2009.07.26

7月26日、天気予報は雨、きっと降るだろうが弁当を食べるまでは何とか降らないで欲しいと祈りつつJR比叡山坂本駅に到着しました。2両目、4両目から参加者が続々と降りてきました。全員が夏山登山参加者の人達で、懇ろに参加お礼と朝の挨拶を済ませました。比叡山を見上げると、今にも雨が落ちてきそうですが出発時点ではお日様もお出迎えです。ストレッチも済ませ午前9時50分比叡山坂本駅前を出発しました。歴史街道を歩き日吉神社の鳥居をくぐります。まもなく京阪電車坂本駅の前を通過となります。またもや鳥居が見えてきましたが手前の信号を曲がり、住宅街の急な上り坂を歩いて行きます。照りつける太陽で、すでに汗が噴き出てきて自動販売機に走りました。用意した飲料水が不足ということになりかねません。予備に買いましたが、500グラム増えただけでリュックがドシンと重く感じました。袋古墳緑地横を過ぎ、興玉神社の鳥居をくぐります。
駅前でミーティング 京阪坂本駅前を通って比叡山へ 空は明るく少々暑い
この先から山道に入ります ここから山道に入ります
大きな杉の木を目印に参道近道にやっとたどりつきました。ここまでで約50分が経過しています。充分な休憩を取り、山道への心の準備も出来、いざ出発しようと言うときに無情で大粒の雨が落ちてきました。とりあえず合羽を着ないで様子を見ることにしましたが30分も経たない時点で合羽を着ることにしました。急な雨に、いかに早く合羽を着るかも勉強のひとつです。だんだん雨がひどくなり登山道は小さな川と化してしまいました。登山靴で小川の中を歩いているのと同じ状態です。しかも天神祭の太鼓に負けぬ位の音で雷まで鳴ってきました。雨の登山は体力も消耗し、加えて合羽のズボンで膝が思うように曲がりません。早い目に短い休憩をひんぱんに取り飯室不動堂に到着しました。
雨の中の山道、道は沢状態です この橋を渡ると飯室堂です この階段を登ると飯室不動堂です
千日回峰を3回も実施された酒井阿闍梨様がいらっしゃるという飯室不動堂ではありますが偉大なお人故に我々はお目通りができるはずもありません。
飯室不動堂を出てすぐバケツを逆さにした様なはげしい雨が降り、飯室不動堂の建物の軒下を借りて、雨宿りをさせていただきました。
「15分待てば小降りになる」と言う姫の予言を待たず横川中道へ向けて、大雨の中、歩き始めました。九十九折れに続く横川中道の道は千日回峰のための道で、
険しくもあり、またおごそかでもある道で我々は
誰も不平不満を言わず歩くことに専念しました。
1時間半ほど登ると、赤く塗られた木が目に飛び込んできました。もう着くかな。そんな思いで歩を進めていると、いきなり林道に出ました。
「出たよ〜」と後ろに叫ぶと心なしか足取りが軽やかになった様な気がしました。しばらく水平な道を行くと横川中道に到着です。
  まぁ!どうしたことでしょう。
今までの大雨が止み、薄日まで差してきました。「神様のお恵み」と感謝をし、お昼ご飯をいただきました。境内の中に地獄と極楽の看板を見つけて書き写してまいりました。 
『 恵心僧都という人物942〜1017』
平安中期の比叡山の僧侶で、日本浄土教の基礎を築いた人である。横川の元三大師に師事し、恵心院に往修行にまた著作に従事したので恵心僧都と称される。そを著しはじめて浄土教学を体系づけたのは画期的な時事業であった。「往生要集」には人間界の因果によってそれぞれ次の世界(さまざまな地獄から天上界)に生まれ変わり報いを受けると解きまた唯ひたすらに南無阿弥陀仏と唱えることによって救われると解いた。
『閻魔大王の裁き』
閻魔大王は因果の法則に従って転生(うまれかわり)を裁かれる人生は、永遠の生命の中の短い一小間であることを之を憶せよ。
恵心僧都
『地獄とは』
人間界での所業悪しき者は、閻魔大王の裁きによって、さまざまな地獄におとされ、それぞれの報いを受ける。その苦しみから脱するためには、唯々、阿弥陀仏を念ずべし
                 恵心僧都
『極楽とは』
人間に生まれたことを喜ぶ人は、此の世から極楽であり本願を信じて念仏する人は未耒往生疑いなし             恵心僧都
参加者一同、恵心僧都様のお陰をもらってか,
ドシャブリにもかかわらず昼食時間だけは太陽の恵みを与えてもらいました。
午後の出発時はまた大粒の雨の中の下山となりました。大宮谷林道を歩くのですが対向者もひとりもいなく、また車は通行禁止の道につき快適に、、少し早足ではありましたがタイヤの輪だちが川と化した道をリズミカルに進んでいきました。(但し落石には充分注意が必要)
濁流の音を聞きながら、緑の木々のささやきを聞きながら、1本杉の分岐までは休憩なしに歩き続けました。ところがとうしたことでしょう。休憩地点の1本杉に来ると雨がピタリと止んだではありませんか。不思議な光景に無神論者でさえも「神」の存在を感じずにはいられませんでした。
1本杉を囲んで「別れの1本杉」「琵琶湖周航のうた」を歌いました。あとすこし下れば、比叡の町に降りてきます。木立の隙間から時々見える琵琶湖の水面には太陽が当たり美しい光景をみせてくれていました。
横川中道堂を後にします 雨足が強くなってきます なぜか錫杖
なぜか日の丸 足下は川状態です 土砂降り
1本杉を囲んで「別れの1本杉」「琵琶湖周航のうた」を歌いました。
衣掛岩にさしかかり、下見の時に発見できなかった事を説明し全員で探すことにしました。看板には「あと0.02q」の場所に「衣掛(きぬかけ)岩」があると書いてあります。長い巨大な岩だと資料に書いてありました、下見の時にはどうしても見つけることが出来ませんでしたがみんなで探し当て、今日はやっと見つけることができました。この岩のいわれは「一人の若者が、流浪の旅の果てに人生を悲観して川の上流にある神蔵が滝に身を投げた際、着ていた小袖を置いたことが名前の由来とされる」衣掛岩へ続く林道は、落石の危険があるため注意が必要だが、休日には多くの登山客が訪れる。「大きい岩なので目にはつきますが、岩の由来を知っている人はほとんどいないそうです。
降ったり、降られたり(降ってばかりの意味)のコースではありましたが、みなさん上手に雨の中を歩き、休憩し、行動食も取り、勿論水分補給も出来て、トレーニングではありませんでしたが良いコースでした。
午後3時43分JR比叡山坂本駅発には乗ることができました。初参加の方が体調不良ではありましたが、我々も最初の頃は同じ境遇でありましたが、トレーニングを積み重ねて現在の健脚を勝ち得たことを思い出して、暖かい目で見守っていただければうれしいです。

文:美智子姫  写真協力:鹿島秀元

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