大江戸物語「鹿教湯温泉」湯治の旅
「1週間ほど温泉に行きたいなぁ」そう思っていたある日のこと、私の目に「1泊2000円、個室で3000円湯治の宿」と新聞広告が目に飛び込んできたのです。場所は長野県松本上田市にある「鹿教湯温泉」場所も悪くありません。鹿教湯温泉近くにある信州の妙義山と言われる独鈷山(1266m)に登れるかもしれません。2011年の垢落としに行こうと言うことになりました。遊ぶことの決断は誰よりも早く、すでに予約の電話や荷物など、みんなの意思確認をするのと平行して着々と準備を進めていきました。恩師との死別もショックでしたし、番犬の病気もあったりしてリフレッシュをして新年を迎えたいと思っていたのです。宿は自炊が基本のため、車の中には鍋・釜コンロなどを積み込み、あわよくば浅間山登山もとピッケル、アイゼン、ヘルメットなどの登山用具も積み込みました。湯治と言うからには長期滞在1週間を予定していたのですが前後に何やかんやと用事が入り、結局3泊4日の旅となりました。こうして珍道中のエンジンは全開したのであります
●(第1日目・12月9日・金曜日)天気は晴れ
伊吹山も雪化粧 中央道も上野原辺りは通行止め 恵那山トンネルを出ると一変 三才山あたりは、だだすべり
12月9日午前7時大阪発、行先を長野県上田市鹿教湯温泉にナビをセットし、阪神高速、名神高速を経て、車窓から、うっすらと雪化粧の伊吹山を見ながら「ひよっとして松本は雪?」タイヤチェーンは積み込んではいるものの一抹の不安がよぎりました。道路情報を聞くと「雪のため通行禁止」「タイヤチェーン装着」などの情報も流れてはいますが松本インターまでは何とか行けそうです。養老サービスエリアで運転交代し、木曽三川(長良川・木曽川・揖斐川)を越え中央道に乗り換えました。恵那山も雪化粧をしていました。ポチが「トンネルを抜けるとそこは雪だった!」とどこかの小説をもじって後部座席から野次を飛ばしていましたが恵那山トンネルを抜けると冗談が冗談ではなくなり、あたり一面雪景色と変わっていました。岡谷ジャンクションから塩尻方面へとナビの案内に従い松本へは何度も同じ道を走り、馴染みの道ではありますが雪景色の松本は初めてかもしれません。
松本インターを出てしばらく走ると松本トンネルや三才山トンネルを通過するたびに別料金がかかりETCは使用できないためか車の通過に時間がかかりました。(みんなあわててるんやね)
信州に着いたら信州名物の蕎麦を食べようと目的地の鹿教湯温近くのりっぱな店構えの十割そばの看板を掲げた蕎麦屋にはいりました。メニューは3種類しかなく、よほど自信を持っているらしく「日本でここにしかない蕎麦」と銘打っていました。「じゃあそれを3つ」と注文し出て来た蕎麦は細麺で2色に分かれており、とてもおいしそうに感じました。(感じただけ・・)支払をするときに驚いたのですがなんと1600円もするのです。消費税を含むと3人で5千円で足りないのです。「ひゃーっ!高島トレイルで食べた業平蕎麦と言い、今日の蕎麦と言い、うちらは蕎麦に縁がないねぇ」
大江戸温泉物語 「鹿教湯温泉・桜館」 3泊したお部屋です
大江戸温泉物語「鹿教湯温泉・桜館」はかんぽの宿を買い取り改装、11月に新装オープンしたばかりの「とうじの宿」で料金も相部屋なら1泊2000円、個室なら3000円で利用できる驚きの宿なのです。ただし自炊が基本ですから食事は共同炊事場で取るか、事前に注文をすれば宿のレストランで食べることも可能です。私達は限りなく自炊を楽しむことにしました。いつもはコソッと部屋に運び込む鍋釜も今回は堂々とカートンに乗せて部屋まで運ぶことができました。10畳ほどのゆったりとした部屋には冷蔵庫、ポット、テレビなどが完備されており申し分のない環境です。
