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 01:京都~天満  01-2:八幡~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取布施屋
 06:布施屋~海南  07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養 
 12:芳養~稲葉根  13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道
 18:大雲取越え  19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え
 24:大日越え  25:川の参詣道     姫のリベンジ     ウッチーの補行     那智勝浦散策  感想 & 編集後記
 
和歌山県「36. 祓戸王子―37.藤代王子―38. 藤白塔下王子―39. 橘本王子―40. 所坂王子―41. 一壷王子―42. 蕪坂塔下王子―43. 山口王子
●タイム
海南駅09:06⇒祓戸王子09:35⇒藤代王子10:00⇒筆捨松跡10:52⇒藤白塔下王子11:08⇒橘本王子12:00⇒所坂王子12:15-12:40(昼食)⇒一壷王子13:08⇒ 蕪坂塔下王子14:41⇒ 山口王子15:21⇒紀伊宮原駅ゴール16:15
青春18切符を初めて利用します。5枚綴りをそれぞれが購入し「初めてのおつかい」モードでうきうきと改札をくぐりました。同じ電車、同じ車両にメンバーが乗り合わせ、一足先に到着していたウッチー会長とは和歌山駅で合流しました。紀州路快速から紀勢本線に乗り換え、海南駅で下車。今までの無人駅や小さな駅と違い観光客が多いのか海南駅は大きな駅です。改札をでた途端、構内には「ビッグ雛」が飾られていて、ビックりしました。海南市では「紀州海南ひなめぐり」などが開催されていて、まちなかに雛人形を飾り、観光客にまち歩きを楽しんでもらうイベントが開催されていました。JR海南駅、海南駅前商店街、黒江川端通りを中心に、お雛さまが町中に飾られています。
海南駅はお雛様一色です
いざ 出発です
どこの民家の軒先にも「熊野古道」と書かれた看板が掛けてあり「ようこそっ!」と声を掛けてくれている様に感じ取れました。前回のゴールの時に「ここから祓戸王子へは70m先左折」と書かれていたと思います。まがり角に一之鳥居址という石柱がたっていました。その先には石段が続き石段の登り口には祓戸王子跡の説明板がありました。ここまで前回歩いた道を戻りました。 
一之鳥居址を南へ進み始めての道を左折し、緩やかな坂を登って行くと行き止まり。ここから右手に折れて急な坂を登ると、八十八カ所巡りの石仏様が迎えてくれました。石仏の道を辿っていくと、その突き当たりが36番「祓戸王子」です。祓戸(はらえど)とは熊野の入口で垢を落とし、心と体を清める場所だったそうです。祓戸王子に挨拶を済ませて街道筋まで引き返す途中「見てっ!見てっ!」靖ちゃんが動物の糞を見つけました。とても綺麗なオレンジ色をしています。
多分畑のミカンばかり失敬しているので糞まで黄色くなっていたのでしょう。さすが和歌山!と愉快なスタートにみんなで大笑いしました。
36番 祓戸王子碑 参道にて
鈴木屋敷 
細い道を歩いて行くと、鈴木屋敷の看板が見えました。鈴木屋敷は、熊野信仰を広めた神官の一族である藤白鈴木氏がかつて居住していた屋敷だとされている建物です。全国で二番目に多い「鈴木」姓の発祥の地とされています。牛若丸が熊野往還のたびに滞在して山野で遊んだという言い伝えもあるそうです。現在では廃屋のような建物が残っている屋敷の中をそのまま奥に突き進むと藤白神社が見えてきました。境内には大きな楠があり海南市の天然記念物に指定されています。
