神武天皇も通ったという神路(かみじ)や今里界隈を歩いてみると、あちこちに由緒ある昔の史跡などが残されているのがわかります。私たちの祖先が残してくれた、記紀神話の時代から続く貴重な遺産の数々を訪ねてみましょう。 
▲大阪メトロ 今里線 今里駅
このあたりは大正時代までは東成郡と呼ばれていて、大正 14年(1925)、大阪市に編入されました。そのひとつとし て今里ロータリーが昭和9年(1934)に完成しました。地 域のお年寄りのお話では、ロータリーには中に木柵があり、 公園としてよく遊んだとのことです。当時は信号もなく、車 は円を描くように流れていましたが、昭和30年(1955)に 信号がつけられ、ロータリーではなくなりました。この交差点からおよそ200m北へ行ったところにある今里駅の7番8番出入口が今回のスタート地点になります。
▲暗越奈良街道の起点 そして 「シルクロードの終わるところ」
 これらの標識は今里駅の7番8番出入口から北へ少し行ったところで、今里筋を挟んで東西の角にあります。ここから東方向に折れれば暗越奈良街道です。
暗越奈良街道は、古くから大阪と奈良を結ぶ最短の道でした。生駒 山を越える際に、樹木が茂って昼でも暗い「くらがり峠」を越えるこ とから、この名前がついたそうです。この街道は江戸時代にお伊勢 参りに利用された道で、東海道のような関所もなく、一日に7~8万 人もの人が通る賑やかな街道でした。現在でも毎年12月28日には 玉造稲荷神社を出発する伊勢参りの会があります。
▲ 古いまちなみが残る街道筋
この辺りは、暗越奈良街道らしい古い町なみ が一部残っています。昔は街道沿いに多くの 店があったようで、臼がおいてある家では、 餅を街道で売っていたといいます。しょう油 や豆腐屋など、生活に密着するお店が多かっ たようです。
▲今里西之口公園にある謎のコンドル
謎のコンドル 今里西之口公園にあるコンドル(石の レリーフ)は、セメントで形を作られ ています。地元のお年寄りのお話で は、昭和10年(1935)ごろからこの 付近にあったようです。ある百貨店に かかげてあったという説や、ワイン工 場にあったレリーフであったという 説などがあります。
▲今なお街道の名残が残っているところです
▲ 熊野大神宮
  伊弉冊尊(いざなみのみこと)ほか五柱を奉斉する旧大今里村の氏神で、用明天皇2年の創建と伝えられます。石山合戦の際、兵火にあいましたが再建され、元和(17世紀前期)以降大坂城代就任と領内巡視の時は、必ず社参することを恒例とした社で、熊野権現と称し、明治5年(1872)に現社号に改め、同44年(1911)旧東今里村氏神八剣神社を合祀しました。
▲妙法寺
 妙法寺は江戸時代の国学者で有名な契沖(1640~1701)が10年間住職を務めたお寺です。契沖は妙法寺で『万葉代匠記』という『万葉集』の注釈書を書き、その功績が認められて、水戸光圀から香炉が贈られました。水戸家の三つ葉葵の紋が入ったものは珍しく、以前は本堂の線香立てとして使用されていました。また、妙法寺は七福神の一人、開運出世の神・大黒天さんがまつられていることで有名で、妙法寺の大黒天を信仰する人は、皆ことごとく繁盛すると評判になり、「南にては今宮のえびす、東にては今里の大黒」といわれたほどでした。
▲火袋式道標 (笠とうろう)
この道標は、以前は千日前通(産業道 路)南側にありました。珍しい火袋式 で、中にろうそくを灯し、夜間の通行 を助けたものです。江戸時代、夜間は 旅をしませんから、物資の夜間運搬用 にとうろう型にしたようです。設置し たのは「江戸積の釘問屋」と道標に表 示されています。
 ▲旧三井被服釦(レトロ建築)
笠とうろう付近から見えるレトロな建物 が旧三井被服釦(ぼたん)です。今里周辺 は明治中頃から大正時代にかけてボタン 製造業に携わる事業者が30軒ほどあっ て、東成で最も大きなボタン会社でした。 
 千日前通(産業道路) 千日前通沿いには現在でも機械・金属 関係の会社がたくさんありますが、こ れは戦前に砲兵工廠があったからで す。そのためか、地元の人には産業道 路とも呼ばれています。
▲神路・神路小学校
神路小学校は現存する中では東成区で一番 古い小学校です。創立当時は阪東小学校(大 阪の東にあるから)といい、現在の笠とうろ う付近にあったのですが、大正9年(1920) に、コロでごろごろと現在地に移されまし た。神路という地名は、初代天皇の神武天皇 が暗越奈良街道を通って東征した…との言 い伝えから名づけられました。
▲夢・ふれあいギャラリー
夢ふれあいギャラリー 平野川分水路の堤防沿いにある青空ギャラ リーです。以前はコンクリートの壁面で汚 れていましたが堤防を掃除して、区民から 東成区の夢・将来の絵を募集して平成16年 度に完成しました。子どもたちが描く将来 の東成区の姿を見ることができます。
新道橋 平野川分水路は、戦後に何度も浸水したの で、護岸大改修が行われて現在の姿になり ました。昭和61年(1986)完成の新道橋 は、橋の欄干と椅子が一体に整備されてい る日本でも珍しい橋です。お年寄りの方た ちにも利用していただけるようにとの思い で、ゆったりとした空間を確保するために 橋が拡幅されました。椅子は暖かい感触の ある信楽焼で作られています。
▲東成新道ロード商店街
新道というのは、暗越奈良街道の「旧道」と対比して名づけ られたものです。東成区で一番長い商店街で、布施まで続 けば日本一かも? 昭和初期から続く商店街で、看板やの れん、店構えがいかにも昭和レトロの風情がたっぷりで、 こだわりのお店がいっぱいあります。まち歩きの最後は、 東成新道ロード商店街でお買い物を楽しみましょう!
▲今里筋 左は東成新道ロード商店街 を出たところ 右は暗越奈良街道の起点
暗越奈良街道の起点から一本北へ進んだ信号に出ます。ここから西にわたってみると西へ進む街道筋があります。
 
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 美智子  
は平成12年(2000)に完成した東横堀川水門は、道頓堀 川水門と対になっている閘門です。①門の前後で水面の 高さが違う時に水門内で水位の調整を行い船舶を航行さ せる、②大雨や高潮で水位が上昇する時は水門を閉めて 浸水被害を防ぐ、③潮の干満を活かして門を開閉して水 質
をきれいにする、という役割があります。水門が開閉す るときに船の信号がわりに出る噴水は、大阪市章「みお つくし」のかたちをイメージしてつくられたそう