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大阪市内に現存する八か所の渡船
 「熊野川船くだり」、「くらわんか船」と船旅づいています。今回は大阪市の渡船巡りをしようと言うことになりJRゆめ咲線・桜島駅から出発します。西九条駅から乗車できないほどの人、人、人で1台電車を見送りました。ユニバーサルスタジオジャパンに行く人達で電車は超満員です。座席を飛び越えて外国の方達の大声での会話、子供は座席にお菓子を食べこぼすし、朝からひどい目遭いましたがユニバーサル駅で下車した途端4~5人の乗客しかいなくなりました。やれやれです。

現在大阪市が無料で運営している渡船は8ヶ所あります。これを順番に歩くことにしました。此花区から港区、港区から大正区、大正区から住之江区そしてまた大正区と行ったり来たりの渡船巡りです。ウオーキング協会に所属していた時、何度も渡ってはいますが8か所全部を一度に渡るのは初めてです。ウオーキング協会時代はスタッフをしながらですので自分のために楽しむ時間なんてありませんでした。今回は新鮮な気持ちでいざスタート!
8つの渡船巡りの全距離は約15km。最初は自転車で行こうと言う話も出ていましたが最終的には渡船と渡船の間は歩きます。渡船時刻がうまくつながらない場合も想定内に入れて夕方までにはゴールをしたいと考えています。地元であるJR桜島駅を集合場所にしてjunkoちゃん、ジョンと姫の3人です。編笠山のトレーニングなので膝の悪い靖子ちゃんには気の毒なので声を掛けていません。
JRゆめ咲線・桜島駅が今回のスタートになります
桜島側はユニバーサルスタジオのある町、対岸は海遊館の有る天保山の町です
▲ 8-1 天保山渡船場
「8-1 天保山渡船場」乗船時間午前9時30分、乗船客12名
桜島駅から歩いて1km足らずで天保山渡船場へ到着しました。ユニバーサルに出勤するのか向こう岸の港区からやってきた外国人も沢山乗船しています。まずは此花区から港区へと渡ります。正面に見える大観覧車は海遊館です。こんなに近くに見えるのかと渡船巡りが初めてのjunkoちゃんが目をまあるくしています。下船後は天保山公園の中にある日本で1番低い山と書かれた「天保山 標高(標高4.53m)にも登頂しました。天保山は盛り土で「山」と認定され、長らく2等三角点がある 「日本一低い山」でしたが、2014年4月に、国土地理院が仙台市の「日和山(標高3.0m)」を認定したことで、残念ですが、 一位は返上となりました。「2番では駄目なんですかっ?」国会答弁でよく聞いたフレーズですね(笑)
▲天保山パブリックアート
港区の「海や港」をイメージした城谷切斉彦(Naruhiko Joya)氏の版画をもとに地元小学校の生徒達や創造社デザイン専門学校の学生ボランティアなど多くの市民の協力で、ここにモザイク壁画が完成しました。
天保山側で下船して通路に沿って進むとパブリックアートがあります。その切れたところを左へと進んでいくと天保山二等三角点があります。 
▲大阪・天保山 山頂 標高 4.53m
▲浪花天保山風景    歌川貞升 画
「浪花天保山風景」  天保山は、当時生駒、金剛、比叡などの山々や、四国、淡路島など四方の眺望に恵まれた景勝地でした。松や桜の木を植え、掛茶屋、見晴堂などもでき、庶民憩いの場として大いに賑わいました。「浪花天保山風景」は、パノラマ風にその賑わいを描いたもので、天保山で遊ぶ人々の様子など細かく描かれ、休憩所や、石垣で囲まれた船泊まりなども良く分かります。
本朝名所 「大坂天保山」初代歌川広重 画 天保山名所図会 「大浚」
 川浚えの土砂を積み上げて出来た天保山は、夜間航行の便をはかって高灯篭を設けるなど、船舶入港の目印になると共に、遊興地としても整備され、「四時ともに遊興の人絶ゆることなく」と記されるほど大阪随一の新名所になりました。この天保山は、冬の雪見、夏の遊船あるいは和歌俳諧の会合など遊覧客で賑わいました。 諸国名所風景を得意とした歌川(安藤)広重も、この本朝名所、「大坂天保山」の他、「諸国名所百景」などでも。この新名所天保山を描いています。 天保の大浚えは、まったくの人海戦術で行われました。人足が小舟に乗り、長い柄の鋤簾を使って浅瀬の砂を浚えて船に積み、岸に揚げ、それを陸の人足が籠や桶で、車に積んで安治川河口の八幡屋新田の先に積み上げていきました。船が整列して砂を浚える様子を描いたのが、天保山名所図会「大浚」です。
 「浪花百景 天保山」 南粋亭芳雪 画 天保山公園の碑 天保山渡船と天保山公園を後にして
大観覧車の下にあるバス停から
