2016
「ウッチー会長はすこぶる快調。ジョングループはアップアップ~」
須磨浦公園08:00 ⇒ 旗振山08:50-09:00 ⇒ 栂尾山10:23-10:30 ⇒ 東山(昼食)11:30-12:00 ⇒妙法寺12:20 (熱中症のため途中下山)
(鵯越駅⇒菊水山⇒ 鍋蓋山⇒ 市ケ原⇒三ノ宮駅)は実施せず
「聖岳&光岳」を目指して勢力的に夏山トレーニングを実施してきました。山行打ち合わせの時間も必要だと言うことで、中休み的なトレーニング「神戸八宮巡り」も楽しみました。7月7日は最終回と言うことでウッチー会長のお膝元の神戸の街を見下ろしながら須磨浦公園から三ノ宮駅まで歩きトレーニングを終了する予定を立てました。
梅雨空の中休みですでに外気温は30度を超えています。須磨浦公園を午前8時に出発しましたがいきなりの長い階段で既に汗は噴き出していました。鉢伏山のロープウエイは午前10時の出発にむけて試運転が始まっていました。「あれに乗れば楽だろうなぁ・・・」六甲全山縦走大会のスタート地点の須磨浦公園からわずか1時間足らずで旗振山(253m)に到着です。 
旗振茶屋からは須磨海岸、神戸空港、明石海峡大橋を見渡すことができます。昨日も訪れていたと言うおじさんが「昨日は霧で何も見えなかったよ」と教えてくれました。旗振山周辺は東西に見通しが利き、17世紀末の元禄時代から電信が普及する大正初期まで、大阪堂島の米相場を畳1枚ほどの大きな旗を振って伝達する中継点で、それが由来となって旗振山と呼ばれています。この付近にはヤマモモがたわわに実を付けていて小鳥たちがついばんだのか地面に沢山落ちていました。ヤマモモは「高知県の木」です。子供の頃はヤマモモの木の枝に乗っかり美味しく頂いたものです。
 明石海峡を跨ぐ明石大橋です 両端の橋台と橋梁の中央部との高度差は43m有るというから驚きです
旗振山から20分程歩くと鉄拐山(234m)に到着 標高こそ低いですがどれもりっぱな山頂を構えており見晴らしも抜群です。ウバメガシの並木がお目見えしました。備長炭の原料となるそうです。ウバメガシの並木は日陰で涼しくて風も通り気持ちいいです。
鉄拐山の頂でーす
鉄拐山 復興基準点 鉄拐山 三等多角点
 多角点について
地図測量には三角測量だけでなく多角測量とよばれる方式も採用されています。多角測量はトラバース測量ともいわれ経緯儀、巻尺(近年は電波測距儀)などをつかい既知点から、つぎの未知点への方向と距離を求め、つぎつぎ繰り返して離れた2地点間の位置を求める方式です。
閉合点(ループの終点)に着いてみなければ測量結果の合否の判定がし難いという欠点があります。

地方自治体などが行う公共測量では多角測量のほうが三角点測量よりも普及しています。多角測量をやって位置を求めた点を多角点といいますが基本測量として国土地理院が設置したのは1951年(昭和26)以降、二等多角点だけで、一等も三等もありません。かつては標石も使用されましたが現存するのは金属標が多いようです。また位置精度は四等三角点よりもやや低下します。

二等多角点は1978年(昭和53)まで設置されましたが以降はは四等三角点に一本化されています。二等多角点は全国の主として平地部に多く設置され1967年(昭和42)時点では約8400点あったといわれていますが廃点が多くなり近畿地方では現在は1点も無いようです。
 阪神大震災復旧測量  復興基準点
1995年(平成7)1月17日の阪神淡路大震災後の復興のため急きょ設置された基準点です。1995年(平成7)10月から1996年(平成8)8月までの間に国土地理院が国土庁から委任をうけて800点を設置しました。これは国土地理院の地形図には載っていませんが三角点と全く同様に測量成果、点の記が公表されており、また基準点配点図もあります。500メートルから1キロメートル間隔で高密度に配置されています。

おおよそ震災後1年以内に設置され測量はGPSが使われました。標石はなく四等三角点でよく見かける金属標ですが「復興基準点」「公共」(三角点の場合「基本」)と神戸市などの市名が入っています。点名はFK150のように記号で表されています。上記写真は鉄拐山山頂にある復興基準点です。

神戸とその周辺には沢山あるようですが地形図にも載ってないので、いずれは忘れ去られるのでしょう。震災直後から復興のための測量に尽力された記念になにか目印でも立ててほしいものです。国土地理院では前身の陸地測量部のときから1891年(明治24)の濃尾地震以来、関東大震災、東京の戦災など数々の災害時にはいち早く復旧のための測量をされています。

