2012.11.06
第18日目  ナムチェバザール〜パクディン
ナムチェバザール3446m〜パクディン2610m

 
午前6時50分朝食を摂るため階下に降りるとウッチー会長はすでに朝食を済ませた模様。どうも周りがあわただしい。「ジョンさんそのままで寒くないですか?」とジャムジャムクラブ社長が尋ねました。
「今からヘリポートへ行きますよ」「全員が食事を終えた後に見送りという話ではなかつたのか?」「7時過ぎにはヘリポートに待機するようにと言われています」ジョンは慌てて3階の部屋に行きダウンジャケツトを着てきました。ウッチー会長はサブガイドとポーターに抱きかかえられるようにしてきつい上り坂を何度も何度も休憩しながらやっとの思いでヘリポートまでやってきました。姫は階段に続くマニ車を回しながら「ウッチー会長が一日も早く元気になられますように!」と何度も祈り続けながら登って行きました。ヘリポートはコンクリート敷きではなく小石が並べられていました。
これは離着陸時には風圧で大変なことになるかも知れないと感じました。
待つこと40分の間にウッチー会長の気を紛らわすために尻相撲をしたり手押し相撲をしたり、周りの風景の説明を受けたりしながらヘリを待ちました。ウッチー会長の顔にもやっと笑顔が戻りました。ここからの乗客はウッチー会長と付き添いとしてサブガイドのチャーチット、ロッジのオーナーとその息子の4人です。しかしよく聞くと搭乗定員は3名との話もあり何がなんでもウッチー会長をへりに先に乗せなければなりません。やってくるヘリはレスキュー専用機ではない様子です。姫は二人のポーターを呼び、ヘリが到着したらウッチー会長を抱きかかえるようにしてヘリに近づくこと。ウッチー会長は更にしんどそうな顔をしてポーターに身体を預けることを説明し3人ともおおきくうなづいてくれました。やがてヘリの音がして機影は大きくなり着陸。その寸前の砂吹雪のすざましいこと!全員が目をつむり、顔をそむけました。
完全に着陸するとエンジンの音も風もやさしくなりバイロットは機体から降りて後部の荷物席をあけウッチー会長のバックを押し込みました。続いてウッチー会長が先に乗り込み 付き添いのチャーチットも乗り込み子供が後部座席に収まりました。ロッジのオーナーは副操縦士席に座りました。ウッチー会長と別れを惜しむ姫に機体から離れるように指示をしバイロットは操縦席に座りました。
 ドアが閉まり、エンジン音が上がり、回転が速さを増して行きました。砂吹雪が舞い次の瞬間機体は大空高く舞うのではなく谷底めがけて落ちるように滑空していきました。全員で「ばんざ〜い」の声。ホッ!・・・。
あとはカトマンズ空港で待つ救急車に乗り病院につけば完璧なる治療が受けられるだろう。まずは一安心。  
ロッジにもどり朝食を済ませ出発準備をしました。3人のポーターさん達は私達の荷物を手際よく分配し背負う準備を整えていました。あとのポータ―さん達はテント機材、食材などの運搬のため先に出発していました。私のリュックには寄せ書きをしてもらった姫旗がなびいており多くの人達が見つめていました。ヨーロッパ人が「アイランドピークはきついですか?」と尋ねられたので「体調次第です。体調がよければ大丈夫登れます」と答えておきました。ロッジの中から、旗を見て名前を知ったのか、「ミチコサン」と声を掛けるおばちゃんがいて、一緒に記念撮影をしてほしいと頼まれました。知らない人から声をかけられるのって嬉しいです。喜びを隠せませんでした。
午前8時ナムチェのロッジを後にしました。ロッジの周りには、いまからアイランドピークに向かう人もいて私達がピークを踏んだことを知ると「おめでとう!」と握手を求めてこられました。アタックキャンプまでの苦しい10日間を振り返ってみるとピークを踏めたからこその心の余裕。これが無ければ今から行く人に心からのエールが送れないような気がしました。
ロッジを出てみやげ屋に立ち寄りアイランドピークの帽子やネックウオーマーを買い求めました。店の中の品数では足りなくて近所のお店からおじさんが持ってきてくれました。
店のおばさんに日本語で「お姉さんドーモありがとう」と言われました。横でジョンが「みかけは姫の方が若そうやけど絶対あのおばちゃんの方が若いと思うわ」とチャチャを入れてきました。

