8月19日
今日から、北アルプスに行きます。
今回は北穂高岳山頂から南東に派生する北穂東稜通称ゴジラの背中前穂高岳の山頂から北東に派生する前穂北尾根の5峰から本峰を登攀するのが目的です。
朝9時マイカー四万十号(スズキの軽)で大阪を出発。
名神豊中から一宮ジャンクションを通り、東海北陸自動車道で高山を目指します。このルートは、いつも夜間ばかり利用していたコースですが、今回は昼間のドライブのためか何故か新鮮です。
お盆の名残りか、交通量は少し多めです。
「トラックが多いなあ」「みんなゆっくり走るなあ」…多少ブツブツ独り言を言いながら、飛騨高山を目指してハンドルを握ります。高速道路網が発達しているため、わずかな時間で北アルプスに行くことができます。たいした渋滞もなく高山市街から平湯温泉に到着しました。
明日はここから午前4時50分発のバスに乗り換えて上高地に入ります。
 今夜は「ひらゆの森」で入浴、「もみの木定食と鮎の塩焼き」で乾杯し「あかんだな村営駐車場」で車中泊することにしました。 ホテル四万十号の中は狭い!でも何とか眠って、時計を見たら3時半。「おきるぞ」気合を入れて起きる段取りをします。
8月20日
朝3時30分に目覚め車外に出ると、空は満点の星、今日一日天気の良いのを約束してくれている様です。
駐車場発、午前4時50分のバスに乗り、こんなに朝早くから上高地に行く人などいないと思っていましたがバスの中は満席状態です。東海北陸道の安房トンネルは非常にありがたく、およそ30分ほどで上高地に到着しました。上高地はまだ薄暗いのに各方面からの大型バスが到着しており、ザックを背負った登山者が、奥を目指して既に歩いていました。
私達も登山届けを出して、軽くウオーミングアップをした後、歩き始めることにしました。
朝靄の立ち込める梓川は神秘的です朝陽に浮かぶ焼岳に見送られるように奥を目指します。河童橋あたりは既に登山者や上高地泊まりの観光客が河童橋の上で記念撮影を楽しんでいます。
私達も記念写真を1枚撮って先を目指します。
「こんな時間に何してるんやろ?」そうか~私達も同じことか~

