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 ●第2日目 7月23日(日)雨
テン場04:05 ⇒ 本谷山05:16-05:21 ⇒ゴーロ06:20-06:35 ⇒塩見小屋07:05 ⇒ 塩見岳西峰08:22 ⇒塩見岳東峰08:26-08:30 ⇒
塩見小屋09:30-09:52 ⇒ゴーロ10:15 ⇒本谷山11:24 ⇒三伏山12:20-12:27 ⇒テント場ゴール12:36 
午前4時、夜明けとともに宇都宮チームは塩見岳へと出発しました。私達はテントの中から「行ってらっしゃい!」と声だけお見送りし、再び眠りにつきました。
  富士山もきれいに見えたようです…このあとすぐに濃霧の中に消えたそうです
塩見岳東峰 標高は西峰が3,047 m、東峰が3,052 m 
塩見岳(しおみだけ)は、長野県伊那市と静岡県静岡市葵区にまたがる標高3,047 mの山である。赤石山脈(南アルプス)中央部の南アルプス国立公園内にあり、山頂周辺はその特別保護地区に指定されている。
山頂は100 m足らずの距離を隔てて西峰と東峰に分かれ、標高は西峰が3,047 m、東峰が3,052 mである。しかし三角点は西峰に設置されているため、低い方の西峰の標高が塩見岳の標高とされている[2][5]。仙丈ヶ岳から続く長大な仙塩尾根の南端に位置する。山頂南側の三伏峠と本谷山南斜面、北側の北荒川岳周辺と熊の平周辺は高山植物の群生地となっている。鉄の兜(かぶと)にも似たドーム形の独特な山容で、遠方から眺めると独立峰のようなその山容が目立つ。日本百名山、新日本百名山、信州百名山の一つに選定されている。
山名の由来は、山頂から海が見えるからという説や、山麓に塩の産地があるからという説がある。山麓の大鹿村には、鹿塩(かしお)という集落と小渋川の支流の鹿塩川と塩川という地名があり鹿塩温泉では天然塩水が湧き出し、明治時代には製塩施設が設置され各地に塩が出荷されていた。
1909年(明治42年)夏の小島烏水らの赤石岳縦走記録では間ノ岳(赤石の間ノ岳)と記載され、また三峰川上流の南荒川が源流であることから荒川岳とも呼ばれていた。その後大正初期になってから塩見岳が用いられるようになった。
帰路は急がなっくちゃあ…腹を減らした年寄りが2人待っている 
 三伏山    三伏峠まで帰ってきました
帰ってきたぞおおお わあーーー テント場も濃霧の中だあ。
塩見岳から帰ってきてまずは一休み…3時から宴会しよう…お疲れ様
若者が塩見岳に行っている間にお花畑に行ってきました
テント場がザワザワと音がし始めた頃、簡単な朝食を済ませ「さて出かけるとするか~」と出発の準備をしたものの、ガスが、ぶ厚く山の上にかかり、どこに登っても視界はないと諦めてお花畑の散策にでかけました。「水場まで5分」と言う看板に誘われて水場の見学にも出かけました。歩いて5分どころか谷底にどんどん下がって行きました。下の方で話し声が聞こえ「おっ!違法幕営組か?」と思っていたら何とラジオでした。水場にクマ出没情報があり小屋が四六時中ラジオを掛けている様子でした。  
南アルプス国立公園 三伏峠お花畑
三伏峠小屋水場
▲ホシガラス
今頃、宇都宮チームは、どのあたりだろう?塩見岳への急登に喘いでいるだろうなぁ。
お昼を過ぎた頃「ただいまっ!」と元気な声がして塩見岳から帰ってきました。山頂はとても寒くてガスも掛かっていたのですが瞬間富士山が見えたと話をしてくれました。
外に出していた蚊取り線香の器が雨量計と化していたためストーブで乾かしていたら黙々と煙が上がり あわや窒息死するところでした
今日もこれから宴会です
この日も午後3時から宴会です。仙台から取り寄せてくれたと言う塩タンを焼いてご馳走になりました。柔らかくて鮮度も良く、わざわざ取り寄せただけのことはあって仙台の老舗の味も深く、とても美味しかったです。
塩タンをたらふく食べて、もう満腹だと言いつつもキャベツのソース焼きがフライパンの上で踊り出すとそばを投入。あれよあれよと言う間に焼きそばをまた完食。担ぎ上げた食材は全て食べ尽し、気づけば翌朝の朝食がないと小屋へカップラーメンを買いに走る宇都宮トモちゃん。良く食べて良く笑いましたね。楽しいテント宴会でした。高山でのアルコールはよく効く~!
 【JONの感想】
いやー。お世話になりましたね。我が倅や娘でもしてくれないのに感謝の一言です。ここのところ医師から御馳走は1週間に1度だけあとは粗食にするように言われていたのに2日続けて御馳走でした。ダボハゼのマサルちゃんとしては御馳走を目の前にして指をくわえているわけにはいかず思いっきりいただきました。
智ちゃんと里樹の分も食べてしまい…ありがとうごちそうさまでした。仙台の牛タンってこんなに美味しいものやったんや…感激!
 文:美智子姫  
 
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