「布団は3日間万年床ね。半分にたたんだまんまやで。自分の事は自分でするんやで。」を共同生活のマナーとし、とりあえず温泉に入ることにしました。月曜日という事もあり、時間も早いせいか風呂も空いています。露天風呂露や薬草風呂もあり男女が入れ替わり制となっており何種類もの温泉を楽しむことができるようになっています
ロビー奥に卓球台を見つけました。朝の5時から深夜の24時まで使えるようです。
「卓球して一汗かいてから風呂に行こう」という事になりトーナメント式(ちとオーバー?)で勝負をすることにしました。
3人の腕前はチョボチョボと言ったところでしょうか・・・最初は当たる回数より球を拾いに行く回数のほうがおおいくらいでした。
若かりし頃、卓球が流行した時代を過ごしていますのでだんだんラケットに当たるようになり、結構燃えました!。汗をかきました!。笑い転げました!。
体力が続かなくなってきましたので誰からともなく「卓球はこれくらいにして風呂に行こう」ということになりました。
(鹿教湯温泉の由来)

●むか〜しむかし。丸子の里に信仰心の厚い一人の猟師がおったそうな。ある日いつものように山へ狩りに出かけたんじゃが、その日はなかなか良い獲物が見つからず、どんどん山奥へ入って行ったそうな。すると、どうでじゃろう。一頭の肉付きのいい立派な鹿が、林の中を餌を探しながら歩いているではないか。
猟師は、「しめしめ、これは良い鹿を見つけたぞ。ずいぶん長い間探し回った甲斐があって良かったわ」と息を潜めて矢を放ったのじゃ。その矢は、うまく鹿の背中に命中したのじゃったが、足の速い鹿は背中に刺し傷を負ったまま一目散に深い山奥へと逃げてしまったそうな。
猟師はすぐに後を追い、暗くなるまで探し回ったんじゃが、とうとうその鹿を見つけ出すことは出来なんだ。「やっと見つけた鹿だったのに、残念なことじゃのう。」と猟師は悔しがり、次の日も傷ついた鹿を探しに山奥へ入っていったそうな。
猟師はあちらこちらと探し、歩き回り疲れ果 て、もうあきらめて帰ろうとしたその時じゃ。木陰の向こうで、背中に矢の刺さったままの鹿が気持ちよさそうに水浴びをしているではないか。猟師はとどめを刺そうと矢を構え、そっと近づくと…
怪我をしているはずの鹿は何もなかったように元通り気良く走り去って行ってしまったんじゃ。
「不思議なことがあったものじゃ。」と猟師は、近づいてその水溜まりに手を入れてみると、なんと驚いたことにそれはこんこんと湧き出るお湯だったのじゃ。そして、しばらくすると猟師の前に文殊菩薩様が現れ、「日頃の信仰心の厚いそなたに応えて、湯のありかを教えた。なんじ、この湯を広く世に知らしめよ。」と告げたそうな。やがて村人たちは、鹿が教えた湯と言うことで『鹿教湯(かけゆ)』と呼ぶようになったそうな。
そして、広く世の人々に「この鹿教湯のお湯につかって、疲れを癒し病気や怪我を治すとよい。」と今日まで大切に言い伝えられておるそうな。
私も旅の第一日目を、この昔話の様に、心も体も癒してリフレッシュすることができました。この日の夕食は共同炊事場を利用して準備をしましたが慣れていないせいかどうも思い通りに行かず、次回からは部屋にて煙報知器が鳴らない程度に自炊をすることにしました。(おてのものだから大丈夫〜)

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●(第2日目・12月10日・土曜日)天気は晴れ
この日の朝は夜半にチラついた雪がガラスについていて結晶を見る事ができました。
