Yamatabi-CLUB000
 
  序章
移動日
金峰山
2011.10.11
瑞牆山
2011.10.12

「標準タイムで快適登山!奥秩父は山も紅葉も人もみ〜んな素敵!」 念願かなった奥秩父の山…聞きしに勝る秀麗
「山があるのに山梨県」とは子供のころに日本地図を覚えるときに飛ばしたジョークです。今まで自分の中でいつも後回しにしていた「奥秩父」山系、日本百名山のひとつの瑞牆山と金峰山が一度に登れそうだと、地図を買い込み山域研究をしているうちに「行ってみたい」がいつしか「行こう!行くぞ!」に変化していました。有名な女性登山家曰く「思い立ったら実行!」山に雪が降り積もれば私の技術では手も足も出なくなります。「今だっ!今しかないっ!」そう決心したのです。

前日に比良縦走の最終回があり、帰宅後も赤岳の写真の編集が残っていたため出発が危ぶまれましたが「天気もよさそうだし三連休のあとならテント場も山小屋も空いてるよ!」比良縦走の荷物を片づけ、深夜までかかりテント泊の荷づめを完了しました。とりあえず車の中に入れておけばあとで荷物の整理がつくだろうと忘れ物のないように準備を終えると午前1時を過ぎていました。
●第一日目 10月10日(体育の日)晴れ

