序 章 ヒマラヤを目指すきっかけ

 カラパタールカらエベレストを望む
2011.7.5
ネパールの山岳トレッキングコーディネータ、Mr・ビシャール氏が大阪の私達のもとを尋ねていただき、お土産にと上掲のカラパタールから撮影したエベレストの写るポスターをいただきました。
このとき彼の誠実さと流暢な日本語、母国ネパールを熱く語るその口調の魅力に惹かれました。
別れ際に「ぜひネパールを、ヒマラヤを訪れてください」
彼のその一言が、ヒマラヤを志すようになった第一歩だったのです。それからというものネパールの地図を開き、インターネットでネパールの知識を得、動画で登山の様子を検索し続けました。
ヒマラヤに行くならエベレストも見たい、トレッキングだけではなくピークハントもしたい、どのピークなら踏めるのか、メラピークも有名、アイランドピークも有名、テントピークも有名。メラピークはロッジが少なくテント泊がほとんどを占めるため、女性には辛いと聞く。テントピークはエベレストが見えないかもしれない。Mr・ビシャール氏に相談したところ「アイランドピークが良いのではないか」ということになりました。
立山〜新穂高縦走時に薬師岳の下りで山小屋の研修に来ていたMr.ビシャール氏と会いました。
昨年9月4日から12日の9日間、立山室堂〜新穂高縦走をやった時、その4日目、薬師岳から太郎平に下る途中で山岳研修に来ていたMr・ビシャール氏と出合い親交を深めました。彼は私達の知らない山蔭の山々の名前まで詳しく教えてくださいました。
「日本の山は良いですねえ。いつ来ても心に残ります」
「ヒマラヤの山々はどうなんですか」
「雄大です。でも日本の山のように一日で登ることは出来ません。3000m級の立山は冨山から一日で登れますね。1000m級の六甲山も神戸からすぐ登れます。ヒマラヤの山はそうは行かないんです。登山隊を編成して行かなければ無利なんです。でもそれが魅力ですね」
Mr・ビシャール氏の熱い語り口調に、ぜひヒマラヤを見てみたいと改めて感じました。

子育てを終え(母として卒業)、義父母を見送り(嫁として卒業)、夫の定年退職を無事迎え(妻として卒業)自分自身もサラリーマンとして定年まで勤務し(労働者として卒業)人生に一区切りを打つことが出来ました。ここらで人生最大のわがままを言っても許されるのではないかと考え、家族の理解のもと、ヒマラヤ・アイランドピークに行くことを決心致しました。

6180bの未知の世界への挑戦が成功するのか、それともドクターストップがかかるかは現地でその日を迎えてみないとわかりません。「行こう」と決めたら頂点を踏む、踏まないは時の運と決め、準備を整えて旅立つことにしました。メンバーの顔合わせ、メンバー同士のトレーニングなどの積み重ね出発を迎えました。この間、「山岳保険の問題、行程の見直し、現地での高山病等の不安要素」などなどありましたがウッチー会長が昨年ネパール山行を体験されたことで「ヒマラヤ便利手帳」なるものを情報提供して頂き、不安はひとつ消え、ふたつ消え出発前には晴天の空の様に晴れやかに関西国際空港で合流することができました。家族や仲間の熱い応援を受けて「いざっ!出発!」。