2017
 
中山は標高478mのお散歩登山と、あなどることなかれ、岩場トレーニングにはもってこいのコースなのであります。日本百名山を終えてからは、すっかり山を卒業した気分で過ごしておりました。ある日、立山龍王へのクライミングのお誘いを受け、その気になって京都金比羅山でトレーニングをしました。ところが台風のため敢え無く中止となってしまいました。しばらくして姫が唐突に「青年小屋に行こう」と言い出しました。何故ならば熊野古道の岳友達が「ケーブルで登ってケーブルで降りる楽ちんコースの夏山に連れてって!」と言っていたのが気になっていました。その希望を叶えようと八ヶ岳・編笠山登山を企画したのであります。青年小屋の入口には「遠い居酒屋」の提灯がかかっており夕食後は歌声喫茶もどきもあるらしい。そんな編笠山へのトレーニングに岩場の多い山本から中山へのコースを選びました。出来れば山本の岩場だけのトレーニングを試みたいと思っていました。登りの事故よりも下りの事故の方がダントツに多く、ここはしっかりとトレーニングしておいた方が良いと考えたのです。
中山連山最高峰へは、大峰山・清荒神・中山寺・山本の四方からの登山道が繋がっています。
ホームグラウンドの六甲山も魅力的ではありますが気分を変えて阪急・山本駅に降り立ちました。靖ちゃんは膝を痛めてトレーニングも編笠山も不参加となりました。Junkoちゃん、ジョン、姫の3人の山行です。阪急・山本駅は静かでハイカーらしき人影は見当たりません。標識も随所にあり民家を掻き分けて登山口に到着。まずは最明寺滝へ。水量もあり小さいながら見ごたえもありました。信仰心の熱い人達にとっては神域なのでしょう。いつ訪れても独特の空気が漂っていました。
岩場の取り付き点で、しばし休憩です。レーションの柿を頬張り「手を使わないで登ろう」と言われましたが、加齢とともにバランスが悪くなり安全優先で登りました。バランスが悪くなっていると言う自覚こそが大切なのです。「久しぶりやわぁ」「こんなにきつかったかなぁ」と口々に感想を述べながら、見下ろす風景も吹く風も秋を感じることができました。
しかし照り付ける太陽は真夏を思わせるほどきつく、木陰を探して、たびたび休憩を取りました。水分補給を充分にしないと熱中症になりそうです。岩場を過ぎると鉄塔が建っており、下を見下ろすと満願寺の境内が微かに見えています。「ここで折り返して岩場を下り、満願寺に行こう」とルート変更です。山本の岩場は六甲山のロックガーデンの傾斜をきつくした感じで距離も長くトレーニングには最適のコースです。下りの岩場で、よく経験する「石車」に乗らぬように、よく見極めて足運びに注意しながら岩場のスタート地点まで降りてきました。この間にすれ違ったのは10人ほどの団体1組だけでした。きっと中山最高峰に向けて行くのでしょう。木陰を探して昼食タイムです。人気もなく充実したトレーニングができました。
 ~源氏ゆかりの社寺~満願寺 
▲女性の厄年とされている33才に因んで33段の石段を「女人厄除」を呼称しています。 動画にリンク
山門と金剛力士立像  毘沙門堂
この寺の「山門」は他の寺では見ることのできない珍しい形をしており(左の写真)、明治14年(1881年)に再建されたものといわれている。
 門の左右に安置されている「木造金剛力士立像(仁王像)」は多田院にあったものを移したといわれており、鎌倉時代末期の作とされ、兵庫県有形文化財に指定されている。(真ん中の仁王様の方がずーーーーと恐そうだあ)
 金 堂  本 坊
トレーニングを終えてJunkoちゃんの案内で、願いが叶うと言われている満願寺に立ち寄りました。満願寺は参道が果てしなく長い立派なお寺で、仁王門は、明治時代のしゃれた円形の門で珍しかったです。境内に立派な釣鐘が掛かっており100円を入れると自由に鳴らしてもよいらしく、早速鐘を突くことにしました。ゴーーーーン・・いい響きです。 
左:九重の石塔 鎌倉時代(正応6年1293年)に源氏一族の法尼妙阿が両親の極楽往生を願って建立したものです。塔は花崗岩(かこうがん)という、火成岩の一種でできており、高さは3m53cmあります。構造や形式などの優れた技法はその時代を代表するものと認められ国の重要文化財に指定されています。 
右:不動明王像 大きな慈悲の力の内に秘めた怒りのお姿。右手に利剣の刀、左手に羂索(けんさく)の縄を持っています。密教の教主に代わって修行者を守るといわれています。
 源氏の七塔  美女丸・幸寿丸・藤原仲光の供養塔
 ▲弘法大師立像  ▲金太郎のモデルである坂田金時の墓
境内の敷地には坂田金時の墓所もありました。金太郎は956年5月に誕生しました。彫物師十兵衛の娘、八重桐(やえぎり)が京にのぼった時、宮中に仕えていた坂田蔵人(くらんど)と結ばれ懐妊した子供であったそうです。八重桐は故郷に帰り金太郎を産みましたが、坂田蔵人が亡くなってしまったため、京へ帰らず故郷で育てることにしました。 成長した金太郎は足柄山で熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育ちました。976年4月28日、足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、その力量を認められて家来となりました。名前も坂田金時(きんとき)と改名し、京にのぼって頼光四天王の一人となったのです。(四天王には他に渡辺綱、卜部季武、碓井貞光) 
