其の21 速玉~那智 其の22 長尾坂・潮見峠   其の23 赤木越え
 01:京都~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取~布施屋  06:布施屋~海南
 07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養   12:芳養~稲葉根
 13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道  18:大雲取越え
 19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え  24:大日越え
 25:川の参詣道     姫のリベンジ      ウッチーの補行     那智勝浦散策    みんなの感想      編集後記
大阪駅 高速バスターミナル発 7:50 ~10:53 紀伊田辺駅前
紀伊田辺駅前⇒タクシーで長尾坂登り口11:20⇒関所跡12:23⇒ひるね茶屋跡12:40-12:45⇒水呑茶屋跡12:50⇒捻木峠の杉13:32-13:40⇒
潮見峠14:28-14:45⇒覗橋16:07⇒鍛冶屋川口ゴール16:18 17:28分発のバスに乗車して湯の峰温泉着18:28 湯の峰温・伊せや 泊 
 「長尾坂」と「潮見峠越」は、2016年10月、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されました。平安時代から鎌倉時代にかけての熊野参詣道は、上皇や貴族を中心に三栖王子社から上富田町岡の八上王子社に至る岡越えの道を通っていました。しかし、この川沿いの道は遠回りになるため、南北朝時代(14世紀)頃より、一般庶民は、まっすぐに長尾坂から潮見峠を越えて滝尻王子へ、そして遥か熊野三山を目指しました。
上三栖から人びとに険しい坂として知られる長尾坂を登り、潮見峠へとたどる古道は、室町時代から明治に至るまで熊野参りや西国巡礼の人々でにぎわい、この長尾坂を通る「潮見峠越」が一時代のメインコースになったようです。
長尾坂の一部には石畳が残っていて、当時の面影をうかがい知ることができます。
比較的近世になってから利用され始めたため王子社はありませんが、一里塚跡や関所跡が残されています。
今回は大阪駅高速バスターミナルから白浜エクスプレス大阪1号で紀伊田辺駅前に向かいます
熊野古道・長尾坂登り口です 今日はここからスタートです
 泣いても笑っても中辺路コースの最後となりました。長尾坂登り口でタクシーを降り、早速歩き始めました。暑いです。梅雨の合間で、照れば暑いし降れば蒸し暑いしで充分な水分補給と正しい歩き方で進んで行かなければゴールに到達しません。
長尾坂登り口からすぐのところにある庚申さまと徳本上人名号碑
長尾坂の一部には街道が崩れかけているところもあります この上を県道が通っていますので大雨の後などはそちらを歩く方が良いでしょう 
役ノ行者像と大峯講三十三回登山記念碑
熱中症予防のため1時間に1度のペースで休憩と給水を繰り返しました。いきなりの急な登り坂の洗礼を受け、役行者像の石仏が現れてきました。「よぉ来たのぉ!」とでも言いたげです。此処を過ぎたところで街道は右に折れて登っていき 役ノ行者像の背後に回り込むようになります。
ここから関所跡への指示板が出てくるまで 県道を歩きます。
 街道の所々で高尾山の容姿がうかがえます
     関所跡に関する物は看板だけでした
ひるね茶屋で一休み
 道標に従いながら進んでいくと関所跡に到着しました。ここからまたまた急な登り坂となります。出発して1時間余りで「ひるね茶屋」に到着しました。現在も営業中らしく運が良ければ開店していると聞いていましたが、残念ながら平日につき閉まっていました。ガラス越しに見える冷たい飲み物の数々が恨めしくてなりません。店先においてあった「ほどこしのコーヒー」を一口づつご馳走になりました。茶屋の庭からの眺望は良く、昔の旅人が景色に見とれているうちについ昼寝をしたのが理解できました。のどかな雰囲気が伝わってきます。
水吞峠の水吞茶屋跡
「ひるね茶屋」からわずかの距離に水呑み峠の看板があり茶屋跡がありました。このあたりは、昔から長尾坂の中でもとくに水に恵まれたところで、熊野街道を往来する人たちがここで水を呑んだので「水呑峠」と言われています。熊野詣の旅人が休息をとるのに丁度よいところで、当時は茶屋もあり、かたわらには昼寝権現(ひるねごんげん)と呼ばれる小さい宮が祀られていました。昼寝権現は、 旅人が景色をながめながら休息するうちに寝てしまったというようなことから、名がついたとされています。見晴らしがよく、景色を眺めながら歩いていけるので気分良く通れるところです。
捻木の杉と新旧 役ノ行者像
