●1月31日(土)
「行ってきました・・・雪!」 高見山へ樹氷との出合い
7時15分発 五十鈴川行 急行 7時15分発 五十鈴川行 急行 まだ車内は空いています 榛原からは登山バス
年賀状に「簡単な山に連れてって〜」と一筆書きのあった昔の山仲間「junko」ちゃんに声を掛け高見山に行ってきました。ジョンの山仲間のカンさんコンビも同行することになりました。上本町午前7時15分発の電車の中でみんなと合流です。
高見山は、奈良県吉野郡東吉野村と三重県松阪市との境界にある山で標高は意外と高く1248.4mもあります。台高山脈の北端に位置しており、
奈良県側の紀ノ川支流の高見川(平野川・杉谷川)と、三重県側の櫛田川の源頭になるそうです。
この山付近を中央構造線(日本最大級の断層系)が通っているそうです。関西では冬に霧氷や樹氷を見ることができ、昔は高角山、高水山などと呼ばれたいたそうです。山頂よりの眺望は、すばらしく絶好の条件に恵まれたときは遠く南アルプスや富士山をも望み見ることもできるらしいです。
近鉄電車・大阪線の榛原駅ではリュックを背負った人達がドドドッと階段を掛け走ります。
大勢の登山者は「三峰山方面」「高見山方面」と左右に分かれてバスを目指します。大丈夫バスは乗客に合わせて台数を調整していました。
(奈良交通の冬のドル箱〜ですぞ)
駅から走らなくても立ち席無し、案内人がおるので心配しないでいいよ。
▲登山口の直ぐ上にある祠、頭上には鉈、鎌などの怖そうな刃物が
バスを降りて、スパッツをつけ登山の準備完了です。ゾロゾロと人の流れについて登山口から登り始め5分ほど歩くと、「旧伊勢南街道」の看板が立てられていました。 『又の名を紀州街道とも云う。紀州、大和、伊勢を結ぶ塩の道、米の道、魚の道の 交易路であり、かつては伊勢参宮の道であり、又紀州徳川家が江戸参勤交代にこの街道を利用した。特に夏季は大峰山、年末は年越え参りでさかえた。』 なるほど、なるほど。

途中に、鯛や鎌や斧の山道具の模型が木の枝にぶら下げられてあり山の神の祠を祀るて飾ってあるのかも知れません。とにかく驚きの記念写真をパチリっ!さあ此処から急登が始まります。

しばらく行くと「撞木松(しゅもくまつ)」の看板あり、『昔より此の名あり、形撞木に似たる為か往復(ゆきき)旅人が誰ゆうとなく語り伝へしものなり』ふ〜ん。そうだったのか〜
さあ今から急登になります 姫とjunkoちゃん ユカリちゃんとカンさん
前を歩く人達が一同にアイゼンを装着しています。私達も、休憩も兼ねてここでアイゼンを装着します。ここには大きな鳥居が立っており「小峠」の看板が立っていました。
レーションと水分補給の後、出発します。今年初めてのアイゼン使用です。
大峠に向かう若いカップルがおり「そっちの道は冬場は通行禁止ですよ」と教えてあげると間違いに気づいたのか軽く会釈して小峠まで引き返してこられました。