▼四国霊場八十八ヶ所巡拝路▼
満願寺の八十八ヶ所巡拝路は、宝塚市より「コジイの木」自然林として指定を受けています。約30分程度で回れます。
境内正面の金堂から向かって右手東のほうに「四国霊場八十八ヶ所巡拝路」の入口があります。裏山をめぐって約1キロメートルの巡拝路にそって四国八十八ヶ所霊場礼所のご本尊を石に刻んでおまつりしたものです。足もとには各礼所寺院からいただいてきた「お砂」を埋めてその上に平らな石が置いてあり、「お砂ふみ」ができます。
四国の霊場をすでにお参りになった方も、まだお参りになっていない方も、どうぞここで霊場巡りを味わって下さい。 教えのみ親である「お大師さま」のお徳をしのんで「南無大師遍照金剛」とお唱え下さい。
そのあとは金堂の左手におまつりした弘法大師御尊像におまいりください。この御尊像は当山奥の院跡地(現霊園)におまつりしていたものを平成7年5月、八十八ヶ所霊場巡拝路の改修落慶に合わせて遷座開眼もうしあげたものであります。 (満願寺ホームパージより)
 01 霊山寺  02 極楽寺  03 金泉寺  04 大日寺 05 地蔵寺 06 安楽寺 07 十楽寺  08熊谷寺
 09 法輪寺  10 切幡寺  11 藤井寺  12 焼山寺  13 大日寺  14 常楽寺  15 国分寺  16 観音寺
  17 井戸寺  18 恩山寺  19 立江寺  20 鶴林寺  21 太龍寺  22 平等寺  23 薬王寺 24 最御崎寺
 25 津照寺  26 金剛頂寺  27 神峯寺  28 大日寺  29 国分寺  30 東明院  31 竹林寺 32 禅師峰寺
 33 雪蹊寺  34 種間寺  35 清瀧寺  36 青龍寺  37 岩本寺  38 金剛福寺  39 延光寺 40 観自在寺
 41 龍光寺  42 佛木寺  43 明石寺  44 大寶寺  45 岩屋寺  46 浄瑠璃寺  47 八坂寺 48 西林寺
 49 浄土寺  50 繁多寺  51 石手寺  52 太山寺  53 圓明寺  54 延命寺  55 南光坊 56 泰山寺
 57 栄福寺  58 仙遊寺  59 国分寺  60 峰寺  61 香園寺  62 宝寿寺  63 吉祥寺 64 前神寺
 65 三角寺  66 雲辺寺  67 大興寺  68 神恵院  69 観音寺  70 本山寺  71 弥谷寺 72 曼荼羅寺
 73 出釈迦寺  74 甲山寺  75 善通寺  76 金倉寺  77 道隆寺  78 郷照寺  79 天皇寺 80 國分寺
 81 白峯寺  82 根香寺  83 一宮寺  84 屋島寺  85 八栗寺  86 志度寺  87 長尾寺 88 大窪寺
『1200年前、弘法大師が42歳のときに人々に災難を除くために開いた88の霊場。弘法大師の亡き後、弟子たちがその遍路を辿ったことが、四国八十八ヶ所お遍路の始まりと伝えられています。様々な願いとともに心の修行を重ねる旅は、今も変わらぬ姿で四国に存在しています。』
いつか歩くという観点から四国八十八ケ所霊場を 巡ってみたいと考えています
色々なところでミニ霊場を目にすることは多いのですがいつも素通りでした。何故か此処の霊場をめぐってみました。
 「四国八十八か所巡り、30分」と書いた看板が目に留まりました。八十八も本当にあるのでしょうか。無神論者派の私は好奇心のみで八十八か所巡りをしてみようと思い歩き始めました。九十九折れに等間隔で千手観音様が立っていました。所説によると八十八と言う数字は人間の持つ煩悩の数で、満願成就すると全ての煩悩が断滅して成仏できるというので八十八ヶ所が定着したと言う説があると聞きました。また『米』の字に通じるから五穀豊穣を祈る数であると言う説もあります。男42・女33・子供13の厄年を合計した数と言う説もあります。「信じる者は救われる」ではありませんが信心する人が納得すればどれが正しいと言うこともないのではないでしょうか。
トレーニングと満願寺参拝を済ませバスで川西池田にでるはずでした。しかし「雲雀ヶ丘行き」のバスに乗ってしまい敢え無く阪急雲雀ヶ丘駅で下車。昼食を終えたばかりで満腹だし、反省会をするには午後2時は早すぎるため解散することにしました。Junkoちゃんは宝塚方面へ、私達はJRに乗り換えて海老江駅に戻ってきました。
 【姫の感想
今回は岩場歩きの往復を希望していましたので満足のいくトレーニングでした。アルプスでの岩場歩きの滑落、転倒による怪我は耳にタコができるほど山岳事故ニュースで入ってきます。「大丈夫だろう」は「大丈夫じゃないかも知れない」に繋がります。トレーニングを積み重ねることが中高年の登山の基本であると常々思っています。山本の岩場は傾斜もきつく、真剣に歩かないと大怪我を引き起こします。トレーニングを終えて、これで安心して編笠山に行けそうです。満願寺の存在も新鮮で坂田金時の墓や弘法大師像にもお目にかかれました。久しぶりに早く帰るとポッチーが「どうしたんや?喧嘩でもしたのか?」アッハハハ。「無事下山」の連絡は、いつも連絡しているのですが、今日は反省会がなかったから意外と早い帰宅となりました。
 文:美智子姫