「錦秋の常念岳」は胸突き八丁・口八丁・もひとつおまけに空は姫天気

第4日目(9月29日)
天気は晴れ。特注弁当を受け取り、午前5時30分、小屋から10分ほどの所にある蝶ケ岳山頂にむけて歩きます。蝶ケ岳は安曇野から見ると雪形がチョウの形をしていることからそう呼ばれる様になったそうです。雪形とは、山腹に岩肌と積雪が織り成す模様を人が何かの形に見立てて名づけたものの総称です。
まだあたりはうっすらと暗く、ご来光が期待できそうです。テント場で写真のタイミングを待っていた人たちが山頂に向けて走り出しました。
「キャーきれい!あっ槍の穂先が見えた!ダイキレットや!」
みんなが口々に感動を言葉に表します。蝶が岳から360度の大パノラマは、槍ヶ岳、北鎌尾根、東鎌尾根、槍ヶ岳山荘、肩の小屋、飛騨乗越、大喰岳、中岳、南岳、ダイキレット、北穂高山荘、唐沢岳、穂高山荘、奥穂高岳、前穂高、西穂高、少し離れて乗鞍岳、御岳、ぜ〜んぶ、ぜ〜んぶ見えています。
写真では明るいのですが、実際は薄暗い感じです
振り返ると昨夜泊まった蝶ケ岳ヒュッテが眼下に、右奥はるか向こうに昨日登った常念岳が浮かんでいます
槍ヶ岳、槍ヶ岳山荘、飛騨乗越、大喰岳、中岳がくっきりと
雲海に隠れる大滝山の方向からご来光が現われます
蝶ケ岳の山頂標識を囲んで記念撮影
奥穂高岳 北穂高岳 槍ヶ岳
槍ヶ岳をバックに 蝶ヶ岳ヒュッテ 常念岳
ここを立ち去りたくありませんが、そうも言っておられません。上高地までおよそ6時間の歩行です。12時ごろには上高地からバスに乗って新島々から松本に向かわなければ大阪行きの高速バスに間に合いません。名残惜しくはありましたが徳沢へ向けて下山することにしました。
「姫!今日もトップ頼むで〜気を引き締めて行こう」
リーダーからの檄が飛びます。第4日目ともなると疲れが残っています。雨上がりの木の根を踏み、滑らないように注意をしながら徳沢へと向かわねばなりません。
下山路に入り樹林帯の中を歩いていると蝶ケ池に薄氷が張っている様子です。
「調べてみよう〜みんな小石を持って、カメラマンは池の向こうに回って〜!せ〜の〜!ポチャッ!」よくみんな協力をして下さいました。確かに氷がはっているのが確認できました。横尾の分岐を過ぎ、長塀山(2564.9b)で朝食の弁当を頬張ることにしました。「特注弁当食べよう〜」と三角点の上を借りて、写真を取ることにしました。弁当のフタを取ると姫の悲鳴が聞こえました「ギャ〜ッコンニャクが入ってる〜」
長塀山の頂で朝食タイムです
長塀尾根は木の根を踏んで急激に下っていく歩きにくい尾根でした
長塀山からの下山は木の根に悩まされ、何通りにも出来た登山道のどれが安全なのかトップの見極めが必要となってきます。トツプが歩いたとしても「私が歩いたとこは危険だったから、そっちの道を回って〜」と声をかけたり、遠回りをして安全道を探したりとなかなか、展望のきかない苦痛の4時間30分の下山となりました。やっと徳沢園の屋根が見え隠れしはじめ、「もうすぐやね」と言ってからも長かったこと!長かったこと!
なんとか10時前に徳沢に下ることができました
徳沢から望む明神岳や前穂の峰峰
徳沢から上高地へ向かいます
徳沢に出て休憩の後、奥上高地自然探勝路を明神館を合流地点と決め、自由歩行することにしました。この道は観光客が、ひっきりなしに我が物顔で道いっぱいになって歩き、右や左に交わしながら梓川沿いに明神館名物の水中リンゴを楽しみに歩き続けました。1個200円(あれ〜っ以前は100円じゃなかったっけ?)合羽橋あたりは混雑していて、買い物や記念写真撮影などはできそうもありません。松本発のバスの時間が迫っているので河童橋からバスターミナルまでバス発車時刻を調べるために小走りをするため、背中のリュックが踊ります。バスターミナル着11時45分。上高地発新島々行き12時00分、土産を買う間も、トイレに行く間もありませんが、15分待てば接続バスが発車します。他のメンバーも全員揃い、無事バスに乗ることができました。
新島々バスターミナルに到着すると松本行きの電車が待ち受けていました。電車の中は貸し切り状態で、着替えをしたり、行動食を食べたり、やっと一息つくことができました。
松本駅には14時到着、とりあえず大阪行きのバスターミナルに移動をし、リュックをデポし、食事に行く者、土産物を探しに行く者、バスの中での酒の肴を買い込む者と1時間の時間待ちを有効に使いました。
15時発の大阪行きのバスに乗り込むと全ての旅程が終了した気分になります。往路と同じ停留所に泊まり、途中、登山客も多く乗り込んできます。私達の座席の後ろには、壊れたスピーカーおばさんが座っており、松本から多賀の間、スピーカーのボリュームは大きく全開したままで、とうとうドライバーを通じて注意を促してもらうこととなりました。「明日は我が身」でみんな旅の常識は常に心がけておきたいものです。

名神深草バス停で靖ちゃんが下車し、終点大阪駅には定刻の20時30分に無事到着致しました。トランクに入れたリュックは、途中下車の人達から優先に取り出すこととなり、私達のリュックが一番最後となりました。4日間の登山で身体は重く、リュックは更に重く身体に食い込みますが「無事カエル」のみやげを心に、家路につくことができました。

さあ!これで次は屋久島に向けてパワフルに動けそうです。一歩足を前に出せば、必ず目的地に近づくことができます。「あきらめないこと」が夢と希望の実現です。
(おまけ)
今回は予約をしていたにもかかわらず宿泊することができなかった「徳沢園」は長野県松本市、北アルプス・上高地の徳沢にあり、前穂高岳東壁が舞台・井上靖先生原作の小説「氷壁」の文中の宿で有名です。ロビーには生原稿も飾ってあります。

『登山家の魚津恭太は、昭和30年の年末から翌年正月にかけて、親友の小坂乙彦と共に前穂高東壁の冬季初登頂の計画を立てる。その山行の直前、魚津は小坂の思いがけない秘密を知る。小坂は、人妻の八代美那子とふとしたきっかけから一夜を過ごし、その後も横恋慕を続けて、美那子を困惑させているというのだ。不安定な心理状態の小坂に一抹の不安を抱きつつも、魚津達は穂高の氷壁にとりつく。吹雪に見舞われる厳しい登攀のなか、頂上の直前で小坂が滑落。深い谷底へ消えていった。二人を結んでいたナイロンザイルが切れたのだ。必死に捜索するも小坂は見つからず、捜索は雪解け後に持ち越されることになった。失意のうちに帰京する魚津。そんな思いとは裏腹に、世間では「ナイロンザイルは果たして切れたか」と波紋を呼んでいた。切れるはずのないザイル。魚津はその渦に巻き込まれていく。ナイロンザイルの製造元は、魚津の勤務する会社と資金関係があり、さらにその原糸を供給した会社の専務は、小坂が思いを寄せていた美那子の夫・八代教之助だった。』これが小説のあらましです。

GPSデータ
クリックすると拡大します
文:美智子姫00000 写真・GPSデータ提供:鹿島秀元