小梨平には十数張りのテントが見えました。早起きの若者が朝食の用意をしています。学生達はまだ夏休みなんですね。それにしても登山者の過半数は60歳以上の中高年ばかりです。たまに若者を見かけるとホッとした気分になります。
ここから1時間ほど歩けば明神に到着です。ここはまだ静かでお店も開いていないし、信州りんご(昔100円、今は400円!)も水に浮かんでいませんでした。
7時40分に徳沢園に到着。もう登る人も下る人も動きだしています。以前2回宿泊したことがあるだけになつかしい気がしました。しかし感傷に浸ってはいられません。
今回の山行条件は絶対にバテないこと。バテる様ではとてもアルプスの登攀など出来ない。バテた段階で山行中止という厳しい条件付です。
涸沢までは遠い道のり、徳沢を過ぎると人が少なくなった様な気がします。徳沢は蝶ケ岳の分岐点となっているため、そちらを目指す人も多いようです。
徳沢から、およそ1時間で横尾へ到着。陽も高く、まさに登山日和で休憩用のベンチは登山者で埋め尽くされています。屏風岩の勇姿を背景に横尾大橋で記念写真を撮っている登山者も多く、場所が空くのを待って私も1枚パチリ。私達はここから左へ折れ、涸沢へと進みますが、まっすぐのルートを取って槍ケ岳方面へ進む人も多い様です。
涸沢への道のりは、左手に屏風岩を見ながら、軽やかに進むのですが、本谷橋を過ぎると石積みの階段状の登山道となり、これがまた歩きにくいのです。腕を組み、歯を食いしばり、一歩、一歩を登って行きます。
「ゆっくりで良い、バテないように歩け」後ろからJONの激が飛んできます。さすがに13.5kgのザックは肩に食い込んできます。しかしロープやクライミングギアがたっぷりと入ったJONのザックは更に重く20kg近くあるようです。負けてはいられません。周りの景色に、目をやる余裕など、みじんもありません。ただひたすらに歩き続け、穂高の峰峰が見え隠れするのも我関せず、ただ歩くのみです。
涸沢ヒュッテが目に入りましたが、まだ30分以上はある道のりのために、冷たい谷の水で、顔や頭を洗い、汗を流して、ここで初めて長目の休憩をとりました。
11時56分、涸沢ヒュッテ(標高2309メートル)に到着しました。上高地を5時40分に出発して6時間以上歩き続けたことになります。涸沢ヒュッテで昼食におでん、カレーライスを食べ、何とか落ち着くことが出来ました。
とりあえず涸沢までやってきました。
昼食後、明後日に登る前穂北尾根取り付きの確認にアイゼンを履いて登る事にしました。白馬岳の雪渓よりも険しい目の前の雪渓、雪渓を1時間以上かけて登っていると、別の谷筋でカミナリが落ちたのかと思うほど大きな音とともに落石がありました。あれに当たると五体がバラバラに砕かれてしまうのかと思うと、雪渓の下りが足が震えて6本爪のアイゼンでは、思うように下れませんでした。やはり12本爪アイゼンとピッケルは必要だったんですね。落石の音でテラスで休憩していた人達は私達が下ってくるのを物見遊山していた様で「どこから降りて来たのか、何の目的で雪渓に登ったのか」と質問攻めに合いましたが、下見に行っていたことを告げほどほどに部屋に逃げ帰りました。
お布団も新しく、満室状態ではありましたがフトン1枚の広さで就寝することができました。
8月20日
いよいよ登攀の日がきました。
朝5時、涸沢ヒュッテを出発し、北穂高岳南陵ルートに入ります。急斜面のため、一歩、一歩、歩を進めながら鎖場への取り付きをめざします。鎖場の取り付きが見えたあたりからルートを離れ、北穂沢をトラバース、ガレた沢を落石を起こさないように、ゆっくり渡ります。分岐からアンザイレンをしているためテンションを利用して落石を起こさないように注意をしながら北穂沢を渡りました。
東陵へのルンゼに入ると、更にガレ場は悪くなり、姿勢を保つのがやっとです。高山植物を踏み倒さない様に、ガレ場のきわを登ります。どこに足を置いても崩れそうな感じです。「ガラッ」とでも音を立てようものなら後ろからJONが「石を落とすな、気をつけて歩け」恐ろしいほどの声が飛んできます。
東稜の尾根に出ると、あたり一面、山また山、来て良かったと思わずには居られませんでした。しかし感傷に浸っていられるのも、わずかな時間、ここから東稜の登りが始まります。東稜の核心部がゴジラの背中と呼ばれるところなのです。岩を抱き、岩につま先立ちし、「ゴジラの背中」を目指します。左側に踏み外すと北鎌沢に100メートルは滑落、右に踏み外すと横尾谷に真っ逆さま、ちょっと怖いですが、これも楽しみのひとつです。ゴジラの背中までは、私がリードをという指示のため、確実に登攀を進めて行きます。大岩を超え、小岩を回り込み、ゴジラの背中に近づいていきます。幸いなことにホールドもスタンスもしっかりしていて安心感を与えてくれました。
右手には去年登った、槍ケ岳、その奥には北鎌の独標が見えます。頭を上げると北穂高小屋が凛として構えています。ソロで横浜から来たと言う白崎さんと出合い、しばし槍ケ岳、富士山、南アルプス、八ヶ岳、常念岳、大天井岳、ジャンダルムの大パノラマを堪能しました。いよいよゴジラの背中に取り付きます。お互いに巻いているロープをほどき「姫、ビレイしっかり頼むぞ!」とジョンが一声残してゴジラの背中に取り付きました。緊張の一瞬です。その姿は岩肌に現れたり、隠れたりしながらゴジラの背中の部分を進んで行きます。一度下がり、姿が見え、わずかな時間をおいて「ビレイ解除!」の声が聞こえました。私も、いよいよゴジラの背中に取り付く時が来たのです。「どうぞ!」その一声に、うながされる様に、意を決して取り付きました。
「何やたいしたことないなぁ」と思ったのも束の間、ゴジラの背中の幅は、だんだん狭くなり、わずか20センチほどになって行きます。
「どないしてこんなとこ行くんや~!」
「左側に50~60センチ降りて伝って来いっ!」何と61年ぶりに伝い歩きをしてしまいました。上がったり、下がったり、怖さを忘れてビレイポイントに到着。ロープをリセットして再度、JONがゴジラの背中の最高部を通過しました。その後、姿は全く見えないのですが、ロープの順調に出て行くのを見て、順調に進んでいるのだろうと思うしかありませんでした。そして姿が見えないまま、「ビレイ解除!」の声が届き、すぐにロープアップ、「どうぞ!」その声に押される様に最高部をめざしました。「おい、おい、さっきより怖いやないか~!」左側の南陵ルートに目をやると多くの登山者が、こちらを見ているようです。こで落ちるわけにはいかんなと気合を入れなおし、どうにかビレイポイントに到着しました。2ピッチで通過。
「どこで懸垂下降させてくれるの?」
「そこに残置ロープが見えるところや」

