丹波富士とも言われる美しいやま白髪山(721b)JR福知山線の古市駅からのスタートとなりました。前日に利用電車の時刻を案内していたので、み〜んな同じ電車でした。いえいえ違いますわ、カメちゃんだけは1本早い、電車を利用したらしく古市駅で私達を迎えてくれました。春の訪れにふさわしい、気分うきうきの楽しい1日になりそうです。今日はポチがロープを持ってくれています。鎖場で危険を感じたらロープをかける予定にしています。
古市は赤穂浪士・不破数右衛門のゆかりの地です。
古市駅の前には、赤穂浪士・不破数右衛門の墓所があり、お参りをしてから出発することにしました。寺には「水もこころもつかめません。汲みとるのです」と書かれてあり、な〜るほどと感心してしまいました。無名峰が多く、知名度の低い兵庫丹波の中にあって、白髪岳は多紀アルプス(三尾山・三嶽・小金ヶ岳)がガイドブックにも紹介されたことから、白髪岳への登山者の姿を見る事が多くなったそうです。2〜3日前の強風にやられたのか登山道が寸断されているところがあると地元の人に教えて貰いました。慎重に歩を進めていきたいと思います。
国道を外れると白髪岳が見えてきます。春の花も咲き始めていました。 住山の鹿物語の地
白髪山は「近畿100山」や「関西100山」にも選ばれ「ふるさと富士、丹波富士」の愛称で親しまれています。標高こそ721メートルではありますが、なかなか・・・しんどい山ではないでしょうか。ゆっくりと登っていきましょ!低い山でこそね色々な訓練が試みることができます。今日は地図読みの勉強もします。梅の咲く中で、桜も咲き、ツクシやフキノトウも見つけました。「帰りに摘もうね」と約束をして踏切を渡って直ぐ天神川沿いの住山集落への道を辿ります。登山口には大きな案内板があって小休止をしました。カメちゃんちの修ちゃんがつくってくれたと言うお饅頭を頂き、元気盛り盛り。
国道176号線で日出坂を草野へ下ってくると白髪岳の雄大で堂々たる山容が飛び込んできます。今日は地図の勉強も兼ねており、目標物があれば立ち止まってコンパスを出して北はあっちだ、こっちだと参加人数は少ないのに賑やかなこと・・・・い〜い勉強会です。
♪♪丹波篠山 山奥なれど 霧の降るときゃ 海の底・・・♪♪デカンショ節の一節を歌いたくなるようなスタートでした。
「恋しくば 尋ねても来ん 白髪岳 隠れはあらじ 住山の里」平家の尼 蓮司
登山口から左回り、つまり白髪岳から松尾山に登り住山集落に戻ってくるのです。
あづまや到着が午前10時30分、もう汗ばんでいます。登山者は少なく「やまたび貸し切り〜」と喜んで、ゆっくり、無理をせず登って行くことにしました。途中「椿の森」に寄り道(道迷い)をしましたが軌道修正をして岩峰ではミニクライミングを楽しみました。一郎ちゃんが悪戦苦闘していましたが慣れてくるとロープを出すほどではなく、白髪山(721b)到着は12時10分とお昼に丁度いい時間となりました。到着して驚いたことに「三角点」に鍋が乗っかっており、我々が三角点を大事にしていることを説明し鍋を移動して貰いました。(昔の私達もそんな体験していましたが劔岳・点の記を鑑賞してからは尊い三角点として大切にしています)
頂上近くにはちょっとした岩場があります。先を急がなければ二度三度楽しむのも良いでしょう。
くろねこさん かめちゃん ポチさん オリオンさん 姫さん やっちゃん イチローちゃん
白髪岳の頂上で…歳なんぼやねん
食後は「住山の鹿物語」を朗読をし、訪れた土地のゆかりを味わいました。お天気よし、コースよしで、昨日の黄砂が嘘の様で、最高の登山日和となりました。頂上でも地図の見方の勉強を熱心にし、本日の2座目の頂である松尾山(685b)には午後13時40分
到着、ここでも地図の勉強をしました。北はどっちやと騒いでいた最初と違い、みんな少し理解した様子で地図読みも楽しくなってきた様子です。松尾山からは下り道ばかりでロープが張り巡らされていて、結構滑りやすくみんなに注意を促して安全に下ることに集中して下っていきました。倒木で登山道は遮断され不動滝では滝を眺めることすら出来ないほど荒れ果てていました。
ツバキの枝を折らないでくださいね…先日の大風で倒れた木からちょこっといただきました。
大きさの違う石を3種類ほど拾い、大きさによって落石時の「ラク〜ッ!」の声のトーン
が違うことをみんなで実験しました。不動滝で最後の休憩を取り、朝、通過した住山地区まで戻ってきました。オリオンさんが急用があるため登山口で早めのミーティングを済ませ、オリオンさんを見送りました。私達は朝みつけておいたツクシとフキノトウを採るため寄り道をしながら山菜摘みを楽しみました。イタドリはまだまだ芽も出ておらず、「季節限定イタドリ姫」の出番はまだ早い様です。帰り道の民家のおばあちゃんの家に見事なリュウキンカ(立金花)が咲いており見とれていたら「持って帰るかね?」と庭先から鍬を持ち出して、おしげもなく1株、2株と、栄養いっぱいの土とともにビオラも頂いて帰ることにしました。「大事に育てるからね、ありがとう」と丁寧にお礼を言い、古市駅近くの踏切のところまで戻ってきました。踏切の遮断機が降りて、たしかこの電車にオリオンさんが乗っているはずです。車内からオリオンさんが見えましたので、大きく手を振りお別れをしました。16時37分の電車に乗り楽しかった1日に幕を下ろしました。
 
