かけぬけ道 大雲取越え   小雲取越え
 01:京都~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取~布施屋  06:布施屋~海南
 07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養   12:芳養~稲葉根
 13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道  18:大雲取越え
 19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え  24:大日越え
 25:川の参詣道     姫のリベンジ      ウッチーの補行     那智勝浦散策    みんなの感想      編集後記
那智高原公園 09:45 ⇒ 登立茶屋跡 10:40 ⇒ 舟見茶屋跡 11:47 ⇒ 色川辻 12:24 ⇒ 地蔵茶屋跡(昼食) 13:42 - 14:00 ⇒
石倉峠 14:22 ⇒ 越前峠 15:06 ⇒ 楠の久保旅籠跡 16:30 ⇒ 円座石 17:12 ⇒ 小口自然の家 17:55 (泊)
『大雲取越え、小雲取越えは、「死出の山路」とも呼ばれ、そこを歩いていると、亡くなったはずの肉親や知人に出会うといわれています。疲労困ぱいのなか、幻覚を見るのでしょうか。昔は行き倒れになった人も多かったらしいです。ダルという妖怪に取り憑かれたという話も伝えられています。紀州が生んだ世界的博物学者南方熊楠(みなかたくまぐす)も雲取を歩いていてダルに取り憑かれたことがあるといいます。』
このような案内表示は初めてです…予報通り富士見台を過ぎたところで雨が降ってきましたが 心と体を引き締めて大雲取越えに入ります
雨は好きじゃないけど…雨の中の景色っていいですねえ
小口自然の家の支配人が言っておられました…「大雲取越えを歩かずして熊野古道を語ることなかれ」…納得です
那智高原公園から登り立て茶屋跡に向かいました。この茶屋のことを、地元色川地区の人々は昔から「馬つなぎ」と呼んでいました。 
落ち葉に埋もれた石段 尾根道 石段
古道山にて
色川辻
舟見峠(海抜883.4m)の頂上にある舟見茶屋跡に到着。天気が良い日は、運が良ければ富士山を眺めることができる最遠の地とのことですが残念だけど雨だもんなぁ・・・舟見峠から色川辻にかけて『亡者の出会い』と呼ばれる場所がありました。山道の苦しさに行き倒れた熊野詣の人々の小さな墓が点在しているらしく、これらの人々は、みなダル神に憑かれたのだと言い伝えられています。山の中で、ダルにとりつかれたと思ったら米粒を喰うと治ると言われていて、熊野の山を行き交う人達は、弁当を食べるとき飯粒を三粒だけは残しておくそうです。(パンではいかんのぉ?・・笑) 
熊野古道は前回の滝尻から発心門王子の間といい今回の大雲取越といい、外国からの参詣者が多かったです
 霧の大雲取越え  本来の熊野古道が荒れているため林道を歩きます
色川辻で林道と交差し、再び古道の中へと入って行きます。地蔵茶屋跡に到着。美しい清流と川のせせらぎが心を癒してくれます。ここで簡単な昼食を取りあまり長く休憩すると体温を奪われて寒くなるため早々に出発しました。
地蔵堂
いよいよ大雲取越の核心ルートです。地蔵堂から石倉峠へ進むと、景色は一変しました。辺り一面を苔に覆われた石畳、今までの道中では感じることができなかった美しさ、雨だからこそ味わえる苔の美しさ、静寂の中での鼓動、今迄で一番美しいと感じました。
 ▲『 虎杖(いたどり)の おどろが下をゆく水の 多藝津速瀬(たぎつはやせ)を むすびてのみつ 』  長塚 節(たかし)
   虎杖=いたどり イタドリ姫も読めなかったわ
大雲取越えは手のひらを立てたように上り下りの多い道だと形容した古人もいました
標高870mの越前峠の山頂へ到着。中辺路のなかでも最高所。かつて熊野詣が盛んだった時代、峠の頂から越前ノ国を見ることができることから越前峠と言うのだそうです。
越前峠から胴切坂と呼ばれる800mの石畳の坂を下りました。胴切とは、熊野本宮大社から来てこの坂を上ると横腹が痛くなり、切れそうだとの意味だと言われています。