しばらく歩いて懸垂下降地点に到着、1、2、3、4、5、6、7、7本の残置ロープが残されていましたが、安心できないため、持って来た10.5mmの残置ロープをセットし、メインロープを二つ折りにしてロープダウン。
「姫から降りろ」の指示に従いATCにロープセット、バックアップロープセット、テンションかけて各ポイントの点検、自己ビレイロープを外し、OKの確認をお互いがして「降下しますっ!」
ガタガタの岩場を下って行くのは懸垂下降に醍醐味が半減、ちょっと文句を言いながら下降点に到着。続いてJONが下降、ロープを抜いて、懸垂下降を終了しました。
ここから北穂高小屋まで、およそ1時間の登りです。ガレていて、歩きにくく、危険なため、アンザイレンをして登攀開始しました。まぁ~大変です。二度と歩きたくない様な急坂のガレ場歩きと大岩、小岩をよじ登りが交互にやってきます。何とか頑張って歩きとおし、北穂高小屋に到着。
終わった。ここから見る槍ヶ岳は最高です。
 
ここのラーメンは美味しくて最高でした。しばらく休憩の後に、2時間20分を費やして、膝を痛めないように涸沢ヒュッテに戻りました。受付のお嬢さんが「お帰りなさい、お疲れ様、すごかったですねぇ」の一言に癒され、テラスで登攀成功を祝して、生ビールで乾杯をしました。日暮れ前、小屋の情報で前穂高で事故があったらしいととのことで、そう言えば、ヘリコプターの旋回する音が二度聞こえました。一度は知らせを受け捜索に、二度目は遺体の収容のための様でした。雪渓の割れ目に落ちた枚方市の男性(70歳)が死亡。私達も気をつけねばなりません。 
8月21日
今日は前穂の北尾根を登攀し岳沢から上高地に降りる予定でしたが、午前5時、外は雨模様です。
天気予報によると明日も雨模様。止むを得ず上高地へ下山することにしました。途中の雪渓で凍結があり、見事にスッテンコロリン、しかも二度も・・・アイゼンを装着するほどの距離ではないために慎重に通過し、ドロで汚れたまま上高地を通過するには格好が悪いため、谷を流れる冷たい水で合羽のドロを洗いました。(リュックに吊ったタワシが役に立ったよ)朝食の弁当を本谷橋で摂っていると韓国の観光客らしき登山グループが大勢、雨にもかかわらず、涸沢に向け登っていきました。週末の登山を楽しむ人達とも沢山出会いました。逃げ帰るように下山する者もいれば、雨の中、期待を膨らませて登っていく者もいる、それら全て登山なんですね。

上高地到着は11時20分、6時間以上も歩き続けたことになります。バスに乗り駐車場到着が12時過ぎ、車に戻り、平湯温泉で3日分の垢を落とし大阪へ向けて戻ってきました。大きな渋滞もなく、今年の目標は達成できたことに安堵しました。
 ★振り返って
日頃の訓練が試されるのですが、クライミングをする場所までの体力(今回は涸沢までの移動)がいることを痛感しました。リュックの重さ13.5㎏は肩に重くのしかかり、つらかったです。バスに乗る前にリュックの中味をお互いに点検しましたが登攀道具があるため軽量には至りませんでした。行動食のパックに入ったフルーツゼリー、リンゴは重くても、のどの渇きを潤してくれました。甘いお菓子系統は下山した時に残っていました。甘系はキャラメル5個で充分。今後の私の課題はリュックの中への上手な詰め込み方です。

★師匠の感想
ゴジラの背中の登攀は問題ないと思っていました。ただ重いザックを背負って上がることが出来るか心配でした。私自身一週間前に剱岳の源次郎尾根で脱水症状でブレーキを起こしていたため、かなり体力の配分に気を使いました。
姫は体力的にも技術的にもかなり向上していると思います。私が育てたザイルパートナー第1号と言えるでしょう。今後はさらに中高年の安全登山に努めてくれることを願います。
 文;美智子姫

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