2012.10.28
第9日目  ディンボチェ滞在…高度順応日 ナンガソンピーク5083m登頂
ディンボチェ4343m〜ナンガソンピーク5083m  外気温−1.2度。湿度 測定不能

今日は高度順応をするために5083bのナンガソンを往復します。ナンガソンピーク(5083b)は、イムジャコーラ(左の流れ)とエベレストからのロブチェコーラ(右の流れ)を分ける尾根上の好展望ピークである。

昨夜から姫が腹痛を訴え始めました。正露丸を服用しています。ナンガソンピークは岩山のため緊急事態が発生した場合、座る場所があるかどうかが問題です。

道路も氷結しています。ディンボチェ4343bからゆっくりと時間をかけて740b高度を上げてこれで高山病にかからなければチュクンからベースキャンプへと移動する目安の様です。
今朝のディンボチェは薄っすらと雪化粧をしています。昨日干しておいた洗濯物は冷凍室に入れたようにカチンカチンに凍っています。
ガイドのマッチンドラー氏とサブガイドのチャーチツトさんの足元は素足にサンダル履きです。彼らに聞くと「ネパールのガイドは、ハイキングはいつもサンダル履きネ」いとも簡単に言ってのけます。そういえばポーターさんの足元もサンダル、クロックス、形の崩れた運動靴が多く見られました。それで歩くのですからポーター経験者のガイドさんサブガイドさんにしてみれば何でもないことなんでしょうね。ナムチェバザールの高度順応日も彼らはサンダル履きでした。
 チョルテン(仏塔)のあるデュサへの道を分ける峠 ディンボチェは薄っすらと雪化粧です
チョルテン(仏塔)のあるトルカへの道を分ける峠から見るロブチェ方面の景色は雄大だった。
ロブチェ・コーラをトルカに向かう道が見えます。右奥はロブチェ・イースト(6119m)
タウェツェ(左 6501m) と チョラツェ(右 6440m)。この2つの峰は、ロブチェコーラの入口右岸に、エベレストへのジャンダルムのようにのように、特異な姿でそそり立っている。この山の初登頂は、タウェツェが1974年にフランス隊によって、またチョラツェは、1982年にアメリカ隊によって征服されている。
どこかでヘリコプターの音がしています。空を見上げても機影を発見することはできません。隣でジョンが「どこ見てるねん!はるか下の方を飛んでるやろ?!」そういわれて視線を落とすと山の谷間をへりが飛んでいました。V字谷に沿って飛ぶヘリコプターは山肌に当たるのではないかといらぬ心配をしたりしました。
姫は腹痛を訴え、まるでゾッキョかヤクの如く、所構わず岩陰を見つけては走り込んでいました。
トウェツェ(左 6501m) と チョラツェ(右 6440m)
ナンガソンピーク(5616m)
エベレスト街道の周囲に聳える多くの美しい峰々の中でも、アマダブラムは最も迫力のある名峰である。
アマ・ダブラムとは、“母の首飾り”の意味を持ち。ネパール一美しい山と言われている。
1961年 ニュージーランド隊によって初登頂された山である。   
アイランドピーク中央、左はローチェシャール(8382m)、右の三角錐はピーク38(7591m)
11:30 タルチョ(祈祷旗)がはためく頂上に到着です。頂上は風がきつく長い時間居る事はできませんでしたが、充実感はいっぱい味わうことができました。遠くの峰峰を楽しみ、直下のイムジャコーラやロブチェコーラの谷を楽しみ、有意義な時間を過ごすことができました。数日後にアタックをかけるアイランドピークが手の届くような位置に見えたのはすごく感激でした。
ウッチー会長は5083bのナガルチャンへの登りが息苦しくなりサブガイドのチャーチツトさんと共に「行けるところまで行く」に変更し、同じ道を引き返す私達と合流したらそこで一緒に下山するという事にして大事を取ることにしました。
この日の高度順応は体を休める目的もありゆっくりすることができました。
毎日朝8時から歩き始めて16時頃まで歩き続けます。
私たちは疲労を残さないようにゆっくりゆっくり歩くためどうしても歩行時間が長くなってしまうのです。
この日は、荷物を解く必要も無く慌てて朝荷造りする必要も無く気楽な一日が過ごせました。
高度障害を感じることなく下山できましたのでベースキャンプまではたぶん大丈夫だと思います。
ロッジに帰って一休み

ポーターさん、クックボーイさん、キッチンボーイさん、サブガイドさん、トレッキングガイドさん、クライミングガイドさん、全員勢揃いです。
クライミング・ガイド ニマ・シャルパさん

今回お世話になりましたクライミングガイドさんです。
チュクンのロッジでは私達のクライミングギアをチェックしてくださいました。この日からアタックまでいろいろ助けていただきました。ベースキャンプではスノーバーから出ているランニングビレイの通過のしかたや懸垂下降の要領など教えていただきました。私達がハイキャンプに上がる日には、私達の安全を考え、一足早くアイランドピークまで登り、ヒドンクレバスの有る、雪のプラトーに漂竹を打ってくださっていました。
ハイキャンプではポーターさんの不注意で溢してしまった水の確保に尾根を一つ越えた氷河まで氷を採りに行ってくださったり、難しいところではさりげなく手をさしのべて下さいました。
  寡黙な人でしたが、ルクラでのお別れパーティの席で踊っていただいたのが今なお印象に残っています。

下山後洗濯物を取り入れると少し湿っておりストーブのそばで温めながら何とか仕上げることができました。山行中の洗濯はあまり意味がないかも知れません。
ロッジの食事はこんなもん
 「ディンボチェ・ロッジ泊」
 この日のコンディション
この日からお腹の状態が絶不調。何も受け付けない。持っていたアルファ米の赤飯をお粥にして食べる。
最悪。