37番「藤代王子」
(藤白王子)は五体王子のひとつです。五体王子とは藤代王子、切目王子、稲葉根王子、滝尻王子、発心門王子の五社のことです
藤白神社 37番 藤代王子
境内には「宇多・花山・白河」三上皇の熊野御幸を記念して建てられたと言う聖皇三代重石がありました。境内には沢山のテーブルがあり立派な桜の木が硬い蕾を抱えており、開花時期には地元の人たちで賑わう姿を想像することができました。神社を出て高速の下をくぐると、有間皇子の墓がありました。有間皇子は飛鳥時代の皇族で天皇への謀反計画が発覚し処刑されたとされています。しばらく歩くと藤白坂の峠道に入りました。ここには昔は篭屋もあったそうです。あまりのきつい坂道で歩くことを諦め駕籠屋を雇い峠越えをした人もいたそうです。やっと熊野古道らしい山道に入ってきました。
有間皇子神社 藤白神社境内を出発です
遠く和歌の浦をみはるかす太古さながらの楠の大樹にいだかれた藤白神社のほど近くにある熊野古道・藤白坂の登り口に、有間皇子の墓址はたたずんでいました
一丁石地蔵 徳本上人名号碑
ここからは丁石地蔵が一丁から十七丁まで道案内をしてくれました。きつい坂道が、かなり長く続きます。美しい青竹の林を抜けると急に視界が広がり十四丁地蔵にある筆捨松跡に到着です。
硯 石 筆捨松 と ちょっと枝ぶりの悪いオソ松です
『平安時代の初め、宮廷の絵師・巨勢金岡(こせのかなおか)が熊野権現の化身である童子との絵の書きくらべをして負け、くやしさのあまりもっていた筆を松の根本に捨てたといわれています。おもいあがった巨勢金岡を、熊野の神様がいましめたお話です』柵に囲われた大きな岩があり上の部分が四角く削られていて、まるで硯のようになっている硯石がありました。硯岩は「筆捨松」にちなんで紀州徳川初代藩主の頼宣公が彫らせたと資料にありました。
地元の人に出会い、この日は「水曜・山登りの会」と称して十七丁までのお地蔵様を掃除する日だと説明して貰いました。地元の人たちに大切に守られており、どのお地蔵様にも綺麗な生花が手向けられているのです。「あと5分したら展望の良いところに出ますよ」と励まして頂きました。ウッチー会長は快調な足運びで私達より随分先を登っていました。私達はと言うと青息吐息で、やっとこさ登っていると「ヤッホー!」と、こだまが響いてきました。ウッチー会長の声です。峠越えの終了点に出た合図の様です。その声に励まされ十七丁の峠に到着しました。しばし休憩、水分補給やら衣類調整やらでしばらく腰を下ろしました。
地蔵峰寺 38番目 藤白塔下王子跡
充分休憩を取り終えて歩いていくと大きな宝筺印塔が目に飛び込んできました。地蔵堂は国の重要文化財、中に収まっているのは岩に線描された地蔵尊だそうです。この境内の片隅に38番「藤白塔下皇子」跡がありました。この先にある御所の芝にも行って見ました。夕日百選にも選ばれた「熊野路第一の美景」だそうです。夕日までは待つことは出来ませんでしたが遥か彼方に見える海南港や遠くは淡路島、四国までもが見えました。
宝篋印塔 御所ノ芝 夕陽百選の碑
夕日百選の御所の芝に別れを告げ細い道を進んでいき、ふと振り返ると山の斜面にはミカン畑が広がっていて「これが和歌山~」と感じずにはいられません。すばらしい眺めです。 絶景です。
ミカン畑から帰るお爺さんに出会い「こんにちは!」と声を掛けました。お爺さんの手にはミカンが4個・・・親しくお話しをしていると「気を付けて行きなさいや」とミカンを4個全部下さいました。家で待つ婆さんのために、もぎ取ったミカンだったかも知れません。「木から盗んだと思われたらいかんのでこの場で食べよう」と皮を剥き頬ばると完熟した濃厚な味と人の温もりを味わうことができました。ミカン畑からは、海が見え美しい海南市の町並みが目の前に広がりました。
