紀伊山地の霊場と参詣道:熊野古道 大辺地 4 江住~田並 2018.04.08

 
 
熊野古道:大辺路が始まりました
●1日目:4月8日(日)快晴 江住から田並へ(15km)
江住駅前11:02➡宇の平見11:52➡中の平見道➡大平見道12:05➡雨島の平見➡東平見?田子➡富山平見➡江田バス停➡のう凪バス停➡
17:30  田並の宿ダイバース深海 (泊) 
春爛漫の中、海岸線を歩く快適コースです。残念ながら桜は散り急ぎ、葉桜となっていました。熊野灘の雄大な自然が織りなす風景を肌で感じながら進んでいきます。
 天王寺駅 7:54発 特急:くろしお  車内はガラガラ  いつものメンバーjunko&yacchi   hime&jon 
 ▲和歌山駅のホームでは職員さんが見送ってくださいました 
皆様右手をご覧ください 皆様の旅の安全をお祈りし職員一同お見送りをさせていただいております…  ちょっと車内アナウンスが欲しいなあ
  ▲太平洋を見ながら  ▲10:32 周参見到着   ▲ 国道42号を突っ走り   ▲江住駅前に到着
 ▲江住の旧国道に立つ庚申塔  ▲新国道42号と旧国道の交差点に立つ藤屋の地蔵
天王寺7時54分発くろしお号新宮行きに乗り周参見駅10時32分到着。予約しておいた周参見タクシーに飛び乗り、一路江住駅を目指します。
江住の国道42号から大辺路に入る角に佇む道分地蔵にお詣り、そして国道を南に渡った旧道に祀られている庚申塚にご挨拶を済ませ、いよいよスタートです。 
 ▲江住駅前から集落の中を通り再び国道42号へ合流します。
歩き始めて間もなく町中から左折してJRの小さいトンネルをくぐると、海辺話の町特有の屋敷を石積みで囲う集落の中に出ました。
まだ歩きモードになってない私達の体は集落の中の急な坂を喘ぎながら登っていると同年代と思しき男性が後ろから追いついて来て少々世間話し。子供の頃石畳でよく遊んだと教えてもらってお別れしました。
42号に出て和歌山県の街道マップに従って大辺路へと藪の中に入ると何となく道筋が見えてきます。木立の中を右左と進んでいると後ろからガサガサっと大きな音、ギョギョ、熊か、はたまたイノシシか、恐る恐る振り返ると先ほどのおじさまでした。こっちこっちと、言われるままに付いていくと確かに古道と窺える場所は有ったが、石積みの後は遺され石畳は崩れたりしてはいたが立派な熊野古道大辺路のかつての姿だった。再びおじさまと別れて先を急ぐ。
 ▲古道の一部はすごく良い道でした
すぐに国道を離れて藪の中に入ります。木立の中にはこんなに良い道が隠されています。子供のころに江住で育ち、現在は鴫野にお住いの鈴木さんは本日里帰りをしておられ、石畳の残されているところを案内してくださいました。古道はひどく荒れており様変わりした様子に驚いておられました。
  ▲民家の屋敷の入り口の横を通って古道に入ります   ▲こちらが大辺路です
 ▲古道を歩いていると またまた国道42号と合流します。歩いていくと左手に「宇の平見地蔵」が祀られていました。 
 国道42号から右手に下りていくと紀勢線を越える所があります。地元の人達に聞いて見るとよく使われていると言う返事、何のためらいもなく気を付けて渡ります。初めての体験なので、レディース達は、楽しみながらルンルンと渡ります。「コラァー遊ばんと早う渡れ!」 リーダーから檄が飛んで来ますが、ムシムシ
踏切を渡たったところで、姫が行方不明!どうしたことかと思いきや、近くの草むらで動く人影、タヌキかと思いよく見ると姫がイタドリをとっていました。やれやれ!
 ▲中の平見地蔵  ▲大平見地蔵
 ▲国道42号の里野集会所の手前から右手に折れ六坊浜へと降りていきます
 ▲六坊浜の入り江を歩きます
 ▲六坊浜を離れふたたび国道42号へ戻ります
 ▲ホテル・ブルーマーメイドの近くで、自転車で日本一周している名古屋の青年と出会いました
名古屋から熊野路を走りなら、大阪、姫路と山陽道を西に走り四国へ渡って九州へと入るそうです。「何日間の旅を予定をされているのですか」と聞くと、「予定は決めておりません、気楽な旅です」と応えてくださいました。お食事中でしたので早々にお別れして次に進みました。
 ▲雨島の掘割
 ▲雨島の三界萬霊塔と六地蔵
 ▲三界萬霊塔から雨島の集落へと向かいます
 ▲木ノ本神社  ▲ここを下れば国道42号です
 ▲金毘羅宮
 ▲熊谷でJRの下をくぐると熊谷バス停の南側にお地蔵様が祀られていました
 ▲和深駅前で昼食タイム…その時「イソヒヨドリ」がやって来た