夕凪バス停まで バスを利用しました
バスを降りて三先1の交差点を右に折れ
まっすぐ南下していくと
甚兵衛渡船場です
船の目標となったことから目印山と呼ばれた天保山の沖に立つ澪標は、諸国の廻船に水深の深い安全な水路を知らせるための杭の一つです。大阪の澪標は、川と海の境である「一之洲」に立つものを一番としそこから川上に向かって十番まで設置していました。その第一番の澪標は、上部の形から俗に「鯖の尾」とも呼ばれ浪花第一の景物として知られていました。
これが、「浪花百景 天保山」に描かれた澪標で、水運の発達で繁栄した商都大阪と港の結びつきを象徴するのに最適な図案として市章のもとになりました。 
8-2 甚兵衛渡し
「8-2 甚兵衛渡し」乗船時間午前10時30分、乗船客5名
天保山公園から市バスに乗り「夕凪2丁目」で下車し三先一丁目交差点を右に曲がりしばらく歩くと甚兵衛渡船場に到着しました。ここまでの距離は長くて1時間は歩くため文明の利器「バス」を利用しました。目的は渡船めくりなのですから工夫をしながら疲れないように歩くことも大切です。甚兵衛渡船場は、尻無川を渡り港区から大正区に渡ります。 
8-3 千歳渡船場
「8-3 千歳の渡し」乗船時間午前11時00分、乗船客6名
甚兵衛渡船場からは、民家の無い、コンビニもない殺風景な道を川筋にそって道なりに歩くと、青い大きな橋が見えてきます。千歳橋です。その下に千歳渡船場があります。立派な冊子が発行されていたはずなので係員に尋ねると「廃止しました」とのことでした。経費節減の様です。1km少しを歩くと千歳渡船場に到着しました。千歳橋の高さは、30mほどあるのではないでしょうか。自転車や歩道で渡ることもできます。千歳渡船場からの展望は最も素晴らしく感じました。「千歳の渡し」は、運河が広くなった「大正内港」というところを渡るので最も乗りごたえあります。乗船時間は5分アッと言う間に到着です。
千歳渡船場から船町渡船場へは下船して道なりに直進、鶴町4丁目の住宅地に突き当たったら左折して直進します。船町2丁目の信号を渡って左折、一本目の道を左折して直進すれば船町渡船場に入っていきます
8-4 船町渡船場
「8-4 船町渡船場」乗船時間午前11時40分、乗船客5名
 千歳渡船場から船町渡船場へは徒歩で1400m「船町渡船場」に到着しました。
 船町の渡しは、8つの渡しのうち、最も所要時間が短く、出航してから、約40秒の乗船で 向こう岸に着岸です。「アッ」と言う間もありませんでした(笑)
この当たりは巨大な製鉄工場があり(中山製鋼所、 日立造船、ラサ工業など)、敷地に沿って極太の配管が束になって延々続いており、まるで別世界でした。民家もコンビニも無いはずです。
船町渡船場から木津川渡船場へは工場の間を南へ歩いて行き中山製鋼所前を左折直進して行くと右手に木津川渡船場の入り口があります。またその少し向こうに木津川大橋のループが見えますので少し足を延ばすとループの下に木津川飛行場の跡があります。
木津川飛行場
木津川渡船場に向かう途中「木津川飛行場跡」の碑があると言うので探していると木津川飛行場跡の看板を見つけました。説明板によると『わが国の近代航空技術は大正七年(1918年)ごろから急速に開発が進み、あわせて飛行場も必要になってきました。大正11年からは空の定期貨物輸送も始まり、大阪から東京、徳島、高松、別府などへの路線が次々と開設されましたが、当時はまだ木津川河口や堺の水上飛行場を利用していました。木津川河口に陸上飛行場が構想されたのは大正12年ごろからです。昭和2年(1927年)に着工し、昭和4年には未完成のまま東京・大阪・福岡間に1日1往復の定期旅客便が就航しました。しかし、市街地からの交通の便が悪く、地盤不良で雨天時の離着陸も困難であったため、昭和9年の八尾空港、14年の伊丹空港完成により、その役割を終え、14年には閉鎖されました』と書かれていました。
「木津川飛行場跡」の碑の側面には、「我が国最初期の本格的な民間飛行場である 昭和4年(1919)には東京-大阪-福岡を結ぶ定期旅客便の運航が開始され、近代大阪の玄関口として重要な役割をはたした」と刻まれていました。
すぐ後方を見上げるとぐるぐる回る旋回歩道が回りながら高度を上げて木津川を渡るようになっていました。
8-5 木津川渡船場
「8-5 木津川渡船場」乗船時間午前12時45分、乗船客5名