「まさかあの山を越すことは無いでしょう」とメンバー全員楽観視していましたが なんのなんの 気が付けばあの風力発電機を左に見て歩いていました。
あの峰の右端から越え更にもう一つ峰を越えて紀伊宮原へ下って行きました。
阿弥陀寺 39番 橘本王子跡
山道が続き集落の細い道を行くと民家の軒先には熊野古道と書かれた提灯が下がっていました。振り返るとミカン畑の斜面が美しく思わず立ち止まりシャッターを押しました。集落の中を歩いて行くと土橋という橋が架かっていて橋の手前の阿弥陀寺に39番「橘本王子」跡がありました。
現在では珍しい木製の橋 「橘本の土橋」を渡ると このあたりは伝馬所や旅籠が軒を連ねて 交通の要衝だったと案内板がありました
橘本神社 40番 所坂王子跡
しばらく古い家並みを歩き橘本神社に到着。石段を登って行くと、40番「所坂王子」跡の説明がありました。さらに石段を上ると、橘本神社拝殿があり、黄泉の国から橘を持ち帰って、天皇に献上したという田道守命が祀られていました。石段を下りて行くと、昭和天皇が皇太子時代に植えた楠木がありました。長い年月を感じます。時間はちょうど正午を過ぎた所です。境内にベンチはなく河原に下りてお弁当タイムとなりました。「食後のデザートです」と八朔が・・・この八朔は落ちていた中で比較的新鮮なものを3個頂いてきたもので木から獲ったものではありません。その証拠に泥だらけ。酸っぱくて・・・するとウッチー会長が「オレは八朔大好きや」と言うや否や、靖ちゃんとjunkoちゃんが2個の大きな八朔をウッチー会長のリュックにドカッ。会長曰く「2キロはありまっせ~」重たかったでしょう・・・・
 お昼は加茂川の川っぷちでおにぎりを頬張ります
山路王子神社  41番 一壺王子跡
昼食を済ませ、しばらく歩くと山路王子神社の看板がありました。41番「一壺王子」跡に到着です。鳥居の横に大きな土俵があり「なき相撲」が行われているそうです。村の子どもたちが赤いふんどしを締めて行司役の氏子総代に抱かれ、土俵の上で土をつけてもらい、子供の健康を祈願するのです。そういえばテレビでよく見た光景はここの神社のことだったのか?私達も思わず「ハッケヨイ」とやってみたかったのですが土俵内は立ち入り禁止の縄が貼られていました。このころになり雨が本格的に落ちてきました。
山路王子神社を後に、車道から左に入ると、えらい急登が待っていてくれました。この先が「蕪坂」で、熊野古道難所と言われている場所です。「今日は山を2つ登った気分やなぁ」と言うぐらいきつい峠越えでありました。きつい坂道を上っていると民家の縁側で日向ぼっこをする人の気配がしました。「こんにちは!えらいきつい坂ですねぇ」と声を掛けると「わてら、ここに住んでますねんでぇ」と言いながら笑顔で見送ってくれました。この坂を往来しているならばさぞかし健脚なことでしょう。
拝ノ峠まで上がってくるとドッと疲れが出てきました
拝ノ峠でバテた体を癒し、西へ60mほど行ったところのT字路を左折して南下していくと右手に「熊野古道を歩くみなさんへ猪の柵を開けたら閉めて下さい」と看板があり金網の扉の中に熊野古道の案内標識がありました。金網を開けて通過し次の車道を右手に下って行くとミカン農家の庭先に突っ込んでしまいました。家人がいて迷い道であることを教えてくれました。あの看板に従わず車道を歩いていたなら難なく万葉歌碑のところに出られたのに・・・
最短の軌道修正完了~。マピオンのキョリ測に記入しておきました。
 万葉歌碑  42番 蕪坂塔下王子跡
山道の急な登りになると雨が本降りになってきました。雨具を付けしばらく平坦な道を歩いていると、42番「蕪坂塔下王子」跡がありました。
いきなり到着した感じです。急なくだり坂は滑りやすくとても危険でした。平地での転倒であっても頭部打撲の危険性があります。真剣に一歩づつ歩を進めました。蕪坂塔下王子から急な坂道を下ると太刀の宮という神社に出ました。