和深駅から東平見への熊野古道は、JRの線路をまたぐように跨線橋があったようですが、劣化して危険なため今は通行禁止、少し大回りをして峠を越えます。 
 ▲和深地区の藤も綺麗に咲いていました
 ▲東平見大師堂と「おおな魚」伝説
串本町の和深の弘法大師伝説
遠い昔のある冬の日の事だった。みすぼらしい旅の僧が疲れ切った表情である一見の漁師の家を訪れた。粉雪の舞う凍てつくような寒い日だった。旅の僧は空腹と寒さで震えながら「何か食べものをください」と言った。あいにくその家では食事を済ませた後で何もなかった。漁師が漁に出かけるために作った弁当があるだけだった。
いちどぐらい食事を抜いてもと、漁師は弁当を旅の僧に与えた。旅の僧は大変喜びお礼を言った後で「この沖一里あたりで深さ100尋の底に大石があり、そこには「おおな」と言う大きな魚がいる。漁に行きなさい」と告げ、何処ともなく立ち去った。漁師はすぐに近所の人達にこの話をしたが、誰も信用しなかった。そのうち春がやってきた漁民たちは不良に喘ぎ表情が暗かった。その時旅の僧の話が出た。嘘でもいいからいちど現場に行ってみよう半信半疑で出漁の漁師たちは驚いた。旅の僧の言った通り今まで見たことのない大きな魚が釣れたうまい魚だった。誰言うとなくあの旅の僧は弘法大師だったのだ、お大師様のお恵みじゃとみんな大喜びだった。
 ▲和深港通過中
 ▲新田平見道に入っていきます
新田平見道
平見とは海岸に突き出たような平らな高山の呼び名で、波打ち寄せていた海岸が隆起した海岸段丘により形成されている。平見ではかつて乾燥に強いサツマイモや麦の二毛作が行われ平地の少ないこの地方の暮らしを支えるとともに文化的景観を形成してきた「伝次の平見」「西の平見」「東の平見」などと名付けられた平見が海岸沿いに続き「熊野巡覧記」にも「鬮野川村より和深浦の間に小坂四十八カ所あり」と云うとあるように、平見を越えて磯道を連続して辿る小坂が続いている。
新田平見道は50m以上にわたり幅広い石段と石畳が現存している道で当時の人々の生活を偲ぶことが出来ます。
 ▲新田平見道から田子駅を目指します
 ▲田子の六地蔵  ▲やっと田子駅だあ
 ▲富山平見道
富山平見道
歩道に敷き詰められた石畳や石段は、坂道の保全や巡礼者の安全な歩行のために地域の人たちが近場で産出される石を敷設したもので、石畳に混じってサンゴが組み込まれている箇所がある。海岸沿いの古道は熊野三山を目指す巡礼者、六十六部と呼ばれた回国行者、西国三十三札所巡り続けた三十三度行者、天下泰平御祈願のための大峯入りの修行を終えた 醍醐寺・三宝院門跡ご一行たちが踏みしめた。
 ▲富山平見道からはJRの下を通って太平洋へと下りてきます
  ▲ドライブイン (廃業中)   ▲田子の浦
  ▲歌 碑   ▲徳本上人名号碑
  ▲徳大明神社 本殿    ▲徳大明神社 全景
 ▲中央が今夜お世話になる宿 ダイバーズ・深海さんです   ▲今日も一日 無事に終わりました
午後5時30分。今夜の宿のダイバーズ深海に到着しました。昼前からの出発にもかかわらずよく歩きました。お風呂が小さくて交代で入っていると夕食開始が午後7時を過ぎてしまいました。まずは乾杯!夕食を済ませるとイタドリの皮剥きタイムです。これが済まないと横になれそうもありません。(笑)
旅の感想文
 ●ひ め
短いアップダウンが多く、少々疲れやすい道でした。世界遺産として残されている、新田平見道、富山平見道も良かったですが、江住の集落のはずれにある古道は荒れた中にも往時を偲ぶことができ、とても印象深かったです。このコースならではの磯道歩きは古より使われていたようですごく楽しかったです。
 ●JON
いつもながら重たいカメラを2台持って、そのうえ、ゴンパチをたくさん背負って、楽しさいっぱいでした。三脚も持って歩きたいのですが、2.5kgはちょっと重く今回も脚はなしです。というものの熊野古道歩きではまったく持っていません。でも2度後悔しています。
 文:美智子姫 
 
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は平成12年(2000)に完成した東横堀川水門は、道頓堀 川水門と対になっている閘門です。①門の前後で水面の 高さが違う時に水門内で水位の調整を行い船舶を航行さ せる、②大雨や高潮で水位が上昇する時は水門を閉めて 浸水被害を防ぐ、③潮の干満を活かして門を開閉して水 質をきれいにする、という役割があります。水門が開閉す るときに船の信号がわりに出る噴水は、大阪市章「みお つくし」のかたちをイメージしてつくられたそう