野仏に導かれ小口に向かって下って行きます…もうすぐ大雲取越えの 険路も終わりです
楠ノ久保旅籠跡は江戸時代に、十数軒の旅籠があり、大変にぎわい、旅籠の主たちは遠くに見える小雲取の桜茶屋を指さして、「桜茶屋までは遠くて途中には宿屋がないからここに泊るよう」と客引きをしたとの話も残っています。大正時代まで旅籠として営業されており「豆腐あります、風呂わいてます」が宿の宣伝文句であったと案内文に書いてありました。豆腐がご馳走だったのでしょうか・・・楠ノ久保旅籠跡には多くの地蔵様などが残っていました。2,5kmあると言う急な胴切坂を下り、数十軒もの旅籠があったであろう旅籠跡を通過し、緩やかな坂を下ると円座石(わろうだいし)に到着です。
 円座石 (わろうざいし)
円座とは座布団のことで、熊野三山の神々がこの石に座って談笑したという伝説があります。石には熊野本宮を表す「阿弥陀仏」、新宮の「薬師仏」、那智の「観音仏」が、それぞれ梵字(ぼんじ)で刻まれていました。苔むした岩肌で親しまれていた熊野古道の名所「円座石」(わろうだいし)ではありますが、最近、苔がなくなっていることがわかりました。前面を覆っていたコケがほぼなくなって全体が不自然に剥げ落ちていることから、人為的に、はぎ取られた可能性が高く、地元からは「元に戻るのに5年以上かかるのでは」と、困惑する声が出ている。 心無いことをする不届き者がいるものです。
やっと、やっと、小口の集落が見えてきました。長かった~!これで大雲取越を歩き切ったことになります。今夜は小口自然の家で泊ります。小口自然の家は昭和57年、かつては中学校だった校舎が、熊野古道を歩く人々をお迎えするお宿に変身しました。学校の面影がところどころに残っていました。小口の里は、国道から熊野川の支流赤木川をさかのぼった場所にある、とてものどかな集落で、小口自然の家は、そのまた支流である鎌塚川、和田川といった清流と自然に囲まれた場所にあります。
小口の碑 小口自然の家
中辺路ルートの難所で大雲取越、小雲取越で疲れた体をゆっくり休める絶好の場所なのです。フロントから私達の到着を待っていて下さった主が「6時になったら電話をしようとおもっていたんですよ」と声をかけてくれました。当初より10時間はかかると想定していたので慌てず、騒がず待っていてくれた様子でした。到着時間は5時55分・・・やっと、やっとの到着で~す!「夕食は6時30分には摂ってくださいね。」入口で大量の新聞紙を貰い、部屋に敷き詰めて雨のしたたり落ちるリュックや雨具を置き、慌てて風呂に入りました。どうにか夕食時間に間に合いました。テーブルの後ろを振り向けば既に夕食を終えた外国の人たちが談笑をしていました。・・スペインから来たと言う日本語の堪能な女性と仲良く会話を交わし記念写真も一緒に撮りました。とてもフレンドリーな人達ばかりです。夕食を済ませてからが大仕事。乾燥室が無いため、濡れた合羽や衣類を部屋に干し、冷房だの、暖房だの、あらゆる手段を使い風を当て乾かしました。汚れ物は少しでも軽くするために乾燥機に放り込みました。汗臭い臭いも共有です。しばらくすると男性陣の部屋の前に人だかり・・どうしたことかと思い近寄って見るとウッチー会長とジョンが「鍵が開かな~い」とスペイン女性達に助けられているところでした。色々ハプニングがあって愉快だね。
(姫の感想)
今回の雨の山行で感じたこと
①「駅前にタクシーはいつでも待機している」は大きな誤算です。タクシー会社の下調べをしておき電話番号はしっかりとメモっておく必要があります。
  迎車料金は不要で実車してからメーターを倒すので安心できます。

②リッュックの中は大きなビニール袋で防水対策はしていますが雨蓋やウエストについているポケットなどは無防備だったため雨でボトボトです。
小さなビニール袋に包んで雨蓋の中やウエストポケットの対策も必要だと痛感しました。

③弁当は必要なし・・重たいし、ゴミが出るし、朝食をたっぷり食べておけばレーションで充分です。特に雨の場合、歩きながら食べられる食材がベスト(パン等)
 文:美智子姫  
 
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