2015納山祭
ウッチー会長は本日はすこぶる快調なり
「腰がピリピリと痛い」と言いながら今年最後の登り収めに六甲山全縦走コースを歩くことにしました。全縦コースとは言え、全てのコースを歩くのではありません。大金を積まれたとしても丁重にお断りをするほどの過酷なコースなのです。この日はほんの一部だけを歩いてきました。
世間はクリスマスだと大騒ぎしているのに小春日和の様な温かさで半袖で歩いても汗がタラリタラリと落ちるほどでした。
午前10時に須磨浦公園駅でウッチー会長と待ち合わせをして早目に切り上げ元町あたりで「納山祭の乾杯」をしようと計画を立てています。 
 須磨浦公園 09:45⇒鉢伏山展望台10:22⇒旗振山10:30⇒鉄拐山11:00⇒高倉山11:20⇒栂尾山12:00−12:30昼食
横尾山12:48⇒馬の背13:05⇒東山13:20⇒禅昌寺登山口14:00⇒那須与一の墓所⇒参拝後山陽電鉄・板宿駅へ 
山陽電鉄 須磨浦公園駅  
須磨浦公園駅は六甲山全縦走大会に出場した宇都宮チームの車を回収するために立ち寄った馴染みの駅であります。
彼らは、いつも夜明け前にスタートをしているのでこの日はスタート地点の風景を写真に収めて報告しようと考えてコース設定をしました。
駅の近くに平敦盛の菩提があると言うことで参拝をしてから出発することにしました。ウッチー会長の案内で平敦盛のお墓にお参りしました。
 平敦盛の墓所
 青葉の笛 (文部省・唱歌) 作詞:大和田建樹 作曲:田村虎蔵
平敦盛は笛の名手であり、祖父平忠盛が鳥羽院より賜った『青葉の笛』は有名です。
クリックするとYouTube にリンクします。
鵯越えで有名な一の谷の合戦で、海上に逃れようとした敦盛は、熊谷直実に呼び戻されました。
敦盛を組敷き首を刎ねようとした直実は、14歳の敦盛に驚き逃がそうとしたが、敦盛は断りそのまま討たれました。
その時腰に携えていた笛「名笛小枝または青葉の笛」を歌ったものです。

歴史を感じながらまずは鉢伏山へと歩いているとリスが現れました。猿や猪には遭遇したことがありますがリスは初めてでシャッターチャンスはまあまあだったのですが・・・すばっしこいのと木々が邪魔して失敗しました。でもなんとなくリスって分かっていただけるのでないでしょうか。
クリックすると 舟木一夫さんの 「敦盛哀歌」 にリンクします
衣類調整をして旗振山(253m)に到着です。
ここには旗振茶屋があり多くの散歩コースの登山者で賑わっていました。ここからは須磨海岸、神戸空港、明石海峡大橋を見渡すことができます。
旗振山周辺は東西に見通しが利き、17世紀末の元禄時代から電信が普及する大正初期まで、大阪堂島の米相場を畳1枚ほどの大きな旗を振って伝達する中継点で、それが由来となって旗振山と呼ばれています。
 旗振茶屋
 源義経一の谷の合戦  鵯越の逆落としの地への分岐
30分程歩くと鉄拐山(234m)に到着、標高こそ低いですがどれもりっぱな山頂を構えており見晴らしも抜群でとても気持ちが良いです。
不思議なことに山の中に大きな街が出現しました。スーパーもあり、銀行、郵便局もあり驚きの光景です。「静かに通過してください」と看板が掲げてあり登山者の雑音が住民に影響を及ぼさないようにとの忠告の様です。街の中を通り抜けると、再び登山道を歩きます。それからわずか20分ほどで次の山頂である高倉山(205m)に到着です。ここにはりっぱな建物の「おらが茶屋」がありますが本日は休業でした。
通称「高倉の400階段」にさしかかりました。見上げるとめまいがしそうなほど急で長い長い階段です。喘ぎながら、休憩しながら、次の山頂である栂尾山(274m)に到着しました。
丁度、時間も正午になったことから展望台の下にあるテーブルを借りてランチタイムとなりました。お湯を沸かしラーメンを作ったのですが箸を忘れ小枝を利用して即席箸を作りおいしくいただきました。
日当たり良好!展望良好!明石海峡もくっきりと見えていて素晴らしい景色です。
ウッチー会長はこの日は、足取りも軽やかで、すこぶる快調です。
 高倉の400段階段から栂尾山展望台へ
西神戸の街並み
途中で出会う人も少なくて快適に進み六甲山全縦走大会に参加の人達にも味わせてあげたいほどの、ゆっくり、のんびりの山行です。間もなく横尾山(345m)に到着です。
本日のメインでもある須磨アルプスに近づいてきました。芦屋のピラーロックよりも岩場らしくて楽しい通過でした。(今度はここだけ来たいなぁ)
馬の背ではしゃいで浮かれていると「早よう通過せいっ!落ちたら大怪我やぞっ!」とジョンが言います。
きっとジョンが怖いんやなっ(笑)…わしゃあ最近ロープがないと怖いんやー
名残惜しいですが須磨アルプスともお別れをして最後の山頂である東山(253m)に到着です。ここには温度計が吊るしてあり14度を示していました。暖かいはずです。春のようなポカポカさです。
 須磨アルプス 馬の背
那須与一の墓所
旧・六甲全縦走コースの禅昌寺方面に向けて下山することにしました。ウッチー会長がコースを熟知されており落ち葉の絨毯で足を取られることの無い様に慎重に急な下り坂を降りて行きました。「車道が見えましたっ!」14時00分、ゴールです。

「ここからすぐ近くに那須與市の墓があるが行きますか?」「行く、行く」と即決し、ウッチー会長に案内して頂き「那須與市公之墓」と幟のはためく階段を登りお参りに伺いましたが何故か門扉が閉まっており残念ではありますが外から手を合わせて戻って参りました。

那須與市は、幼い頃から弓の腕が達者で、居並ぶ兄達の前でその腕前を示し父を驚嘆させたという地元の伝承があります。また那須岳で弓の稽古をしていた時那須温泉神社に必勝祈願に来た義経に出会い、父が与一の兄と与一を源氏方に従軍させる約束を交わしたという伝説があります。『平家物語』に記される、扇の的を射抜く話は非常に有名であります。

バスに乗り、電車に乗り、元町界隈で「納山祭」の出来る店に入り1年間を振り返りました。
ジョンが珍しく意識が混濁するほど飲み(?)お開きとなりました。
新しい年も病気をせず元気で過ごせますようにと、固い握手を交わしウッチー会長とお別れして家路に着くころは、すっかりと夜のとばりがおりていました。