩かなければいけません。よく注意して登山を楽しみましょう。