部屋の中で朝食のお粥を美味しくいただきました。天気も良いことから、信州の妙義山と言われている独鈷山(とっこさん)に登ることにしました。独鈷山は「西前山コース」「沢山湖コース」「平井寺コース」「丸子宮沢コース」の4コースを楽しむことができ、弘法大師にまつわる伝説の山として、また切り立った岩が屹立している奇勝の山として人気があるそうです。弘法大師が独鈷という仏具を山頂に埋めたという伝説から名づけられたそうです。ごつごつした岩肌を持つ険しい山ですが、山頂では大展望を満喫でき100分ほどで山頂に到着でき、病み上がり番犬には、もってこいのコースで、私達は宿から近い「丸子宮川コース」を選ぶことにしました。
登山口の看板横に、小さな祠のようなものがあり登山届の箱かと思って覗いてみると「子」と書いてあり中にはネズミが祀られていました。
駐車場にも同じような祠があり、ここには丑が鎮座していました。
登山口にあった独鈷山讃歌の看板
駐車場には誰もまだ来ていないのか四万十号が最初の駐車車両となり、午前8時30分スタート、杉林を過ぎて山の神神社の鳥居で衣類調整、登山道には落ち葉の上に積雪があり滑りやすくなっています。アイゼンを持ってはいますが下山時に使うことにしました。沢に沿って登ること100分、ところどころに「寅」「卯」「辰」などの看板と祠り中には、それぞれの名にちなんだ置物があり頂上まで等間隔で干支を祀っていることが判断できました。
今年初の雪道登山 酉の祠のまえで 戌の祠の前で
崖の中から木が生えていた ゆっくりゆっくり 登山道は落ち葉がいっぱい 各干支の祠
沢沿いの登山道は細くて谷にむけて斜めになっており踏み外すと下に落ちてしまいそうです。雪の上をしっかりと踏みしめ尾根らしき場所に出ました。「あと頂上まで3分」と書いた看板がありますが見上げてみるに到底3分では到着しないだろうと思えるほどの急登が待っていました。誰も踏んでいない新雪の上をザックザックと登りつめると頂上です。標高1266.3m独鈷山の頂上を踏みました。登山口からところどころに鎮座していた十二支の最後「亥」は頂上にありました。天気もよく展望もよく素晴らしい眺めです。眼下には塩田平の街並みや遠くは美ヶ原、蓼科山などがくっきりと見えていました。頂上には10時10分到着ですからやはり「100分登山」だったんですね。「デンの記撮影会」を済ませ、ポカポカ陽気の中で少し早いですが昼食を食べようという事になりました。すると若いアベックが「コンニチワ!」と登ってきたり、ソロの男性が登ってきたりと、狭い頂上も賑やかになりました。
頂上には霧氷の花が咲いていました
浅間山
根子岳・四阿山 美ヶ原
下山開始が10時40分、尾根まで下ったところで、凍結した道もあり下りはアイゼンを付けることにしました。ここで8人ほどのグループや単独で35分で登ったと豪語するソロの若者たちと出会い、私達の装備を見て、リーダーらしき人が「ヘルメットにアイゼンですか〜そうですよね、危険個所が何か所もありましたもんね。お気を付けて!」と声をかけてくれました。ロープの準備もしていましたが、その出番もなくポチも何とかスムーズに下山することができました。登山道に雪が消える頃に中年のグループと行き交いリーダーらしき人が「アイゼンは外した方がいいですよ。危ないですよ」と本人は助言のつもりの様でしたが大きなお世話です。「これも訓練の一環ですから」とやんわり姫が交わしましたがジョンは怒りにメラメラと燃えていました。(写真に撮っておけばよかったわ〜)ヘルメットにしろ、アイゼンにしろ、ロープにしろ、自分はベテランだと豪語する登山者に限って、偏見の目で見られることが多いです。私達は「中高年の安全登山」について基礎をみっちりと学んでいます。むしろ助言をくれたおじさんこそ、そんな装備で大丈夫ですかと言いたくなるような軽装でした。
