納山祭


12月18日から19日まで、1泊2日で東大阪市立野外活動センター「なるかわの森」で納山祭をすることとなりました。午前10時、
近鉄「瓢箪山駅」集合で買い物を終えて2時間ほどをかけてなるかわ谷を登り、途中で「危険箇所の通過の仕方」をみんなでトレーニングすることになっています。買い物は「鍋係」「ダツチオーブン係」「カレー係」「飲み物係」「調味料係」「おつまみ係」など分担を決め、さながら修学旅行の買い物気分でした。楽しい買い物を終え、山の様な食材を抱え、とりあえず瓢箪山稲荷神社の境内で荷物を均等に分けることになりました。
(均等と書きましたが私は脱臼のリハビリ中のため荷物分担は、免除してもらいました。ゴメンナサイ)
荷物を分担するために立ち寄った瓢箪山稲荷神社は、日本三稲荷の一つであり、辻占総本社と言われています。豊臣秀吉が大坂城を築城にあたり、巽の方(大坂城の南東)三里の地に鎮護神として伏見桃山城から「ふくべ稲荷」を勧請したことが由緒とされています。神社本殿の背後にある小丘は、通称「瓢箪山古墳」とよばれ、古墳時代後期・6世紀末ごろに作られた双円墳。 そのヒョウタンに似た形状から、古墳および一帯の地名が「瓢箪山」と呼ばれるようになったそうです。
買い物の品を分担したリュックの重量がぐ〜んと重くなり「まるで雪山登山のトレーニングみたいやね」と言いながら、一歩ずつ足を前に進めるのに集中してか、いつものようにお喋りする余裕が無い様に思えました(笑) 安養寺、大池公園を通りセンターハウスで昼食休憩となりました。通過した安養寺は瓢箪山駅の踏切をはさんで南北につながる商店街の道が京都と和歌山の高野山をつなぐ東高野街道(京道)で、北側アーケードを出たところで新道と旧道に分かれます。
   
センターハウスは、外の冷たい風を避けられて、おまけに暖房も効き快適なランチタイムです。あわよくばこの場所で三角巾の講習をしたいと係員に申し出るも、あっさりと断られてしまいました。さすが!お役人様ですこと。そうと決まると一刻も早くこの場所を出て、風の無い場所を利用して「危険箇所の通過」のトレーニングをするために「なるかわ谷コース」へと向かいました。重たい荷物を背負い、急な上り坂を登り1時間ほど歩いたところに最適な場所を見つけ、休憩がてらに、この場所でトレーニングを実施することにしました。ロープを張り、シュリンゲとカラビナを使って「うさぎの耳」と言う手法を用いて危険箇所の通過を練習しました。足を一歩踏み外すと崖下に落下というスリル満点の場所で、あまりの熱中に寒さを忘れるほどでした。
 
野外活動センター「なるかわ」到着は午後2時とチェックインには少し早かったのですが快く受け入れて下さりバンガローの中に入ることができました。A棟は女の園、B棟は男の園と分けて、不平不満の出ないようにベットの位置は、クジ引きをして決めました。しばらくすると別ルートでソロで到着したアドベンチャーさんと合流することができました。
「ようこそ!」
後発組のサスケ先生とポチは此花区を午後3時30分に出発の予定で遅くても4時30分過ぎには到着予定のため、到着次第、バンガローの外でダッチオーブン料理をして頂くことになっています。駐車場への乗り入れ出口までリヤカーを借りて迎えに行くことにしました。空のリヤカーに姫とうららちゃんが交代で乗せてもらい、実ちゃんがリヤカーを引いてくれます。ずっと昔の幼い頃、こんな光景を体験した様な懐かしい気がします。(どんな時でも上手に遊ぶなぁ)
しかし1時間を過ぎてもサスケ号はなかなか現れません。冬の夕闇が迫るのは早く、あたりが薄暗くなってきました。渋滞に巻き込まれているのか、出発前に何かアクシデントがあったのか携帯が圏外のため連絡がとれません。この暗さでは、もうダツチオーブンは無理かも知れません。そんな思いがよぎったその時、ヘツドライトが私達の前を照らしました。「サスケ号の到着や!」うららちゃんと寒さに震えていたので地獄で仏様に会った様な喜びでした。リヤカーのところでも仲間達が待っていてくれ、バンガローの中では鍋の準備をして待っていてくれた仲間達も大喜びです。先生はバンガローに入ることなく炊事棟に突進しダッチオーブン料理に取りかかることになりました。ここから見る夜景の美しさは格別で、函館の夜景や六甲の夜景に劣らぬ美しさでした。いや市街までの距離が近いため、函館の夜景や六甲の夜景よりもずーっと綺麗だったかもしれません。
       「なぁ、ウララ、寒いからワシの差し入れの焼酎とお湯を持ってきてくれ」と言うことになり、炭をいこしながら、私達も焼酎を頂くことになりました。しかもストレートでです。生まれて初めての焼酎かも知れません。たちまち冷えていた身体はポカポカと温まり、足は宙に浮かび、口は冗舌になり、心に羽根が生え何とも言えない「い〜い気分」になり、やっちゃんと何かある毎に「♪♪そら〜に〜太陽が〜あるかぎり〜愛してる〜♪♪」と歌い叫びました。
そのうちダツチオーブン料理も完成と相成り、テーブルの上に並んだ途端、アッと言う間にペロッと無くなりました。おっと〜待った〜遅れて来る正ちゃんのために取り分けておかなくっちゃあ!
     