 太刀の宮
大阪夏の陣にまつわる伝説
『当時、アリの熊野詣といわれるほど、多くの参拝者が熊野へと向かいました。真田幸村に招かれて大阪冬の陣に参戦しました。しかし戦況がよくなかった為、早春に出城しました。命かながら逃げ、故郷の姉をたよりこの里(宮原)に向かいました。難を逃れ蕪坂峠を越し、ようやく故郷に入ると、安心したのか、神社の神前で休み眠ってしまい夢を見ました。「大勢にて取り巻きく故、防がんと思うが身体自由にならず、誠に九死に一生の思いなるところ、帯せし太刀自然と抜け出て多人数を追い回す。夢はさめ辺りを見るに死人数多く、太刀は中程より二つに折れてあり、夢なれど人の切られたのは真故、不思議に思い折れたる太刀を繋いでみるとこれまた不思議、元の如く継げたり。先剣の御徳を尊み、また御社の神徳を尊み『折継丸』と名付けて、その社に納め候なり』ということから、人々は『太刀宮』と呼ぶようになったそうです。
爪かき地蔵  きれいな石積み
ひたすら歩いて行くと「爪かき地蔵」がありました。弘法大師がこの地を訪れた時、里の住民の無事息災を祈願して、岩に爪で地蔵尊を刻んだと伝えられています。そのとき、爪が痛むので、弘法大師が近くの家を訪れ、椿油を乞うたが断られ、それ以来この辺りの椿には不思議なことに油ができなくなった、という伝説も残っています。目を凝らしても暗くてよく見えませんが、水をかけると浮き出てくるとも言われていますので、「水かけ地蔵」の別名があるそうです。しかし、信仰心のない人には何をしても見えないのだそうです。
 43番「山口王子」跡
和歌山らしい景色を眺めながら、ミカン畑の中を九十九折れに雨の中を下って行きました。
小さな公園に東屋があり43番「山口王子」跡がありました。せっかくの東屋しばしここで休憩です。雨も心なしか小降りになってきた様です。
「伏原の墓」
 山口王子から「あと500m」と書かれた熊野古道ふれあい広場」まで歩くのですが「500mは間違いやで!」と言うぐらい長く感じました。
その間に「伏原の墓」があり手を合わせました。『熊野参詣の途中、病などで生き倒れた人の霊を回向し慰めるために、遺族やこの土地の者が造った墓石を集めおいた場所。昔の旅人は、たしなみとして身の始末だけはしてもらえる金を着物の襟に縫い込んでいたという』
 鯉の泳ぐ川  熊野古道ふれあい広場
やっと熊野古道ふれあい広場を見つけました。駅まであと0,9メートル。着いたも同然です。またこの近くには緋鯉や真鯉の泳ぐ川がありました。残念ながら雨のため水が濁っていましたが素敵な川でした。
無人販売所を見つけ、それぞれ土産用に「キヨミ」と言う品種のミカンを買い込みました。リュックがかなり重くなりました。
ミカンを買って   16時15分ゴールです!
 MEMO
次回はJR紀伊宮原駅からスタートして湯浅で宿泊を予定しています。翌日は湯浅から御坊迄歩きます。宿の予約をしましたので雨でも出発します。
(※交通費 往路は(JR天王寺駅から海南駅まで1320円)。復路は(JR紀伊宮原駅から天王寺駅まで2270円)合計3590円
(青春18切符で1220円節約しました)
 ひめの感想
急登な峠越えやミカン畑とやっと熊野古道らしくなりました。地域の人々との触れ合いも楽しいです。何が出るのか予想しない出来事もあり時間の経つのを忘れてしまいます。今回も鹿よけ・イノシシ除けの扉がありました。前回、檻の中のイノシシ親子の姿を見たばかりですのでこうして人間と動物の境界線をしっかり作ってもらえると共存できるのではないかと思っています。
 文:美智子姫  
 
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