山の神神社まで下山し谷川に流れる水でアイゼンを外し洗っていると、35分で登ったという若者が下りてきました。「こんにちは」と挨拶を交わし若者は鳥居をくぐり祠前で手を合わせ深く頭をさげていました。「無事に下りた報告です」そんな意味の言葉を残し足早に去っていきましたが、足を滑らせ尻餅をついたのでしょう、お尻は泥だらけでしたよ。(そりゃあスニーカーでは無理でっせ〜。ほんま無事下山できてよかったね)
登山口の集落、中央の虚空蔵堂は由緒ある建物でした
菅平牧場から見た根子岳と四阿山
駐車場に到着したのは12時10分と時間も早く、カーナビの到着予測時間では1時間ほどのため、「菅平牧場」に行くことにしました。菅平牧場は根子岳や四阿山の登山口にあたるところ、条件がよければ明日登れるかも知れないと思い下見がてら車を走らせます。
途中にトンネルが何か所かあるのですが、トンネルをくぐるたびに料金がかかりこの地方ならではなのだなぁと変に感心しました。菅平牧場へは雪が深く道路が凍結しているためやむなくUターンすることにしました。途中のスーパーに立ち寄り夕食用の食材を買い込み部屋にて夕餉の膳を囲みました。焼酎に日本酒、ビールとなんでもありです(笑)ジョンはこの湯治で2キロ減量すると張り切っていますが「食っては寝、起きては食い」では痩せるとは思いませんが食後の運動と称して、またまた卓球に精出すことにしました。そしてお風呂、出てまた卓球とこの繰り返しで疲れ果てたのか午後6時30分には二匹の番犬はグーグーいびきをかき始めました。6時30分ですよ〜!仕方がないのでひとりカラオケにでかけましたがギャラリーのいないカラオケはつまらんです。早々に部屋に戻り私も就寝〜!その後ジョンが起きて皆既月食を撮影したとか・・・・
菅平牧場から見た根子岳と四阿山 10時45分ごろ宿の露天風呂から撮影
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●(第3日目・12月11日・日曜日)天気は晴れ
朝の食事を終え、朝の練習と称して卓球に打ち込みました。何度かするうちに頭角だった腕前にも差が出始めて姑息な手で相手を打ちのめそうという魂胆が見えはじめました。しかしそれが仇となり最終的には姫が勝ったところで卓球を終え午前9時、今日は鹿教湯の町の散策に出かけることにしました。
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文殊堂と五台橋
関西の奥座敷・有馬ほどではありませんが、ここはまだ活気が残っています。温泉客も多く足を運んでいるようで町が生きています。大きなホテルや、大きな店がなく、小さな店同士、共存している様子がうかがえました。ほのぼのとする町の中には31件の宿が存在し、中には休館や廃館に追い込まれている宿もあるみたいですが、もう一度訪れてみたいと思う庶民的な鹿教湯の町でした。観光協会のある建物には足湯コーナーもあり、のどかでのんびりした時間を過ごすことができました。
五台橋を渡る みどり橋を渡る
親指と親指をからませてー…水虫うつるよー
昼食を部屋で取り、午後からは沓掛時次郎で有名(?)な沓掛に出かけることにしました。出かけると言っても沓掛集落までドライブするだけなんですが、帰りに「何とかまつり」と書いた旗を見つけ立ち寄りました。道の駅なのですが都会では見ることのできない商品を売っていました。
鎌や包丁や鍬や電動ノコの実演もありました。「無料です。豚汁どうですか〜」の声のする方に吸い寄せられて豚汁をごちそうになりました。お椀の中に豚片は見当たらないのですが美味しくいただきました。帰り道のスーパーですき焼きの材料を買い込み、、平井寺トンネルなどのトンネル料金通過料を支払い宿に帰り、温泉、卓球、ビール、卓球、カラオケ、温泉、カラオケ、卓球を繰り返し最後の夜を楽しみました。(ポチがカラオケ得点917点、姫が850点は合点が行かないと再び、三度カラオケに挑戦しました・・・笑)