味噌鍋をつっつき、サスケ先生の、お能「融とおる」の披露やアドベンチャーさんのユカイナの披露、実ちゃん夫婦の愛の歴史など中味の濃い宴会をしている最中に圏外であるはず携帯電話が鳴りました。正ちゃんからです。(ソフトバンク製は着信可能)管理棟にある公衆電話まで行き現在地を聞くと、どうも道迷いをしている様子で軌道修正をしてもらい30分後に駐車場乗り入れ口まで迎えに行くことにしました。正ちゃんを迎え、再び乾杯をやり直し、楽しい宴会は時間を忘れ深夜まで続けられました。
ダツチオーブン料理が終わり、鍋が終わり、おつまみで二次会モードになると思いきや、何と「お善哉」が振る舞われました。姫が前の晩から作りサスケ号で移動するポチに持参させたのです。出掛ける時にくれぐれも忘れることの無い様にと、しつこく言ってはおきましたが「あっ重たいなぁ〜そうや、これ残して行こう!」なんて平気で言えるポチなんですから危なくて大変なんですが、まあ無事に運んでくれてた様です。お餅がもう少しあればよかったね。
用意をしていた歌詞カードをもとに大合唱したり、真面目に来年の高島トレイルの話をしたり、ジョンの持ち歌披露をしたり、気が付けば午前0時に近いではありませんか。明日の朝、早く出発するグループもあるため宴会はこのあたりで幕を閉じ静かに眠りにつくことになりました。しかしベットの位置がトイレの近くということもあって、誰かがトイレを利用するたびにドアの音で目が冴え眠りについたのは午前4時だったと思います。もっとも初焼酎飲酒で心臓もバクバクしていたのも眠れぬ原因だったと思います。
翌日の19日(土曜日)午前5時に起床し朝食用のみそ汁を作り5人の早出組のみなさんに朝食を食べて貰い、リヤカーに荷物を載せ、駐車場までお見送りをしました。残りの人達は起床した順に自由に朝ご飯を食べ、外は風が強いためバンガローの中で午前9時から、三角巾の講習をすることにしました。とっさの時に慌てないで三角巾を取り出して手当ができるように勉強をしながら、片方では昼食用のカレー作りに励んでいます。
午前11時には早めの昼食のカレーライスを食べ、一気に片づけに入りました。洗い物をする者、寝具のシーツをまとめる者、テーブルなど別の棟から借りた品物の返却をする者、部屋の掃除をする者と手際よく済ますことができました。
片づけをする段階で和室に何やら「お楽しみクジ」の商品が並んでいます。夜なべで人数分のクジを作ってきたのです。「な・な・なんやこれ?」誰もが不思議に思ったことでしょう。使い残りの味噌、スルメ、スナック菓子、瓶にんにく、使い残りの米などなど秋祭りの福引きにでも当たった様にみんな喜んでくれました。早朝出発組の皆様には配当がなくてごめんなさいね。ポチなんて辛い物苦手で、辛い物食べると、頭から湯気出すのになのに当たった商品が「超・激辛せんべ」やてキャハハハハ
ジョンが体調不良のため正ちやんにリュックを委ね自宅まで運んでもらうこととなりました。空身のジョンの背中が何か物足りなさそうに見えました。(やっぱり大きなリュック姿のジョンの方が似合ってるね)帰りのコースは鳴川峠から千光寺を通り近鉄「元山上口駅」ゴールとすることにしました。
千光寺のいわれは『 役 小角は、金剛葛木山において仏道修業に励まれました。西暦660年頃、生駒明神に参詣の析り、ご神託により鳴川の里に入り、小さな草堂を建て、漆の木で千手観音を刻み、日夜 荒行に励まれたとのことです。その小角の身を案じた母は、従者と共に鳴川の里に登り、小角と共に修行したそうです。 ある日、小角が遠見ケ嶽に登り南の方を観ると、多くの山々の中に不思議な光を放つ山を見て霊威を感じ、母を鳴川に残し 二匹の鬼を従えて此処より南へ二上山・葛木山・金剛山・友ケ島を経て熊野ヘ、熊野から大峰山系に入り 山上ケ嶽に登り、ここを修行根本道場と定められ、小角が大峰山へ行かれてからも、母は鳴川の里に残り修行を続けられとのことです。ゆえに、後世の人々は鳴川千光寺を”元の山上”と呼び、“女人山上”と称し、女人の修行道場として栄えました。』
午後2時、近鉄「元山上口駅」にゴールとなりました。今年1年間のやまたび倶楽部の行事に協力を頂いたことへの感謝を挨拶に代え、少し早いですが「良いお年を!」とみなさんと声を掛け合いながら、解散致しました。ありがとうございました。

 
 

文:美智子姫 写真提供:鹿島秀元 GPSデータ提供:鹿島秀元

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