なお「公共」の意味ですが国や地方自治体が費用(一部の場合もあり)を負担して行う「公共測量」を表します。これに対して「基本」は国土地理院が行う「基本測量」を意味し三角点や水準点が設置されます。復興基準点は公共測量の2級基準点に相当します。

復興基準点は2009年(平成21)から地方自治体に移管されました。もともと公共測量のためですから妥当な措置と考えられますが、もはや亡失したものもあるかと思われます。  
しばらく登ったり下ったりを繰り返していたら不思議なことに山の中に大きな街が出現しました。高倉台です。ここにはスーパーもあり、銀行、郵便局、交番もあり驚きの光景です。「静かに通過してください」と看板が掲げてあり登山者の雑音が住民に影響を及ぼさないようにとの忠告の様です。新しい看板には「登山者のマナーが悪い」の注意書きもあり肩身の狭い思いで足早に通り抜けました。
 高倉台の街並み  栂尾山へと向かいます
 集合住宅の間に おらが茶屋が見える  高倉の400階段だあ
街の中を通り抜けると、再び登山道を歩きます。 通称「高倉の400階段」にさしかかりました。見上げるとめまいがしそうなほど急で長い長い階段です。「ほんまに400段あるのかしら?」と今回は数えることにしました。356段しかありません。(数えたんかいなぁ?)私達は車道の上に架かる橋を渡り階段に取り付きましたが、もっと下の車道の階段から数えると400段あるらしいです。喘ぎながら、途中で休憩しながら、次の山頂である栂尾山(274m)に到着しました。
栂尾山頂でーす 栂尾山頂から見た おらが茶屋 方面
横尾山の山頂です
今日はウッチー会長が快調で私達が遅れを取っています。そのうえジョンが顔を真っ赤にして辛そうです。ウッチー会長が「今日はジョングループはどうしたんじゃ?」と余裕たっぷりに振り返ります。
どうも元気なのはウッチー会長だけの様です。天気が良すぎて「雨の方が楽やね・・・」と言い出す始末です。どこから見下ろしても展望良好!明石海峡もくっきりと見えていて素晴らしい景色です。そして次なるは横尾山(345m)に到着です。
私の大好きな須磨アルプスが目に入りました。「おっ来たな!」足取りが急に軽やかになりました。最終トレーニングは須磨アルプスを行ったり来たりで良いのではと提案しましたが却下されました。(笑)
 東山から見た横尾山(右上)と須磨アルプス  顔ほどあるオバケきのこ
東山が近づくにつれジョンの具合が悪くなり東山で早目の昼食を取り長めの休憩をとり身体を休めました。仕事をしている人達は丁度昼休みなのでしょう。ウッチー会長とジョンの共通の岳友からメールが入りました。「暑いから無理せんと途中でやめてビールでも飲んだらどうや?」
さて予定通り歩くか、ここでで止めて妙法寺に下るかと思案していた矢先のメールに 「全員異議なし」の声があがり、鵯越駅、菊水山、鍋蓋山、市ケ原、三ノ宮駅の予定を変更して妙法寺を今回のゴールとしました。
 ヘロヘロJON。でも食欲おうせー  あの向こうがワシの家じゃあ  なぬ お空の上かあ…だって
 妙法寺登山口まで降りてきました  ビールでカンパーイ  ではでは本番、聖・光でねー
「これ以上暑さの中を歩いて倒れてしまい、救助のトレーニングになってもなぁ」と笑いながら妙法寺に到着しました。駅の中にあるビルの喫茶店に入り冷たいビールを飲んで生きかえりました。無理は絶対に禁物です。若く見えても全員合わせりゃあ286歳じゃもんね。平均年齢70歳オーバーだもんね。
 「夏トレ・LESSON-6で感じた事」
頑張ってトレーニングを6回も実施して自信が少しついた気がします。暑くなり熱中症の心配もあり、途中でコース変更しました。何事も臨機応変が必要です。あとは本番の日を迎えるのみとなりました。「荷物は軽く」が成功への道だと思っています。トレーニング中は10キロまでの荷物で臨みました。軽くて、快適でした。聖岳・光岳はテント装備もありますので10キロで済むとは思っていませんが出来るだけ荷物を軽くするように工夫したいと思っています。あとは本番の天候を祈るのみ!
 姫の感想
南アルプスを最後に残したことで少々苦労をしています。いまから百名山を目指す人には「楽しい山を最後に残してアクセスの悪い山行を先に済ませた方がいいよ」とアドバイスしたいです。聖岳と光岳の山頂を踏めば・・・百名山目的達成の日も近いです
熱中症の対策は前夜からしておかないと当日朝から水を飲んでも 事すでに遅しです。寝汗をかくことを念頭に置いてたっぷりとのんでおきましょう。
文:美智子姫