白髪山山頂も松尾山も携帯電話の通話可能地域でした。
●住山の鹿物語
住山の八幡様の片隅に、やさしいお顔の子安地蔵(こやすじぞう)さまがお立ちになっていました。このお地蔵さんは、もともとは母鹿の供養と、子鹿の成長を願って建てられたそうです。
3百年ほど昔のこと、丹波の国、住山の郷、白髪岳の麓の、鰐谷(わんだに)に与作という人が一人で暮らしておりました。家は小さくて、屋根は杉皮(すぎかわ)で葺(ふ)いてあり、与作は、畑を耕したり、時々狩りをして暮らしとったったそうです。
そんなある日、梅雨も明けようかとする頃のこと、与作は誰に言うでもなしに、「あぁー、今日はほんまによう晴れて、気持ちがよい日和(ひより)やなー。久しぶりに狩りにでも出よかいな。」と言って、鉄砲を持って、山刀(やまがたな)を腰紐(こしひも)にはさみこんで、山道を楽々と登り始めました。
一寸行くと、鰐谷(わんだに)川の川向こうの岩間で、山茶(やまちゃ)のかげにちらちらと見えるものがある。よう見たら、2頭の鹿のようです。仲良うに木の芽食べているとこ見たら夫婦の鹿らしいのです。「あーっ、しめたっ」小さな声でつぶやき、与作は慣れた手つきで鉄砲を構えました。鹿にとっては一大事なんですが、鹿は一寸も気が付きません。与作は狙いを定めて、「ドスーン」銃声は谷間に、響き渡ったそうや。
かわいそうに雌鹿(めじか)に命中し、雌鹿は、苦しくて、苦しくて、のたうちまわって、胸からは血が滴(したた)り落ちとったそうです。けど、そのうちにだんだん、よう動かなくなり、死ぬ前のものすごい苦しみの中から、最後の力をふりしぼって、悲しそうに一声鳴いたそうです。
 
その時、雌鹿(めじか)の体の中から1頭の子鹿が生まれました。母鹿は、生まれた自分の子鹿を見守りながら、これから先を心配しつつ息を引き取ったそうです。雄鹿(おじか)は励ますために一声強く鳴きましたが、雌鹿には、その声を聞きとる力はもうありませんでした。与作は、この様子を物陰で見ていましたが、申し訳なくて、せつなくて、3匹の鹿に近づこうとしましたが雄鹿は跳びつかんばかりに、与作を近づけようとはしませんでした。
与作は膝(ひざ)をついて、両手を合わせて、「あぁー、かわいそうに、むごいことをしてしもた・・・。すまん、すまん、ごめんしてや。せめてものおわびに母鹿を弔(とむら)わせてもらうさかい。」 そう言い、穴を掘って、お墓をつくって弔いをしました。
「わしはもう鉄砲は持たへん。猟師はやめた。母鹿殿、この子鹿はどんなことしても、大事に育てるさかい成仏(じょうぶつ)してや。父鹿殿、一寸の間預かっていくけど、心配せんといてや。おおきゅうなったらここへ返すさかいなぁー。」と与作は子鹿を小脇にかかえて家に戻ったんやて。
与作は、自分が犯した殺生を悔やんで、撃ち倒した母鹿を供養し、子鹿の成長を願うて、一心に、真心をこめて、石の子安地蔵さまを彫り、鹿の墓場にお祀りしたそうです。つれ帰った子鹿には、木の芽を砕いて食べさしたりして大事に育てました。そのかいがあって、日ごとに大きく、成長していったそうです。子鹿は、立派に育ち、父鹿のもとに帰してやりました。3カ月ほど経ったある日、お地蔵さまの前に元気な子鹿をつれた雄鹿がいたそうです。亡くなった母鹿にいろいろと話したり、報告しとったんかもしれません。
そんな様子を、涙を流しながら見守る与作の姿がありましたが誰も気が付きませんでした。
たぶん、子安地蔵さまだけはご存じやったと思うけど・・・。
与作がつくったこの子安地蔵をお祀りしたと言われる所を、今も地蔵谷と呼んでいます。また、この子安地蔵は、後に住山の八幡神社に移されたとも言われています。

文:久田美智子 写真:鹿島秀元

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