小峠からはいよいよ本格的な山歩きとなります。まずは木の階段の急登です。板面が微妙に凍結しており慎重に登って行きます。
「長く山登りしてないから歩けるかしら?」と不安がっていたjunkoちゃんをトップに歩き始めましたが、なかなかどうして、謙遜の塊の様で快適なスピードでヒョイヒョイと登っていきました。あとをついて歩くのが必死です。
途中には国見岩や、揺岩、笛吹き岩、息子岩などがあり説明文が立てられていました。ほかに「乳岩」などの興味を引く名前もあり楽しく通過することができました。
揺岩=「多武峰 大職冠 藤原鎌足公」と三度唱えれば揺るぎだしたと伝う
笛吹き岩=高見山の開祖聖人が月夜にこの岩頭にて笛を吹けば両谷より雄雌大蛇が駆け上がり笛の音を陶然として聞き入ったと伝う
息子岩=左約100米 沢の処にあり、此処より小石を投げてこの岩に命中すれば男子授かるとのこと
この日は曇り空に強風でしたが山頂に上がったとき一光が射して瞬間綺麗な霧氷を見ることが出来ました
山頂が近くなると傾斜もきつくなり無言で一歩一歩を大切に登り詰めました。風の強い場所は樹氷、霧氷が美しいです。風も強くなってきました。
稜線歩きを続けて行くと目の前に山頂避難小屋が見えました。中は大勢の人達がお弁当を食べていました。「とりあえず山頂を踏もう!」100mほど先にある山頂に到着です。山頂には「高見山」と書かれた立派な石碑がありその奥には「高角(たかすみ)神社」が祀られていました。
 エビの尻尾は長く伸びています。
山頂も大勢の人達でごった返しています。強風で長くは滞在できません。避難小屋まで戻ってくると入り口に行列ができていました。
強風の中で昼食もとれないため避難小屋の順番待ちの列に並びました。10分か20分ほど経つと食事を終えた人達が出てきて私達も中に入ることができました。前夜に南岸低気圧が通過し一気に冷え込んだため樹氷を期待しての人混みだと思います。
寒いときはパンと熱い紅茶かカップラーメンなどの暖かい物が良いと思います。
高見山は樹氷・霧氷はもちろんですが、初夏なら、山頂のブナの新緑、アシ谷の林間を流れる清流が美しく、ガクアジサイ、コアジサイが山道を飾ります。登山口から山頂まで2時間30分という手ごろな時間も人気です。
避難小屋で無事食事を終え強風の中下山開始です。かなりの速度で降りて行きましたのでやっとついて行ったと言う感じです。
後ろからおばちゃんグループが追い越していきました。真後ろを「どいて!」と言わんばかりに熊鈴を3個もつけて「ありがとう」も言わずに通過していきました。しばらくするとそのグループが登山道を塞ぐ格好で停まっています。「横を通りますよ」そう言いながら停まった理由を見ているとトップを歩く初老の男性の足が攣ったらしくポカリを強く勧めていました。そんなんじやなくまず攣った足を治してあげた後にボカリじゃろっ!と思いつつ追い越して前を進むことにしました。するとまたしばらくして鈴の音が聞こえてきて「どいて!」モードの勢いで迫ってきました。足の攣ったおじさんにはあの速度は気の毒に思いました。後ろを歩く女性に「追い抜くときは一声かけてね」と嫌味でやさしく言っておきました。私達はカメ歩行のため、ほとんど追い抜くなんて事はありませんがそれでも追い抜くときは「〇人通してもらいますね」と人数を伝え、アンカーは「私が最後です。ありがとう」と声を掛ける指導を受け今でも忠実に守っています。
山では色々な人と出会いいろんなことがありそれもまた教訓のひとつとして私に力を付けさせてくれるのでしょうか(力だけにしときや!脂肪は付けたらいかんぜ)
「そろそろアイゼン外そうか」と途中で外しましたがまだまだ不安定な道は続いていました。やっぱりスッテンコロリンしてしまいました。
尾てい骨に響くほどではありませんでしたが、一度滑ってしまうとその後は過剰反応して怖さが脳裏に焼き付いてしまいます。アイゼンは自分の技量に合わせて履いていたいと痛感しました。
樹齢700余年と言われる「高見杉」のところまで戻ると民家の建物がチラホラと見えてきました。ゴール目前に掛っている赤い橋の上で全員で記念写真を取り午後2時30分ゴール〜〜です。まだ時間があると荷物を広げて整理中にバスの乗車案内があり慌てました。
バスは午後3時出発と思いきや・・・1台分の人数が集まれば臨機応変に出発してくれました。(誰かさん・・・ヨモギ餅買い損ねましたね)
往路には装着してなかったタイヤチェーンでしたが復路には装着しており凍結予想の安全運転なのでしょう。ガタンゴトンと適度の揺れが思い出に拍車をかけてくれました。
上本町行の電車の中で「反省会どうする?」の声に「鶴橋と言えば焼肉だな」と言うことになりました。内心(私の食べれる焼肉の種類は上ロースだけなんだけど・・・・)と思いつつ流れに身を任せることにしました。するとカンさんが「オレは居酒屋がエエ」と私の心を知ってか知らずか助け舟を出してくれました。鶴橋の焼肉街の中で居酒屋を探すのは大変です。通りの突き当りに「居酒屋風」の店をみつけました。「酒と揚げ天ぷらてんてん」と書いてあります。「ここやっ!」
入るなり「今日はブリのカマあと3つ〜」「おっそれいいなぁ!」とあとは自分の食べたい品を口ぐちに注文し〆はジャコ握り飯で満腹!
「2月11日また鶴橋利用するから来たいね」と話をしていると「ハイご予約承りました〜!」威勢のいい店でお気に入りにゲツト!
2月11日は「和佐又山」を予定しています。
  【おまけ】                                                          霧氷と樹氷の違い(資料から抜粋)
霧氷とは
気温が氷点下のときに空気中の水蒸気や、氷点下以下でも凝固していない過冷却(かれいきゃく)の霧が樹木などに付着してできる氷のことである。白色や半透明で結晶構造が顕著な着氷現象の一つである。霧氷は生じ方によって樹氷(じゅひょう)、粗氷(そひょう)、樹霜(じゅそう)の三種類に分類される。
樹氷とは
霧氷の一つで、気温マイナス5℃以下に冷却された過冷却の濃霧が樹木などの地物に当たって、凍結付着した氷の表層のことである。
特に気泡を多くふくため白色で不透明である。また手で触ると簡単に崩れるほどで、非常にもろい。風の弱いときにできやすく、風上に向って羽毛のように成長する。また風が強いほど風上に向って成長し、これを「えびの尻尾」とも呼ぶ。
日本では蔵王の樹氷林が有名。中でも完全に樹氷に覆われた木はアイスモンスターと呼ばれる。他には八甲田山や伊吹山、氷ノ山、富士山などでも見られる。
文:みちこ