いままで待ち時間なしでスムーズに乗れていたのですが、ここにきて30分待ちとなりました。しかし丁度休憩も欲しかったところですので椅子に腰かけレーションを口に運び休憩をとりました。初めてトイレ施設もあり助かりました。お腹もほどほどに空いているのですが「民家無し、コンビニ無し」の渡船巡りです。ここの船便は少ないので事前に時間を調べておいた方がよさそうです。大阪湾につながる木津川は、大きな船が行き交います。 
木津川越しに見たあべのハルカス
あべのハルカス(Abeno Harukas)は、大阪市阿倍野区に立地する超高層ビル。2010年(平成22年)1月9日に着工され、2014年(平成26年)3月7日に全面開業した。
2017年現在、日本で最も高いビルであり、日本初のスーパートール(高層ビル・都市居住協議会の基準による300m以上の超高層建築物)でもある。
木津川渡船からバス停まで歩きそこからタクシーを利用して千本松渡船に行きました
8-6 千本松渡船場
「8-6 千本松渡船場」乗船時間午前13時15分、乗船客10名
木津川渡船場から千本松渡船場へは約4km歩かなければなりません。最初の計画通りバスかタクシーを利用することにしました。出来ればその前に食堂かレストランに行きたいのですが、どこにも見当たりません。バス停で時刻表を調べましたが・・なかなか来そうにありません。そこへ追い越し車線を走るタクシーが目に入りました。停まってはくれないだろうと諦めつつ大きく手を上げました。すると車線をまたぎ停車してくれたのです。有難かったなぁ!下船した側の木津川渡船場は住之江区で、千本松渡船場は西成区になります。
千本松渡船場から落合下渡船場へは木津川に沿って立ち並ぶ工場を左右に見ながら北方向へ進みます。
8-7 落合下渡船場
「8-7 落合下渡船場」乗船時間午前13時45分、乗船客4名
再び大正区に降り立ちました。最後の渡船場へは800mほどで到着です。足取りも軽くなりました。腹の虫が「♪♪メシを食わせ、メシを食わせ♪♪」と応援歌の様に鳴っています。この辺りは住宅が多くありますので、渡船を日々の生活に利用する人も多いみたいです。乗船する人達はどこからか時間になると自転車で集まってきます。
下落合渡船場から上落合渡船場へは車道に出て北へ取りしばらくは工場や西成公園に沿って歩きます。やがて道幅が広くなり綺麗な舗道に変わります。この舗道をしばらく歩き舗道が終わったところを左手に入ると落合上渡船場です
8-8 落合上渡船場
「8-8 落合上渡船場」乗船時間午前14時00分、乗船客7名
いままさに出航しようとしていた船に飛び乗りました。待ち時間ゼロです。渡船巡り最後の「落合上渡船」です。今までわかりやすい標識があったのですがここだけは、かなり高い位置に看板があり見落としそうになりました。西成区から大正区に下りたのです。記念に船をバックに写真を撮ろうとすると「撮影禁止です!」と制止されました。
何故?どこに支障があるの?「〇〇〇だから撮影禁止なんですよ」と理由を説明できないのかっ!この態度に「オイラ達は大阪市職員だぞー」とでも言わんばかりの風が吹いていました。他の職員の方達はとても優しかったです。「大阪市の渡船8ヶ所」は最後の最後に嫌な思いをさせられながらも…めでたくゴールです。
撮影禁止表示を目にしたのは此処の渡船場だけでした。それも係員から注意を受け指さされて初めて気が付いたのですが、その表示は被写体の陰に隠れるほど小さなものが一枚だけでした。他の渡船場にも有ったかもしれませんが気が付きませんでした。またそれぞれの渡船場の係員から制止されることもありませんでした。他の禁煙表示のように大きな看板がついていたら、また数枚の看板が設置されていたら、撮影禁止区域を明確に表示していただけたら、ルールを無視することは無かったと思います。
またこの渡船は観光用ではなく地域住民の生活道路の一環であると明示していただければ、わざわざ行くこともないと思いました。
いまのところ観光禁止にはなっていないようなので、行かれる方は運行の妨げにならないように注意し、撮影には充分注意されたほうがよいでしょう。
JR大阪環状線・大正駅の近くで遅がけの昼食をいただいて家路につきました。
 
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 文:美智子姫 
は平成12年(2000)に完成した東横堀川水門は、道頓堀 川水門と対になっている閘門です。①門の前後で水面の 高さが違う時に水門内で水位の調整を行い船舶を航行さ せる、②大雨や高潮で水位が上昇する時は水門を閉めて 浸水被害を防ぐ、③潮の干満を活かして門を開閉して水 質をきれいにする、という役割があります。水門が開閉す るときに船の信号がわりに出る噴水は、大阪市章「みお つくし」のかたちをイメージしてつくられたそう