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●(第4日目・12月12日・月曜日)天気は晴れ
鹿教湯・桜館について「もう一度行きたい」「仲間に教えてあげたい」のアンケート用紙に大きな丸印を残し別れを告げ、午前7時、3泊4日、お湯良し、値段良し、スタッフ良し、お世話になった鹿教湯・桜館を後にしました。「ゆずりあい・わけあい・たすけあい」これが「とうじの宿」のモットーだそうです。今回の目的は湯治のため独鈷山登山以外は多くの予定を立てず、欲張らずのんびりと過ごすことができました。浅間山は積雪多く登山道までたどり着くことができず、今回は断念し雪解けを待ち再び訪れることにしました。
金山」山荘近くから見た瑞牆山と金峰山 駐車場と白樺
尾根に出ると瑞牆山が見える 水場・真冬も凍て枯れは無いようです
外気温はマイナス1℃、天気も良いことから凍結もないだろうと、帰り道に富士見平小屋の管理人を訪ねることにしました。金峰山と瑞牆山登山時に訪れた富士見平小屋から見る富士山が見たくなったのです。ナビを頼りに瑞牆山荘に向けて走るのですが増富ラジウム温泉郷を過ぎたあたりから道路に雪が降り積もっていて凍結している様子です。ブレーキテストをするとスーっと滑り台の上を走っているみたいでした。十分に注意しながら瑞牆山荘前駐車場に午前9時20分到着。ポチはアイゼンをつけて登りたいという事でアイゼン装着。私とジョンは登山靴のままで時々スリップを繰り返しながら富士見平小屋10時20分到着。富士見小屋の名前のごとく雪をかぶり太陽の光をうけた富士山が美しくみることができました。視界をさえぎる木々の葉が落葉していたため美しい富士山がさらに美しく見えました。富士山を眺めながら部屋で作ったお弁当を広げ贅沢な時間を過ごしました。あいにく管理人さんは荷揚げのため留守で再会はできませんでしたが大阪からもっていったおみやげとメモを残し下山することにしました。
下山には全員アイゼン着用です。いつも「安全第一!」これが我々のモットーです。
小屋前のベンチで富士山を見ながら昼食タイムです…きのこうどんを楽しみに上がってきましたが 管理人さんが荷揚げのため下山していて留守でした。残念残念…小さなおにぎり三つが昼食でした。
小屋から見た冠雪の富士山
11時45分、駐車場に到着し、大阪に帰ることになりました。凍結した道路をソーロソロとブレーキを踏まないように注意をし、対向車のないことを祈りながら高速道路入り口が見えてきました。途中の養老サービスエリアで給油、運転を交代し、阪神高速道路は案の定塚本を先頭に混雑していることから尼崎出口を利用し無事戻ってきました。4日ほどだからと新聞配達も止めずでしたが戻ってみたらポストから新聞がはみ出していました。郵便受けの中をよく見ると丸まったカレンダーが入っておりこれが原因で郵便物が溢れていたのです。

洗濯物は、その日のうちに済ませ、ストック、登山靴、ヘルメットとすべて洗濯し終えた時には午前様になっていました。「よぉ出かけるなぁ」そんな声が聞こえないわけでもありません。心の傷をいやすことも必要なんです。
明日への活気を取り戻すために必要な投資は、無理をしない範囲でしなければ、何のために生きているのか手も足も脳も動かなくなってからでは遅いのです。今後も喜びを喜びと感じられる手足や脳が活発に動いている間にもっと多くの喜びを味わっておきたいと思っています。故郷の恩師がやり残した無念さを思うと、かわりに私が幸せをかみしめたいと思うのです。恩師の口癖でもあった「幸せ薄い子」は、いまは「幸せ濃い子」になっていることを知らせてやりたいのです。
文:美智子姫00000 写真/データ:JON