三連休みの最後の休日のため交通渋滞を覚悟し午前8時に、姫のベンツ「軽自動車・四万十号」はエンジンの音も快調に出発いたしました。名神豊中、京都、多賀でドライバー交代の休憩をとるべくして入るも、満車状態で、そのまま恵那サービスエリアに向けて走りました。横を走るバイクの数が半端じゃなく、どこかでバイクのイベントがあるのかも知れません。恵那サービスエリアで休憩をとった後、給油をしようと車の列に並びました。するとこわい顔した兄チャンが「バイクも並んでんやで〜」とドスの利いた声で四万十号に近づいてきました。「そりゃすみません」(並んでいるのか、たむろしているのかはっきりせぇ〜ちゅうねん)と独り言を発し、バイクの給油待ちのために、かなりの時間待機することになりました。
無事給油を終え、駒ヶ根が近づくと宝剣岳が美しく見え始めました。仙丈岳、甲斐駒は霞がかかっており姿をうかがうことはできませんでした。3人、5人、7人とそれぞれのグループに分かれてバイクが追い越していきます。信州方面に向けてクラシックカーも走っています。きっとこの先でイベントがあるに違いありません。やがて長野道との分岐で「車山」が見えてきました。八ヶ岳も見えるはずです。諏訪湖も青く美しく輝いて見えてきました。カーナビの案内であと66.6q14時08分到着予定を指しています。1週間前に訪れた八ヶ岳も正面に大きく見えてきました。北岳、甲斐駒もばっちり見えます。
「長坂高根大泉」出口で降りるようナビの指示があり、出口にさしかかるとETCのエラーで係員を呼ぶはめになってしまいました。カードが悪いのか、機械が悪いのか不明ですが有人扱いで出口を出て、食材を求めて近くのスーパーに立ち寄りました。余分な物は買わないことを念頭におきましたが、それでも巨峰、梨、柿、りんごなどどっさり買い込み、2日間の食材と併せて約6〜7kgキログラムの食材を買い求め、飲料水の状態も不明なので買い込み、登山口で調整すれば良いということで、ナビが指す瑞牆山荘駐車場にむけてひたすら走り続けました。ときおり富士山が見え隠れします。この町は富士見町というだけあってどこからでも富士山が見えるのでしょう。あたりには黄金色した稲穂が頭を垂れ、刈り取りを待ちわびています。トンボが飛び交い、ススキが風に揺れ秋の風情を楽しむことができました。前を走るバスは増富温泉を利用する客を乗せて、道を譲るでなく、ゆっくりと走っています。時折、瑞牆山がそびえ始めました。明日はあの頂かと思うとゾクッっとする気分です。増富温泉郷から更に奥に進むと瑞牆山荘の屋根が見えてきました。ナビも「ルートガイドを終了します」と案内しています。午後2時40分無料駐車場に無事到着しました。
尾根に上がると瑞牆山が見える 水場で水を汲んで 富士見平小屋に到着
いまから富士見平小屋まで移動しなくてはなりません。荷物をまとめ、水も大峯・奥駈けの教訓から麓から運ぶことにしました。まあ1時間のコースなら少々荷物が重くても少し時間をかければ到着するだろうと、購入した果物、食材、飲料水など全部ザックにつめて、そのうえザックの外にも括り付け富士見平小屋を目指しました。
結果的には小屋近くに溢れる水源場があったのですが山域研究不足とガイドブックの間違いによる認識不足でした。
富士見平でーす 名前のとおり富士山が見えます 小屋前のテント場
連休最後の日とあって下山する家族連れや老若男女が多く、瑞牆山や金峰山の人気が伺えます。ヘルメット姿に20キロ以上のザックを背負い、必死で登る私達を見ても挨拶はするものの、物静かというか冷静と言うか・・・ここは関東圏の山域であることを実感します。関西圏ならば「がんばって!」「もう少しよ」とか何とか声を掛けるのですが本当にみなさん静かです。1時間ほどで富士見平小屋に到着。ここをベースキャンプにして2泊し
瑞牆山、金峰山を楽しむことにしました。「まずは小屋に行き、テント場の許可を得よう」という事になり、小屋を訪ねると管理人ご夫婦が温かく迎えて下さいました。
昭文社の山と高原地図「金峰山・甲武信2011年版」によると避難小屋、寝具なし、素泊まりとなっています。しかし訪ねてみると寝具もあり食事も予約をしておけば用意して頂けるとのことでした。全く違う情報のため宿泊者も少なく何とかお役に立てないものかと考え後日、昭文社に文書にて2012年版発行の折には訂正のための取材を申し込むことを考え付いた次第です。
こんな話もして下さいました。
ここには豊富な水源があるのですが管理人さんがうまく工夫をし、樽に4本の取水口パイプを取り付け、汲み易いようにしているのですが、某大学のワンゲル部の学生がカレー鍋を樽の中で洗っているのを見つけ叱責、指導をされたそうです。汚した者の責任で清掃をさせたそうですが、何故叱責されたのか理解してもらうのに時間がかかったと嘆いておられました。
おいしく煮込まれていた鹿肉 小屋の近くにある水場
テントを張り終え、再び小屋を訪れ缶ビールを注文すると「いまビールの肴を温めますから少し待っててくださいね」と上条恒彦似の管理人さんがやさしく微笑みかけてくれます。
この方は学生の頃、富士見平小屋でアルバイトをしていた8年の間に、負傷者に付き添いザックを預かって自力下山させた人4名。
背負って搬送した人もいましたが、この方はの命はすでに絶えていたそうです。
また荼毘に付すときの例えようのない悲しさなどを話をして下さいました。定年後の今年の4月29日から小屋の管理人をされているそうですが、
「既に10月10日現在17人〜18人の負傷者に付き添い下山をしているが、今と昔の登山の取り組み方が違うことがわかってもらえると思います」と話しておられました。


そんなお話を聞く間にビールの肴に鹿肉と豚肉の煮込をご馳走になることになりました。姫は恐る恐る一番小さなステーキを一口頬張ると「美味しい!」と叫びました。お世辞ではなくピリッとスパイスの効いた味は東京の有名なホテルのシェフから伝授されたものだそうで鹿肉が新しい分だけレストランより美味なのだそうです。豚肉の煮込は、あまりの美味しさにジョンの口には入らぬままペロリと平らげてしまいました。美味しかったです!日暮れに林の中で、鹿の物悲しい鳴き声を聞いたときには思わず胃袋をそっと押えました。(笑)
鹿のステーキをご馳走になったので夕食は簡単に五目御飯とラーメンをスープ仕立てにしていただきました。食材は粗末ではありますが、とても美味しかったです。明日の行程を話し合い午後8時の眠りにつきました。寒くはありません。素足で外を行き交うことができるほどです。お月様もお星さまも夜空のショーは間もなく開催されるはずです。(でも・・・おやすみなさ〜い)
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2011.10.11
瑞牆山
2011.10.12
美智子姫:記 000