ここでマッチンドラー・トレッキングガイドの良き一面に触れることができました。
私達が土産屋に立ち寄ってくれるようにお願いすると、「OKネ」いつものように快く応じてくださいました。私達は自分たちのザックに入れるようにしていたのですが、彼はその日のポーターさんの荷物を調整し、少し軽くしたポーターさんを店先で待たせていてくださいました。買った物をザックに入れようとすると
「ザックに入れなくてイイネ。ポーターさんに持ってもらうから」そう言うが早いか、みやげ物袋をポーターさんに渡しました。私達は申し訳なく思いましたが、ポーターさんも笑顔で引き受けてくれました。仕事といえばそうかも知れませんが、心温まるひと時でした。
 コンデ山群。左よりヌプラ5885m・クワンデ6187m
ナムチェからよく見えたコンデ山群、コンデ・リの山々に別れを告げ下っていきます。下りということもあって随分足取りが軽く感じました。往路は息も絶え絶えに登った坂道でしたが今はその苦しさも思い出すことはできません。
少し下るとアーミーチェックポイントがありガイドさんが立ち寄るも人影がありません。担当官は木漏れ日を求めて小屋の外に机を置いていました。思わず一緒に写真を撮らせてもらいました。ルンルンとした気持ちで下って行くと大勢の人の姿がありました。何事やと思いきやエベレストビュースポットでした。往路では雨のため見ることのできなかったのですが今日はくっきりとよく見えています。今回の山行でエベレストの雄姿を見れる最後のポイントだそうです。ここで3人のおばちゃんがみかんやりんごを売っていました。誰聞くとなくこのみかんとこちらのみかんの違いはと聞くと「こちらは中国産・こちらはナムチェ産。食べると違いがわかるよ」と説明してくれましたが誰も買う気がないのか足早に立ち去りました。私の旗を見たアメリカ人のおばちゃんが「アイランドピークに行ってきたの?」と質問をしてきました「ハイ」と言うと、Congratulations.と言ってくれて一緒に写真を撮りました。
このあたりから材木を担いだポーターさんが多くなってきました。どこかで新築中の建物があるみたいです。登り優先をよしとしている我々は避けることに専念をするため、なかなか前に進むことができませんでした。やっと川底に近づいてモンジョから3番目の吊橋に到着。今日のクライマックスは終わったような気がしました。吊橋を渡ったところで、これから上をめざすであろう外国人の姿を盗み撮りをして足早に立ち去りました。
河原に降りると多くのトレッカーやポーターさんも一休みをしています。
私達も一休み。島田氏が配ってくれた高山病に効くというポップコーンが妙においしく感じました。河原沿いのゴロゴロ石道をたどると、やがてモンジョから2番目の吊橋に到着。多くのポーターさんや登山者が渡ってきます。私達は橋のたもとで待機。それにともなって私達のポーターさんも待機しながら休憩をしていました。橋の中にポーターさんが消え登山者だけになった瞬間我々のポーターさんが渡りはじめました。
ポーター同志のすれ違いができなくても登山者とポーターのすれ違いは出来ることを知っているようです。

私達も続いて吊橋を渡ることにしました。

今日は多くの登山者とすれ違いました。
エベレスト街道を登って行った人は200人は越え300人に近かったのではないでしょうか。
ポーターさんの中には100sもあろうベニヤ板を背負った人、3bはあるような長い材木を横に担いで人など、さまざまな荷物を背負って登って行きました。
途中喘ぎながら戸板を背負って登って行く歩荷さんを足場の悪い所で強引に追い抜く外人男女がいました。
姫は「こんな危険なところで追い抜くなんて!どんな神経してるの!」と大阪弁が谷間に響きました。男性は「アイムソーリー」と申し訳なさそうにすれ違いました。女は全く無視を決め込んでいました。その後に続く20人程の団体は姫の剣幕に先を越すことができず歩荷さんの後ろを歩いています。

一歩一歩登る歩荷さん。それに続くネパールのガイドさん。そのガイトに向かって
「こんなに一生懸命働いているんやからちょっと待ってあげてね。そんなに急がなくてもエベレストは逃げへんよ!」そのガイドさんはニッコリ微笑んでくれました。

「姫の日本語はどこでも通じさせることができるんやなぁ」とジョン。
ベンガルの滝、トクトクの滝を見ながら歩き続けパクディンの集落上部にかかる吊橋を渡りパクディンの町へと入りました。少し歩くと今日の宿泊ロッジに到着です。

ヘリコプターで搬送されたウッチー会長はカトマンズで待ち受けていた救急車に乗り病院に入院、詳しい検査を受けることになりました。
16時30分」パクディン着
 「パクディンのロッジ泊」
 この日のコンディション
今日はJONがベジタブルヌードルを頼むと焼きそばのような物が出てきました。私はスパゲティをたのみました。
今日はどちらも半分ぐらいは美味しく食べることが出来ました。思い起こせば往路で此処に泊まったときダルバートを食べて以来の大食でした。腹痛は治まりました。鼻炎はまだつづきます。