舞の森会
●10月24日(金)
第1回目を京都方面、第2回目を松山方面で実施し、第3回目を故郷四万十市で開催することができました。第2回目の松山からの帰りのバスの中で幹事である山本幸男君が不参加者の葉書を取り出して1枚1枚メッセージを読み上げました。「中村市でやるがやったら参加する」そんな声が4~5通あったでしょうか。「ひとりでも多くの参加者が集まるならば」と第3回目の同窓会開催地を四万十市と決定いたしました。発足以来、再び地元の幹事さん達にお世話になることになります。初回のご苦労は住所確認、安否確認等、地道な作業でコツコツと大変なご面倒をかけたことと思います。この会が続く限り私達は発足時の苦労を忘れてはいけないと思います。

同窓会に連続して参加をしていると不思議なもので「次回も都合がつけば絶対に行く」と開催日を心待ちするようになります。「お前誰じゃ?」と言われても仕方がないほどに空白がありました。しかし会ってみれば、記憶の糸をたぐりよせてみれば「ああ!わかった」と思い出すから不思議です。

遠く故郷を離れて暮らしていても春になればイタドリ採りに精を出します。蕗やワラビ、ゼンマイと山菜取りに山里に入り故郷を懐かしみます。今回はどのような顔ぶれなのか楽しみや不安を募らせながら会場である入野町にみんなが集合しました。

入野町にある「ネスト・ウエストガーデン土佐」が第3回目の会場です。「私は今海にいます」そんな言葉が似合う広大な海の目の前に建つリゾートホテルです。
『都会の喧騒を離れて、波のさざめきを耳に心から癒されるひと時をお過ごしください』とホテルのパンフレットには書いています。
この浜辺はサーファーに人気で木村拓哉、工藤静香、坂口憲治などの芸能人もやってくるそうです。 
中学校1年の時、高知谷から馬荷を超えて遠足に行った思い出の場所「入野」。小学校の時の遠足ではバスで訪れました。山の中で育つ我々にとって「海」は果てしなく大きな希望でもあったのです。水平線や潮の流れの説明を先生から受け(聞いてなかったちや)お弁当を広げるのが唯一の楽しみでした。今風に言うと東京ディズニーランドに行く感じでしょうか?おやつにバナナやリンゴを持たせてもらい幸せ気分を感じていた少年少女達時代。いまでは66歳を越えちゃいました。そんな幼き日の思い出を蘇えってもらおうと幹事さん達が入野の浜を会場に選びました。(心くばりがにくいね~)
 日帰りもよし、宿泊もよしと柔軟な企画のため参加者は32名と今までの中で一番多い人数でした。やっぱり「地元なら参加する」と言う声は貴重な意見だったんですね。今後は県外で1回、四万十で1回と2年に1度は故郷四万十で開催って言うのも悪くないなぁ。そうすれば両親や親戚にも会えるし、墓参りも出来るし一石二鳥だと思うのは私だけ?

見覚えのある顔・・・初めての顔・・・まずは開催時間まで宴会場で待機となりました。

男性、女性とテーブルが分かれてしまいました。こりぁいかんと一度会場から出で頂きクジ引きで席決めをしました。みなさんのご協力のお蔭でスムーズに段取りができました。

幹事の挨拶も短めで気が効いていました。「かんぱ~い!」まずは喉を潤してから明日の予定を発表するのですが「中村流」なのか真剣に聞いている様子が見受けられず「またかぁ~」と幹事の失笑が印象的でした。宴は盛り上がり親睦の輪を深めていきました。
 
宴半ばでカラオケタイムとなり自慢の喉を披露してくれることになりました。トップバッターは今回から校長から副校長に降格となった石男くんの「お久しぶりね」です。歌い始めて2番に差し掛かったところで「わしはこんな歌を頼んだ覚えはない!」うっそ~みんなに久しぶりに出会えたからって選曲したじゃあ~りませんか~!(酔ってたのね)石男副校長の歌を皮切りに、「男の一生、南国土佐を後にして」など、ご当地ソングの連発でワイワイガヤガヤのオンパレードでした。この夜ほど故郷の歌があると言う事を幸せに感じたことはありませんでした。
幹事が「そろそろ時間じゃけん・・・」と、そっと耳元でささやきました。では恒例の蕨岡音頭で幕を閉めようと歌詞カードを配り、豊永富恵師匠の後ろに続き大きな輪が広がりました。自分の村の歌があると言うことに誇りをもち、後世に歌い継いで行きたいと切望しています。できれば次回から赤ペラで歌いながら踊れれば最高です。
蕨岡米は、四万十市のレストランでは「蕨岡米を使用しています」と書かれるほどのブランド米で、蕨岡に嫁げば美味しい米も食べられるし、食うに困らないと言った内容の歌なのです。
素晴らしいっ!
宴会が終わると日帰り参加の方達をお見送りしました。地元だから参加できる・・そんなメリットもあり大勢のみなさんと再会することができました。今回の企画は大成功!
写真・文:美智子姫