 ここを過ぎると少し穏やかな道となり捻木峠に到着です。遠くからでもすぐわかる大きくて立派な杉の木です。峠にある捻木の杉は(ねじきのすぎ)熊野古道の捻木峠にそびえる杉の大木で、高さ約20m、周囲約6mあります。枝のねじれ具合がとても見事で、圧倒されました。近世の熊野参詣者はこの木を道中の目印にしたといわれており、よくこの木の下で休息したようです。根元には修験道の開祖、役(えん)の行者の石像がありました。この捻木の杉には、安珍清姫の伝説があり、槙山の中腹に差し掛かった清姫は、かたわらの杉に登りはるか前方に逃げる安珍の姿を見つけ、口惜しさのあまり杉の枝を捻じ曲げてしまいまい、枝はそのままねじれて育ち大木になったということです。現在は、市指定天然記念物になっています。
捩木の杉を過ぎて潮見峠に向かう街道筋は古の面影が残るところでした 
最後の登り坂を上りきると広い台地が広がります…潮見峠でーす
潮見峠の休憩所はきれいでした…こんな小屋番さんいたのかなあ
「潮見峠」を越えると舗装道路の下りになります。下り始めてすぐのところに左の下るショートカットコースあるように和歌山県の街道マップには記されていますが猪除けのネットが張られていたため車道を直進、もう少し行くと右手に降りる杣道があり「滝尻方面へ」と書かれていました。一瞬この道かなあと考えましたが滝尻橋への道のようなので、そのままが舗装道路を覗橋を目指して進みました。途中九十川の集落で地元のご婦人と挨拶を交わしながら下り坂を歩いて行くと覗き橋に出ました。 
   覗橋でのぞいてます  覗橋を渡って  橋のたもとの一里塚跡碑
潮見峠から覗橋までは舗装道路を4kmあまり下ります…下りばっかり 足にこたえました
当国一乱顕彰碑の前で…ここがゴールです あとは鍛冶屋川口まで300mほど歩き、バスで湯の峰温泉に向かいます。 
 当国一乱顕彰碑は天正13年(1585)秀吉紀州攻めの3千の軍勢を在地勢力7百の兵が撃退した戦いをたたえて昭和60年(1985)建立された
 覗橋のいわれは平重盛(清盛の長子)が父清盛のワンマンな行いを鎮めんと熊野権現に詣で帰りに立ち寄りふと淵を覗くと薄灰色の装束を纏った姿が見え、全てを悟った所と謂われているそうで、その後、都に戻った重盛は病に伏し亡くなったそうです。
鍛冶屋川口バス停から見た山の家「夢木楽」
 ゴールの鍛冶屋川口のバス停に倒れ込むように座り込み、衣類を脱ぎ捨て、水をがぶ飲みし落ち着くと「アイスは?ビールは?」と欲望の炎に火がつきました。バス停をひとつ移動すると店らしき場所がありそうです。最後の力を振り絞りバス停移動です。途中で自転車に乗った7歳の男の子に出会いました。「コンニチワ!」アイスクリームを売っている店を尋ねると案内してあげるとのことでした。しばらく進むと農協らしき店があり中を覗こうとすると「そこにはアイスは無いよ!もっと向こうのトンネルのところまで行こう!」と少年は言うのですが「おばちゃん達はもう歩く元気がありません。ここでバスを待つわ」と言うと「熊野古道を歩いてきたんけ?」「え~っボク熊野古道知ってるの?偉いね」と褒めてやりました。「バスの上りはアッチ、下りはコッチ」と一生懸命教えてくれました。日陰を利用するため湯の峰方面とは反対側の椅子に腰かけていると心配そうに「湯の峰行きはそっちじゃないよ!」と親切に教えてくれました。色々親切にしてもらったのでご褒美にジュースを買ってあげようと言ったのですが断られました。きっと知らない人から物を貰ってはいけないと躾られているのだと思います。いい子だね!。
7歳の少年はバスの発車時間に、どこからかやってきて手を振って見送ってくれました。本当に心が和みます。バスに揺れること1時間、やっと湯の峰温泉に到着しました。バス停の目の前がこの日の宿でした。「どうぞ」と案内されたのがエレベーターの無い4階そして風呂は1階、食事処は3階と・・・階段が辛かったなぁ(笑)まずは汗を流し、1日の熊野古道歩きに感謝して乾杯!川のせせらぎの音を聞きながら熟睡、爆睡、豚睡~
 【MEMO】
大阪から田辺高速バス料金2800円
長尾坂までタクシー2760円(ひとり550円)
鍛冶屋川口~湯の峰バス料金1330 円
湯の峰宿泊代8000円
 (姫の感想)
険しいと噂されるだけのことはあって、いきなりの急登の長尾坂は値打ちがありました。この日は5時間コースと短いためか景色を眺める心の余裕もあり時折吹き抜ける風に感嘆の声をあげ、のんびりと古道歩きが楽しめたと思います。これからの暑さに向かう山行は冷凍茶に限ります。暑くなった体温を下げるのには常温のお茶より冷たく冷えたお茶が最高です。但し冷凍しすぎると飲みたいときに飲めないので、ほどほどに。(8対2ぐらい)宿でお茶を冷凍して貰っていたので助かりました。
 文:美智子姫  
 
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